第7話
「おっさん、あんた……冒険者か?」
峠を越える山道。燃えさかる焚き火を前に、若い剣士アベルが声を掛けた。
炎に照らされた男は、ゆっくりと顔を向ける。皺を刻んだその横顔は年季を感じさせ、しかしどこか人を寄せつけぬ無骨さがあった。
「……違う。俺は農夫だ」
男の答えに、三人の冒険者は顔を見合わせる。ここは魔物の潜む危険な山奥、ただの農夫が独りでいるにはあまりに場違いだった。
「農夫が何でまたこんな山奥に……まあいいや。おっさん、悪いが俺たちもここで休ませてくれ」
「アベル! 失礼よ、そんな言い方」
「な、何がだよ。お前だって疲れてるだろ? 丁度いいじゃねぇか」
剣士アベルの軽薄な物言いに、幼なじみの魔術師シスが声を荒げる。
仲間の神官エイダスが間に入り、穏やかに頭を下げた。
「旅の方、私は神官のエイダスと申します。道に迷って疲れております。焚き火を一緒に使わせていただけませんか」
シスとアベルも渋々頭を下げる。男は薪を組み直し、静かに答えた。
「かまわない。好きに使え」
炎が弾ける音の中、エイダスは男を観察する。年の頃は五十代、肩にかけた外套は使い古され、腰には鎌。だが背筋は伸び、目には油断の色がなかった。
――引退した冒険者か、あるいは罪を逃れた流れ者か。
この山道で人に出会うことが、魔物よりもよほど危険であるとエイダスは経験から知っていた。
「おっさん、武器は? その鍬と鎌だけか?」
無神経に問いかけるアベルに、シスは呆れて湯を沸かす準備を始める。
「これは武器じゃない。農作業用だ」
男は気を悪くした様子もなく、淡々と答えた。その姿に、エイダスは逆に警戒を深める。
「おっさん、これからどこへ行こうってんだ? 俺たちが護衛してやろうか?」
「山の向こうは大麦の収穫時期だ。それを手伝いに行く」
焚き火の赤に照らされながら、男は当たり前のように言う。
「……その歳で流農民か? 自分の畑はないのかよ」
アベルが鼻を鳴らす。定住せず各地を渡り歩く流農民は、もっとも貧しいとされる身分だった。
「聖王トリスタンを見てみろよ。あんたと同じぐらいの歳だぜ?」
「アベル! もういい加減にして!」
シスが声を荒げた。
しかし男は気にする素振りも見せず、逆に口を開いた。
「お前たち三人は、どうしてこの山に?」
「ふんっ、決まってらあ。魔物退治よ。俺たちは王都のギルドで名を上げてやるんだ。勇者バナージみたいにな!」
胸を張るアベルに、男は静かにうなずいた。
「そうか……覚悟はあるんだな」
その声音に緊迫感はなかった。だが言葉の重みは、火の粉のように胸に残る。
――その瞬間、空気が変わった。
鼻を刺す、獣の生臭さ。焚き火の煙とは違う、血と肉の混じった臭気が辺りを覆った。
「グルルル……」
暗がりから姿を現したのは、黒々とした巨影。
鋭い牙を剥き出しにし、全身を硬い毛皮に覆った巨大な獣が地を震わせる。
「ま、マッドベア……!?」
シスの悲鳴が響く。
「シス、動くな!」
アベルが剣を抜いたときには、すでに焚き火の光が巨体に飲み込まれていた。
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