第11話
男が村を訪れたとき、そこは無惨な略奪の跡と化していた。
門は打ち砕かれて傾き、収穫を目前にした麦畑は無数の蹄と足跡に踏み荒らされ、家々の屋根からはなお黒煙が立ち上っている。風に混じる焦げ臭さと、湿った血の匂いが鼻を刺した。
路上に倒れ伏していた老人が、かすかに呻き声を洩らした。男はその身体を抱き起こし、静かに問いかける。
「何があった?」
「む、村が……兵隊に襲われて……鷹の紋……」
血に濡れた顔でそう言い残すと、老人は力尽きた。男は瞳を見開いたまま絶命した老人のまぶたをそっと閉じ、土の上に安らかに横たえさせる。
国境に近いこの小村は、大きな集落ではない。数十軒の家を一つずつ巡り歩いたが、生きていたのは怯えた一頭の犬だけだった。尻尾を丸め、目だけを落ち着きなく動かしている。
――皆殺しにされたにしては死体が少ない。
多くは捕らえられ、連れ去られたのだろう。
男は墓穴を掘って死者を埋葬し終えると、犬の首根をつかんで言い聞かせるように低く呟いた。
「お前もこの村の一員だったな。襲撃者の足は速くない。お前の鼻があれば追い付ける」
「クゥン、クゥン……」
「心配するな。戦うのは俺だ」
犬は不安げに上目遣いで見上げる。男のごつごつした手が、その頭を乱暴に撫でつけた。犬はひと声鳴き、駆け出しては途中で振り返り、早く来いと催促する。
「調子のいい奴め……」
男は苦笑を漏らし、荷を背負い直してその後を追った。
****
村を襲ったのは隣国の正規軍だった。
魔王軍の脅威が去った今、かつて同盟を結んでいた国々は互いに利を求め、国境地帯で小競り合いを再開しつつあった。
二百名の兵を率いた中隊長デムリアは、村の破壊と略奪を終えたものの、帰還の歩みが遅々として進まぬことに苛立ちを募らせていた。
「何故もっと速く進まんのだ!」
「捕虜が多すぎます。村の住民のほとんどを連れていますから……」
副官カムイが言い訳する。だが、村人を根こそぎ連行するよう命じたのは他ならぬデムリア自身である。女と子供ばかりで抵抗は少ないと踏んだが、この遅さは計算外だった。
「ええい!遅れる者は殺して構わん。日暮れ前には国境を越えねばならん!」
「はっ、直ちに」
カムイが部下を連れて後方へ向かった。その判断で人命はいくらか失われるだろうが、隊の足は速まる。デムリアは国に残した家族の顔を思い浮かべ、わずかな安堵を胸にした。
だが、異変の報はすぐに届いた。戻らぬカムイを追った兵が血相を変えて駆け戻る。
「て、敵襲です!」
「何だと? どこの部隊だ?」
「それが……村の男が一人で……」
「村の……男?」
意味のわからぬ報告に眉をひそめつつ、デムリアは馬を走らせた。だが、現場に到着した彼は言葉を失った。
乗り手をなくした馬が数騎、痩せた犬に吠え立てられながら逃げ惑っている。その先頭には、副官カムイの愛馬までもが混じっていた。
「何事だ! カムイはどこにいる?! ……おい、あの犬を殺せ!」
命令を発した瞬間、男が現れた。
「お前か。この軍の隊長は」
「誰だ、貴様は!」
平凡な風貌、農夫の着物。とても報告の“敵”とは思えなかった。だが、部下が叫ぶ。
「隊長、その男です! その男が副隊長を!」
「お前か」
鍬で肩をとんとんと叩き、軽い足取りで歩み寄るその姿に、デムリアの背筋は冷たいものに包まれた。
「来るな! 誰か、あいつを殺せ!」
騎兵たちが一斉に突撃する。だが次の瞬間、馬上の兵はすべて弾き飛ばされ、地上で呻き声をあげた。
「な……何がどうなった?」
目の前の惨状を見てもなお、デムリアには理解が追いつかない。
「馬鹿な、こんな馬鹿なことが──うわっ!」
突如、馬が嘶いて立ち上がり、デムリアは振り落とされた。
「待て! 待ってくれ!」
「お前らが殺した村人たちも、そう言ったはずだ。……待ってやったのか?」
土に汚れた鍬が、ゆっくりと振り上げられる。それは人の命を奪う武器には見えなかった。だからこそ、恐怖が骨に染みた。
「俺には……国に家族が──」
言葉の続きを待たず、鍬は振り下ろされた。デムリアの首は地に転がり、声は永遠に途絶えた。
****
副官カムイが目を覚ましたとき、二百名の兵のほとんどが地に並べられていた。腕や脚を砕かた苦痛の声が夜気に満ちている。カムイ自身も両腕に激痛を覚え、奥歯を噛みしめた。
「あの男の……仕業なのか」
視界の端に、農夫姿の男が立っていた。
「お前らの隊長には死んでもらった。帳尻は合わんがな」
「殺すがいい、さもなければ帝国軍が貴様を追って必ず復讐する」
「お前らには印を付けた。次会った時にわかるようにな」
男の右手には草刈り用の鎌が握られていた。
倒れた仲間の額に十字の傷が刻まれているのを見て、カムイも痛む腕で額に触れ、血のぬめりを確かめる。
「印だと……?」
「二度はない」
それだけ言い残し、男は犬と共に闇に消えた。
残されたのは呻きと十字傷の兵たち――そして、恐怖を刻み込まれた記憶だけだった。
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