いつまで雨は降るのでしょうか

白川津 中々

◾️

 あぁ、降ってきた。


 父の下着類を買ってからデパートでお昼をいただいていると、ガラス張りの窓につぅっと、線が入りました。稲光と雷鳴に、小さな悲鳴をあげる方もいらっしゃいます。しばらくは外には出られないなと、安堵する自分がいました。


 別にデパートをいつ出ようがそれは自分の匙一つです。晴れ間であってもどこかでゆっくり過ごしたっていいし、その気があれば電車に乗って、ふらりと遠くへ行ったっていいのでしょう。それが人の持つ自由でありますし、大抵の事柄であれば咎められる謂れもございません。文字通り、自由に振る舞えばいいだけではありませんか。


 けれど、私はそれができない。

 この街に、あの家に、鎖で繋がれたような気がしてしまっているのです。


 誰も私に対して「残れ」と命じたわけではなく、なんなら「若い身空で」と同情をいただく事もございます。誰も彼も、私の自由を剥奪し打ちつけるような真似はしていない。にもかかわらず、私は自分から束縛されている。あれほど嫌いだった父が病気になって床に伏せているのを見ると、胸が締め付けられるのです。


 父はお酒ばかり飲んでいてあまり口をききませんでしたが、酔っ払うといつも母に抱き着いて、「ごめんよ」と子供のように泣き出すような人でした。家にあるお金は全部父のお酒に消えてしまうので私はまともなお洋服も欲しかった蝶々のブローチも買ってもらえず、随分と見窄らしい思いをしたのものです。それを母に言うと、「仕方がないでしょう」と嗜められました。なにがどう仕方がないのか、同じ貧乏だったら母と二人暮らしの方が幾らか救いがあるといつも考えては、シミのついた衣装を必死に洗っていたのです。父はそんな私を見ても何も言わず、昼夜問わず酔っ払っていて、家の中は終始安いアルコールの臭いが漂っていました。


 それから程なく、父はお酒が祟って内臓を駄目にしてしまいました。母一人ではどうしても手が回りませんので、私も身の回りの世話をする事になりました。

 

 いいところなんて、何一つない父親です。そのまま死んでしまえばいいと何度も思いました。けれど、見捨てておけない自分がいました。

 当初は母への愛憐かと思いましたが、時が経つにつれてはっきりと、感情の方向が父に向いている事が分かってきたのです。これが親子の情なのか、もっと別の何かなのか、今の私には推し量れません。あるいはもっと時間が過ぎたら明瞭になるかもしれませんが、その頃には、私は母と同じくらいの年齢なっているでしょう。若さを捧げて得る価値があるのかどうかは、その時の私が判断するしかありません。


 さて。

 雨があがりました。


「帰らなきゃ」


 誰に言うでもなく、そんな言葉が溢れます。


 いっそ雨がずっと降っていてくれたらと益体もない思いのまま、私はデパートを出ました。雨後の風が生温く、父の吐息のようでした。


 あの家に帰る。

 父のもとに帰る。

 帰らなくては、ならないのです。


「仕方がない」


 あの時の母と同じ口調で、言い聞かせます。

 仕方がない。仕方がない。

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