第33話 惜別 ④

お義父様を見送ってから三十年の節目の今日、命日の礼拝が行われる。

私が参加できるのは恐らく今年で最後だろう。

この日のために体調を万全に整え、ロバートに車椅子を押してもらいヴィクトリアに付き添われて領都の礼拝堂で行われたミサに出席した。

丘の上の慰霊碑に刻まれたお義父様の名とレナート兄さまとオフィーリア姉さまの名をもう一度しっかりと目に焼き付けておきたいけれど、それはまた改めて体調を整えてからになるだろうからもう少し先になりそうだ。

司教様の祈りが始まり、手を組み、目を閉じて共に祈りを捧げる。

教会の中に響く鐘の音が、あの日の弔鐘と重なった。



◆◆◆

女大公になった時から、廃王となったルクセル王国最後の王リチャードの血をブレナン大公家には残さないと決め、生涯独身を宣言していた私を二十年もの間、陰になり日向になり護り支えてくれたお義父様。

宰相として王宮に出仕していたお義父様に連れられたオフィーリア姉さまと王宮で初対面したのは5歳の頃。一目惚れに近い感覚で意気投合し、それ以来親友として過ごしていた私を、常々もう一人の娘の様に思っていたと言ってくれた。

大切な人との別れの度に落ち込む弱い私を、いつも何も言わずに側で見守り立ち直るのを待っていて下さったお義父様。

私が感謝を口にする度、レナートとオフィーリアを失った時の悲しみを乗り越えられたのは、二人の為に奔走し、共に辛さを分かち合えた私が居たからだと逆に感謝された。

しかし、まだ成人したばかりの私がブレナン領を引き継ぎ無事に治めて行けたのは、ひとえにお義父様の存在とその支えがあってこそ成し得た事だった。


後継として養子に迎えたパーシヴァルは、グレイ小公爵アルフォンス卿の長男でありレナート兄さまの甥にあたる。

アルフォンス卿は男子ばかり5人の子沢山で、幼い頃に祖母のグレイ公爵夫人に連れられて目にしたブレナン領の騎士団の剣舞に魅了されて、剣への情熱と才能を見せ始めたパーシヴァルを、長男であるにも関わらず私とお義父様に託してくれたのだ。

明るく闊達な少年は、かつてのレナート兄さまがそうであったように、騎士団の一員として共に鍛錬し切磋琢磨しながら互いに篤い信頼を築いている。


お義父様は義孫息子となったパーシヴァルを迎えて以来、かつての威厳を取り戻して生き生きとその育成に力を注いでいた。

ブレナン大公子となって6年、前公爵として今なお騎士団の要であるお義父様の背中を見て育ったパーシヴァルは、学園に入学する頃には押しも押されもせぬ大公家の後継者として領内外に認められていた。


パーシヴァルが優秀であったことはもちろんだが、それに加えて彼は努力の人だった。

かつて私が母のバーバラ王妃と祖母に等しいフリーデリケ王妃から施された、周囲をして過酷と言わしめた教育を気力と体力で乗り切ったのだ。

騎士団を率いる者として模擬戦にも情熱を注ぎ、お義父様やレイヴンの師事を仰ぎ研鑽を続けている。

学園在学中はグレイ公爵家のタウンハウスから通う事となり、実父母と弟たちとも交流を深める事が出来ている。

飛び級で卒業式を迎えたと同時に、第一王女エマ殿下との婚約も調った。

一つ年下のエマ殿下との出会いは学園の生徒会だったそうだ。

その年の夏の休暇にフィリップ国王夫妻がブレナン領へ行幸され、私とお義父様とパーシヴァルは領内を案内したのだが、その時に目にされた名入りの駒での盤上の模擬戦が大層お気に召されて以来、パーシヴァルは頻繁に王宮に呼び出されるようになったようだ。

学園だけでなく王宮でも家族ぐるみで交流するうちに、二人の気持ちに気付いたフィリップ国王が、好敵手として大のお気に入りになったパーシヴァルを婿に出来ると大喜びして強力に後押ししたのだ。

エマ王女殿下が卒業資格を得ると同時に、卒業式を待たずに急遽ブレナン領で内輪の結婚式が行われることになり、発起人であるフィリップ国王は公務を圧してブレナン領に行幸し、嬉々として結婚式を取り仕切っていた。

花婿のパーシヴァルから片時も離れないフィリップ国王を、オデット王妃と花嫁のエマ殿下はじめ王家の家族は皆『陛下が嬉しそうで何より』と笑い合って眺めている様子に、公の場では決して見られない家族の仲睦まじさが窺えてとても微笑ましかった。

この家族の中で育ったエマ殿下を伴侶と出来るパーシヴァルは間違いなく幸せになれる。


半年後に王都で華々しく行われた王家と大公家の結婚式は、国内外へホーエン王国が揺るぎなく盤石となった事を知らしめる場となった。

玉座に並び立つフィリップ国王とオデット王妃の威厳に満ちた姿に、建国したばかりの国を引き継ぎ若くして即位したお二人の今までの努力と献身を思い起こし、ホーエン王国は安泰だと感慨も一入だった。




