第5話 クラッシュ
キムの言葉にディランの眉がぴくりと動いた。
「マジか?」
ディランの問いに答えず、キムはすぐに確認を始めた。
クラッチレバーを握ろうにも力が入らず、ギアを踏んでも手応えがまったくなかった。
「クラッチいかれてる。ギアが入らない」
キムが呟くと、ディランは悔しそうに拳を地面に叩いた。
「せっかくここまで来たのに……」
泥まみれのバイクと、荒れた斜面を前に、二人はしばし黙り込んだ。
ディランは、右足首の痛みがズキリと響くのを覚え、体の疲労もあらためて感じていた。
その様子にようやく気づいたキムが話しかけた。
「足、大丈夫か?」
ディランは泥だらけの笑みを返し、短くうなずいた。
「…なんとか、でも動かすと痛いな」
ディランが少し顔を歪めて答えた。
(くそっ、捻挫か…)
痛みは強いが、歩けないほどではなかった。
キムはディランのバイクの傍で膝をついていたが、やがて短く息を吐いた。
諦めたように無言で立ち上がると、バイクに縛り付けてあった水筒を取り外した。
それをディランの傍まで来て差し出した。
「飲んで。少し休むしかないよ」
ディランが受け取ると、キムは辺りを見渡した。
「リアムたちが教官に連絡してくれてるはずだけど……ここどこ?」
振り返ったキムに、ディランがバツの悪そうな顔で答えた。
「山ん中……」
「それくらいは俺でもわかる」
その後、短い沈黙が訪れた。
やがてキムは大きくため息をつくと、再びディランのバイクのシートの下に手を突っ込んだ。
「何してんだ?」
ディランが声をかけた。
キムは応えず、五センチ四方くらいの小さな機械を引き抜いた。だが、そのランプは点滅していなかった。
「こいつもイカれたか」
そう言うと、岩を渡りながら飛び降り、自分のバイクへと戻った。
彼はハンドルバー下の小型防水ポーチに手を伸ばし、中から同じ型の小さなGPS機とビニールテープを取り出した。
「よし……見つけてもらうしかない」
そこから再び空を見上げた。
「崖の上の木の上なら……」
独り言のように呟くと、今度は身軽に崖を上った。
さらに近くの低木に飛び移り、登り出した。
枝の太さを確認しながら、少しでも高い枝を探した。
やがて手の届く限りの高さにたどり着くと、GPSを枝に押し当て、ビニールテープでぐるぐると巻きつけた。
GPSは振動で落ちないよう、枝にぴったり固定された。
「これで……多分、見つけてもらえるはずだ」
キムは枝から体を降ろし、ディランに視線を向けた。
「大丈夫、すぐ助けは来るさ」
そう言いながら戻って来たキムに、ディランは少し呆然としながら頷いた。
周囲の森は静まり返っていた。風に揺れる葉のざわめきだけが、二人の緊張を引き立てていた。
静まり返った中で、山の空気が冷たくなってきた。
(最悪、野宿かな……)
そう考えたときに、ふとリチャードの顔が浮かんだ。
(彼は部屋主だ。きっと探し出してくれる)
キムはなぜか、そう信じることができた。
やがて森の中から、何かの音が近づいできた。
バイクのエンジン音だった。
キムはもう一度、崖の上に這い上がった。
山の上から、教官のバイクが泥を蹴り、下りて来る姿を捉えた。ぬかるみを軽々と駆け下りるハンドル捌きに、キムは少し見惚れていた。
手を振って知らせると、教官のバイクが傍まで来て止まった。しかし、ヘルメットのバイザーの奥、眼光が鋭く光った。
「――お前ら、なにやってんだ!!」
怒号と一緒にパン!と乾いた音が響いた。
キムの足は地面から離れ、代わりに体が叩きつけられた。
「コース外に出るなって言ったろうが! どういうつもりだ!」
「……すみません」
キムは叩かれた頬を右手で拭うように押さえながら答えた。
「すみませんで済むか!」
再び、怒声が山に響いた。
リアムとネロも正規ルート側から到着したが、その光景に身を竦め、息を切らして見守っていた。
「ディランはどこだ?」
その言葉にキムは崖の下を指さした。
そこには、少し青ざめたディランが動けないまま、座っていた。
「彼は捻挫で、動けません」
キムがそう報告すると、教官は
「そりゃそうだ。無理な角度で突っ込めば、足首ひねるに決まってんだろ」
と、ため息をついた。キムは続けて報告した。
「彼のバイクも……クラッチも折って、ギアも入りません」
「しょうもねぇ奴だな。整備班に泣きつくことになるのか」
呆れたようにため息をついた教官は、無線を取り出し、報告を始めた。
ネロとリアムがそっと傍へ寄って来た。
「大丈夫か?」
心配そうに覗き込む二人にキムは笑いかけた。
「うん。バイクも無事だし、ケガしてないよ」
そう答えると、無線を終えた教官が振り返った。
「で、キム。お前はどうなんだ?」
尋ねる教官にキムが答えた。
「バイクで皆と戻ります」
教官は頷き、
「じゃあネロとリアムはこの道を下って、キムはバイクの位置から北に50メートル程で合流できるはずだ。」
「はい、わかりました」
そう言うと、キムは頭を下げた。
教官はしばらく無言で生徒たちを見回し、深く息を吐いた。
「お前ら、上手い下手の前に、“班”で動け。訓練ってのは競争じゃねえ。全員で帰ってくることが最初の課題だ」
教官の声にディランは視線を落とした。
泥の上に、拳を握りしめたながら呟いた。
「……すみません」
教官は、再びキムを見下ろしながら言った。
「キム。俺が迷子にならねぇようにGPSはあのままにしておくから、あとで回収しておけよ」
笑いながら話しかける教官にキムが
「無理です、教官。取って来て下さい」
と手をあげ挨拶を済ませると、再び崖を下った。
自分バイクに辿りついたキムがエンジンをかけた。
リアムとネロもエンジンをかけ、発進した。
濡れたエンジンの匂いの中に、わずかに温かい空気が混じった。
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