第5話


浅い眠りが終わりに近づいていた。

 夢の中に現れたのは、幼い頃の記憶――生きていた両親と、無邪気に笑う幼い弟。

 その光景が夢であると気づきながらも、ネフェルティはせめて一瞬でも長く続いてほしいと願った。


「……っ」


 水面に浮かんだ魚のように、大きく息を吸い込む。

 胸に広がった現実の空気と同時に、甘やかな夢は無残に消え去り、彼女を現へと引き戻した。


「──あの男!」


 はっとして状況を確かめようとしたとき、左手に奇妙な感触があるのに気づく。

 握りしめていたのは、ねじれて黒ずんだ一本の角。どこか見覚えがあるようで、しかし信じたくはない感触だった。


「……まさか、これは」


 確かめるまでもなかった。

 生まれながらに持ち、誇りとしてきた二本の角。その片方が根元から失われていたのだ。


「嘘……そんな……」


 どうしてそれを自らの手に握らされているのかは分からない。

 だが、この状況を引き起こしたのは、間違いなく――あの農夫。


 あの戦いでは、確かに自分が主導権を握っていた。そう信じて疑わなかった。

 だが最後に何が起きたのか。思い出そうとしても、意識は白く途切れている。


「……いったい、どうやって?」


 不意打ちでもない。幻術でもない。

 自らの異能をもってしても感知できなかった。

 ――おそらくは、常識を超えた速度で放たれた一撃。それが頭部を直撃したのだ。


 ネフェルティはその答えに至るまで、しばし身動きひとつ取れなかった。


「世界は……広いのね。あんな農夫がいるなんて」


 乾いた笑みを漏らす。だがその声には、畏怖と驚嘆が入り混じっていた。


 その日を境に、魔王ネフェルティは歴史の表舞台から忽然と姿を消す。

 後世の英雄譚において幾度もその復活が囁かれるのは、まさしくこの不可解な失踪のゆえであった。


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