お義父様から別邸に居を移す事にしたと聞かされたのは、パーシヴァルの結婚から10年を目前にした頃の事だった。

別邸は本邸よりも二人の墓標のある丘が近く、パーシヴァルにブレナン大公を引き継いだ後、私とお義父様の隠居所と考えていた場所だ。

今は秘書として仕えてくれている弟のルイス夫妻が離れを住居としており、母屋の管理を任せている。


瀟洒な作りのその館は、海に面した高台に城壁を築いた騎士団の砦を見下ろす丘の上にあり、ブレナン本邸とは緩やかな丘を挟んだ場所に位置している。本邸から別邸までは騎乗なら15分程の距離だ。

この地へ来てからお義父様の手ほどきで本格的に乗馬を始めた私は、この丘で良く駆歩の練習をしていた。

かつて乗馬の達人と言われたお義父様の、年齢を重ねるごとに練度を増した愛馬と息の合った華麗な手綱捌きはいつ見てもため息が出る程素晴らしいものだった。

厩舎の近いここでは私だけでなく、騎士団の軍馬の調教や騎士たちの乗馬訓練なども行われている。これからは愛馬と共に軍馬たちの世話と調教をしながらゆっくり過ごすのだと楽しそうに告げられた。


ルイス夫妻にはこのまま離れに住んで今まで通り秘書官として相談に乗ってほしいと伝え、レイヴンには騎士団の宿舎よりも本邸から近い別邸に部屋を用意したと伝えている。


「ビアンカとパーシヴァルにはまだまだ負けていられないからね」


そう言って、私が居ない間に二人で盤上の模擬戦の戦略を練るのだと意気込んで見せる。


隠してはいらしたけれど、少し前から体調が優れない事は分かっていた。

私や周囲がそれとなく気遣っている事に気付いていらしたようだ。

心配を掛けまいと明るく振る舞う姿に笑顔で答えながらも心は締め付けられる様だった。


パーシヴァルは既に立派に騎士団を率いている。

結婚後すぐに次々と授かった三人の子供たちも9歳、8歳、5歳となり、漸く子供たちの手が離れたエマには大公妃として本格的に引継ぎを始めている。第一王女のエマであれば半年もあれば十分だ。


引継ぎを出来るだけ早く済ませて私も別邸に移ろうと思うとレイヴンに伝えると、珍しくはっきりと止められた。


「閣下はビアンカ様に弱った姿を見せたくないのです。

お辛いでしょうが、どうか、閣下の矜持とお気持ちを汲んで差し上げて下さい。」


そう言われ、ルイスとレイヴンから体調が良いと報告を受けた日には出来るだけ顔を見せるようにしていた。

それから半年程経った頃から目に見えて痩せ始めたことを案じていた矢先、お義父様が呼んでいると侍従から連絡を受けた私はレイヴンと共に急いで別邸に向かった。

私室に案内されると、寝台に坐っていたお義父様は『なに、ちょっと眩暈がしただけだ』と笑って、よく来てくれたねと私たちを迎えてくれた。

明らかに顔色が悪く、座っているのがやっとの様子に思わず駆け寄って背を支えて差し上げたくなる衝動を抑え、穏やかに話をするお義父様の手を取り微笑みながら相槌を打つ。そうしていつものようにしばらく語り合い、他愛無い話で笑い合った。

ふと会話が途切れてお義父様を見上げると、澄み切った瞳で私をじっと見つめていた。


「今日は急に呼び出したのに来てくれてありがとう。久し振りに会えて楽しくてつい長く引き留めてしまったね。さあ、暗くなる前に気を付けてお帰り。

レイヴン、ビアンカを頼んだよ」


そう言われて部屋を後にする時、部屋の入り口で振り返ると微笑みを湛えたまま先ほどから変わらずあの澄み切った瞳が私を見つめていた。


「また来ます」


その瞳に飛び切りの笑顔を返して告げると、ふわりと微笑んだお義父様が答えてくれた。


「あぁ、また」



駆け抜けるように別邸を出て馬に跨ると同時にレイヴンや護衛たちに合図もせずに疾走させた。

何も言わず後ろに従ってくれる彼らの心遣いがありがたい。

感情を隠す事は出来ても殺す事が出来ない私のこの我が儘を今は許して。

風に流された涙は、邸に着いた時にはきっと乾いているはずだから。



眠れずに窓辺のロッキングチェアに揺られて白み始めた空をぼんやり眺めていた時、神妙な面持ちで部屋を訪れたレイヴンからお義父様の逝去を知らされた。

眠るような穏やかな旅立ちだったそうだ。

託された手紙には一言だけ。


(丘の上の教会で会おう)


日の出と共に厳かに弔鐘が響き、領民に前ブレナン公爵の逝去が知らされた。

かつての威厳を纏った姿に整えられ、ブレナン騎士団の礼装に身を包んだお義父様の棺は、パーシヴァルを先頭に騎士団員に付き添われ、沢山の領民に見送られて丘の上の教会に到着した。

弔鐘が響く教会の中で、約束通り私は最敬礼のカーテシーでお義父様を迎えた。



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