第6話 爆ぜる執務室
目を丸くして尋ねるローレンスに、悪意はなかった。ただ、その無頓着な対応に、ダンは思わずため息が漏れた。
「調べて書くのはインプット、思い出すのはアウトプット。力になるのはアウトプットの方だ。部屋主はそう言いたかったんじゃないのか」
呆れたように言うダンに、ラリーはパンと手をたたいた。
「そういうことか。わかった。今度からそうする」
そんな彼に、ダンが頬杖をついたまま、ため息混じりに呟いた。
「いちいちいわなきゃわからないお前が、よく首席取れたよな。学園って、ホント大丈夫かよ」
だが、そんな小言はお構いなしに、落ち込みを解消したラリーが機嫌よくパソコンの電源を入れた。
「まぁ、その“気にしない楽天的なところ”も、ある意味、才能だよな」
ダンはそう言うと、再び課題を解き始めた。
◇
数日後の夜だった。
シグマがローレンスの机の上に置いてあった情報課題のプリントを見つけた。
「アルゴリズム基礎・課題17──再帰関数と最短経路」
情報のことはわからなかったが、
(これって、再帰や最短経路の考え方は、数学的に理解できるんじゃないのか?)
と感じていた。
アルが、情報の基礎は数学の知識が必要と言ったことを思い出し、試しに課題として、ローレンスへ渡す問題を作り始めた。
◇
休日の午後、部屋にいたローレンスに、早速作った問題を手渡した。
「これ、解いてみて」
「はい。わかりました」
にこやかに返事をしたローレンスは机に座って解き始めた。
夕方の光が斜めに差し込む部屋の中で、ローレンスはやがて机から立ち上がり、シグマに声をかけた。
「できました」
しばらくして、問題を解いた彼は、その用紙を元気よくシグマに差し出した。
シグマは黙って目を落としたが、答えが間違っていた。
「間違ってる」
そう言われ、ローレンスが用紙を覗き込んだ。しばらくすると、
「どこがですか?」
と尋ね返した。声はいつも通り穏やかで、柔らかかった。だが、シグマをいらつかせるのには十分だった。
「計算が間違ってるだろう」
そう言ったシグマに、
「なんだ」
と、ローレンスが安心して笑った。
「考えが間違っていなければ、計算機とか、プログラムとかで答えはちゃんと出ますから、問題ないです」
と軽く返す言葉がついにシグマの逆鱗に触れた。
「お前は何を考えてるんだ!?」
その大声にローレンスがびくっとなり、体をすくめた。
「えっと、だから計算間違いは計算機で……」
「じゃあ、計算機で“その理論じゃ解けません”って出るのかよ!?」
いきなりシグマが反論した。
「何回も計算して間違えに気づいてたら、間に合わないだろう?」
急に怒り出したシグマにローレンスが目を丸くして驚いた。
「自力で立式して間違えたときに、理論の違いに気づくんじゃないのか?」
その迫力に戸惑うローレンスに、気遣うことなくシグマの叱咤は続いた。
「解法さえ分かれば、答えはおろそかでいいっていうのか? ふざけるな!」
止まらないシグマに、ローレンスは目を泳がせるばかりだった。
「教養科目はこれからどんどん難しくなる。だからメンティが付くんだ。わかってるのか?」
彼の言葉は容赦なかった。
「情報だって一年でモノにならなきゃ転科させられる! 履修だって週に五時限しかないんだ!」
今まで言いたかった言葉が、堰を切ったように口をついて出た。
「そんなんで、どうやって情報をモノにするつもりなんだ? できなきゃ教養に戻ることになるんだぞ」
シグマの怒号に、ローレンスは成すすべもなく、俯いた。
「だったら教養をいい加減に済ませていい
やっと一息ついたシグマは、ローレンスの様子に気がついた。ローレンスは、
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
と、小さく繰り返していたのだった。
その声にはっとなったシグマは、ようやく我に返った。
ローレンスは神妙にその目を床に落としたままだった。
シグマはバツが悪そうに、黙って用紙を差し出すと、ローレンスは左手でその紙を受け取った。
そして、しばらくそのまま動けずに立ち尽くしていた。
◇
月曜日放課後。シグマが生徒会室へ顔を出すと、監督席のエリアでは、ファイとタウ二人が席につき、連絡事項の確認をしていた。
生徒会役員席には、ローとアルだけだった。
シグマが軽く挨拶をして自分の席に着くと、監視網担当席に座ったファイがタブレットから目を上げ、重い声で言ったのだ。
「シグマ。話がある」
室内の空気が、一瞬で引き締まった。
生徒会エリアにいたアルたちも、思わず顔を上げた。
「昨夜、お前の部屋のローレンスから相談を受けた。お前に怒鳴りつけられたってね」
落ち着いたファイの声が、生徒会室の空気を沈ませた。
その言葉にシグマが目を逸らした。
昨晩、広報担当のローが、ローレンスから相談を受けたのだった。
タウも沈黙したまま、シグマを見ていた。
シグマは目を閉じ、わずかに目を逸らし、呟いた。
「……いい加減な勉強はさせない、と伝えただけだ」
その答えにファイが言葉を続けた。
「彼は『どうしていいか分からない』っていってた」
シグマは俯いたままだった。
すると生徒会エリアに座っていたローが立ち上がって言った。
「だから、『どうしたいのか』と聞いたら、彼は『まだ専科に残りたい』っていってたよ」
ローの言葉に、机の上に置いたシグマの拳に力が入った。
シグマの瞳がかすかに揺れた。
言葉を探すように、視線が宙を泳いでいるようだった。やがて、
「……そう、なんだ」
掠れそうな小さな声が部屋の中で漏れた。
ローはファイの隣に立ち、静かに話を続けた。
「『部屋主は妥協を許さない人だから、君とは相性が悪いかもしれないね』とは伝えた」
その言葉に、シグマはピクリと肩を緊張させた。
「だから、部屋替えを打診したら、彼は『それでいい』と納得したよ」
その言葉に、シグマはわずかに肩を震わせ俯いた。
ローとファイがその様子を静かに見つめる。
タウがノートを丸めながら、後ろから近づいた。
途端。
ぱこっ!と乾いた音が鳴った。
「何するんだ、タウ!」
不意に頭を叩かれ、シグマが即座に振り返り、声を荒げた。
「笑ってんじゃねぇよ、シグマ」
タウの横ではアルも目を丸くし、呆れた顔でシグマを見下ろしていた。
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