第26話 キャッスルリスター奪還前夜
26話 キャッスルリスター奪還前夜
アルトは王都のギルドに腰を下ろし、クエストの依頼書に目を通していた。
「キャッスルリスター奪還」――その文字列は、見慣れた都市名と共に彼の胸をざわつかせる。
かつて、彼が幼いころに暮らしていた街。両親の仕事の都合で引っ越したが、心の片隅には、あの街で過ごした日々の光景が鮮明に残っている。街路に並ぶ白い石造りの家々、噴水の周りで遊ぶ子供たち、商人たちの笑顔――平和で、争いのない日常の象徴だった。
だが今、その街は魔王軍に占領され、表向きは平和を装っているものの、住民の心には恐怖が忍び寄っていた。城の塔から見下ろす兵士たちの影、街角に忍び込む影、あらゆる場所に張り巡らされた監視網。民の表情には、微かに怯え、疑念を抱く光が宿っていた。
アルトはギルドの書庫で集められた情報を整理する。
「占領されて15年。表面上は停戦状態だが、住民は王国への帰属を望んでいる…か。」
報告書には、街の民意調査の結果が載っていた。多くは、王国軍や勇者たちの介入を求める声を上げていた。しかしそれを口にするのは、まだ勇気のある者だけ。大半は表立っては何も言わず、静かに日常を装っている。
アルトは拳を握り締めた。
「この街は、昔のように平和を取り戻すべきだ。」
彼が奪還を望む理由は、単なる郷愁や個人的な思い出だけではない。ここに住む王国民が、意志を封じられたまま魔王軍に支配されている現状を見過ごすわけにはいかないのだ。
ギルドからの指令は明確だった。市街地への強襲ではなく、情報収集と民意の確認を先に行い、必要に応じて最小限の戦力で奪還を果たすこと。戦争の火種を無闇に広げるのではなく、都市を「取り戻す」ための確実な行動が求められている。
アルトは夜明け前に、街の偵察に向かうため準備を整えた。装備は軽装、ただし剣と魔法の呪文は常に手元に置く。奪還の際に戦闘になる可能性も否定できないからだ。
馬車で街へ向かう間、彼は想像する。かつて見たあの噴水の周りの賑わい、石造りの道に響く子供たちの笑い声――今はそれが、恐怖と緊張に置き換わっているのだろうか。
街に到着すると、空気は静まり返り、ほんのわずかに緊張感が漂う。魔王軍の兵士たちは、表向きは市民に対して穏やかに振る舞っている。しかし、誰もが目を逸らすその裏で、監視と圧力が存在する。民の多くは、アルトの存在に気づいても、表情には喜びよりも警戒が浮かぶ。
「王国民は、望んでいる…。」アルトは心の中で自分自身に言い聞かせる。
民の多くは戦争を望まない。しかし、魔王軍による占領と影響が続けば、希望を奪われる。だからこそ、奪還は必要なのだ。
アルトは街の中心部に向かいながら、ギルドから得た情報をもとに、民間人の動向を観察する。商店の扉は閉ざされ、家々の窓は暗い。噂話や小さな声も慎重に漏れる程度。街全体が、戦争の影を背負っている。
「ここで戦わずして、何が英雄か…」アルトは独り言をつぶやく。胸に去来するのは、かつての平和な日々への思いと、民の未来を守りたいという決意。
夜が深まると、魔王軍の駐留部隊も活動を活発化させる。塔の明かりが一つ、また一つと灯り、監視の視線が街に広がる。アルトはその光を避けながら、街の隅々を歩き、住民の反応を確認する。小さな窓から覗く子供の目、家の中から聞こえる話し声。恐怖に押し潰されそうになりながらも、民はわずかな希望を抱いている。
アルトは立ち止まる。街を取り巻く塔の向こうには、魔王軍の軍旗が翻る。停戦状態とはいえ、彼らの存在は圧倒的な威圧を放つ。民の表情を読み取りながら、戦闘を避けつつ奪還を行う最適なルートを考える。
「戦うのは、民のため。自分のためじゃない。」アルトはそう心に刻み、街の外れにある高台から全体を見渡す。広がる家並みと静まり返った通り。かつての笑い声は消え、代わりに息をひそめる人々がそこにいる。
アルトは静かに剣を握る。その手に力が籠もる。民を守るため、平和都市を取り戻すため、今、彼は奪還の決意を固めた。
馬車を降り、街に足を踏み入れる。夜の冷気が肌を刺す。通りを歩く住民の視線が、かすかにアルトを追う。恐怖と希望、両方の入り混じる目だ。
「奪還の時は、もうすぐ。」アルトは心の中で呟き、歩みを進めた。街の奥、かつて自分が暮らした家々を背に、戦いの幕が、静かに上がろうとしている。
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