第7話 風の抜けた部屋
「今、“やった”って思ったろ? その程度で教育課を動かせるとでも思ってんのか?」
タウの言葉に、我に返ったシグマが平然を装い、
「……何のことさ?」
と言いながら、ネクタイの位置を戻した。
その様子を見ながら、ファイが小さくため息をついてから、言った。
「部屋主からの希望だと、“部屋主のわがまま”となり却下される」
ファイの隣で、呆れたような目をしていたローも、
「でも、メンティ(部屋子)側からの申し出なら、話は通りやすいからね」
と、付け加えた。
丸めたノートで掌をぽんぽん叩いていたタウが話を続けた。
「だから、既成事実があり、部屋子から申し出があれば、変更されやすいのも事実だ。けどな」
それを知っていたシグマは、自分がわざとローレンスを困らせ、部屋替えを申し出るように仕向けたのだった。
だが三人は、既にそれをわかっていた。そのためファイが、
「その場合でも、監督生が間に入り、まずはお互いの話し合いをもとに、折り合いを付けて終わりだ」
と、告げると、ローもまた
「生徒会は、静かに、確実に掌握する」
と釘を差した。
話を聞いていたアルの背中を冷たいものが流れた。──部屋替えの話が出れば、“受け皿”の準備は整っていたのだった。
タウが俯いたシグマに言葉を投げ掛けた。
「だいたい、お前の考えは甘いんだよ」
シグマは思わず下を向いたまま、口を引き結んだ。
◇
「だから、尾ひれを付けてやったぜ」
タウが少し見下ろすような目線でシグマを見ながら言った。
その言葉を聞き、シグマが顔を上げるとローが笑いかけながら続けた。
「シグマ、お前はいつも詰めが弱いからね」
シグマは、策がバレていることを承知で、わざと
「……何のことだよ?」
シグマに構わず、ファイが頬杖をついたまま言った。
「ま、尾ひれぐらいじゃ済まないかもしれないな」
「……は?」
意味がわからず、振り返ったシグマが間の抜けた声で聞き返した。
「教育課の担当者から状況を聞かれたから、『理解させようと、真面目なシグマ君が、てんこ盛りの関連問題を解かせようとしたらしいです』って言っておいた」
タウが腕を組んだまま言い放つと、シグマの表情が固まった。
ローはその様子を見ながら、付け加えた。
「だが、その程度じゃ教育課は動かないからね」
その言葉に唖然とするシグマに、ローが話を続けた。
「だから『そのためにローレンス君は教授に泣きつき、監督生への相談を促されたようです』とも伝えておいたよ」
ローの言葉にシグマの顔色が変わった。
「なっ……! 教授には何もいってないぜ」
そんなシグマにファイが告げた。
「教授から確認で『教育課が面接を打診してるけど』っていわれたんだ」
そう言うとファイは椅子にもたれかかって続けた。
「それで『どうやら、鬱気味になって医局に頼んで薬貰ったらしいですよ』と付け加えておいた」
さすがに根も葉もない話にシグマが焦り始めた。
「お前ら! あいつ咳してたから、医局で薬貰っただけだって!」
だがシグマの話はどこ吹く風とばかりに無視された。
「僕のところにも来たから、『深夜に尋ねて来たので、眠れていないみたいでしたよ』とも説明しておいたよ」
ローが明るく笑って手をひらひらと振った。
言葉を失ったシグマの肩にタウが手を置いて、
「大丈夫だって。“らしい”って付けといたから、噂扱いで済んでるよ」
と、顔を覗き込みウインクをしてみせた。
その時、アルがそっと手を挙げた。
「……僕も一応、情報棟で教育課の人に聞かれたから、“専科でも皆心配してる”って答えといたよ……嘘じゃないからね」
「アル! なんでお前まで尾びれ付けてんだよ?」
シグマが叫ぶと、監督室は一気に笑いに包まれた。
その中で、ファイが静かに端末を見ながら、皆に伝えた。
「……魚(噂)はついに完成したみたいだね」
そう言ってシグマに微笑みかけた。
「……まさか」
「まさか、じゃないよ」
ファイが目を細めた。
タウとローが“イェ~イ”とハイタッチを交わした。
ファイはその様子を見ながら、再び画面にに目を落とした。
「教育課から『部屋替えの正式決定』が出た。今夕六時の決裁だ。今週中に部屋替えだってさ」
シグマは呆然と目を見開き、胸の奥で小さな安堵が灯るのを覚えた。
「……そう、なんだ」
ぽつりと漏れた言葉にアルが応えた。
「良かったな、シグマ」
シグマはしばらく何も言えなかった。
その様子を四人の視線が穏やかに包んだ。
やがて小さく息を吐き、目を伏せて呟いた。
「……ありがとう。皆」
その声はかすかだったが、確かな温度があった。
外では風が吹き、監督室の窓が揺れた。
小さな力で制度に抗った──そんな学園の小さな夜だった。
◇
ローレンスがその知らせを受けたのは、翌日の昼休みの終わりだった。
教育課からの通知が端末に届き、件名には簡潔に「部屋替え決定」とあった。
淡々とした文字列の奥に、言葉にできない何か取り返しのつかないものを感じて、ローレンスはしばらく画面を見つめていた。
──出ていかなきゃいけないんだ。
そう思うと同時に、胸の奥を少し風が吹き抜けた気もした。
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