第19話 ep3 人食い噴水
19話「人食い噴水」
メッシュに案内され、俺は下ノ街の細い路地を歩いていた。昼間だというのに陽の光はほとんど届かず、空を仰げば、層状に重なる建物や吊り橋が覆いかぶさっている。上層から垂れ落ちる排水がぽたりぽたりと落ち、道の隅には溜まり水が黒ずんでいた。
「ここの名物はレミーシチュー、本物が食べたければ、上で食べることをおすすめするが、下だと一味違うんだ。」
そう言うと、メッシュは足を止め、屋台のような小さな店に立ち寄った。木の樽を切り開いた鍋からは、濃厚な香りが漂っている。だが同時に、何か獣臭い、鉄のような匂いも混ざっていた。
「ほい、奢りや。」
笑いながら差し出された器。俺は受け取ると、一瞬ためらったが、腹は正直だ。湯気の立つスープを口に含んだ。
「……うまい。」
素直に声が出た。濃い旨味が舌に絡み、体に染みわたる。あまりに自然な味わいで、俺は夢中でスプーンを動かしていた。
すると、メッシュがにやにやと口角を上げた。
「これな、安価で大量に作れて安い。だから下でも食える。」
「これは、何の肉だ?」
尋ねると、メッシュは肩をすくめ、軽く答えた。
「上の奴らは牛肉を使うそうだが、ここではネズミ、カエル、ヒビトや。」
「ヒビト?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめると、メッシュは当然というように指を差した。
そこにいたのは「人」だった。いや、外見だけは。肌は赤黒くただれ、瞳孔は縦に割れている。爪は獣のように鋭く、背骨は異様に盛り上がっていた。悪魔と人間が混ざり合ったようなその姿に、俺は息をのんだ。
胃の中で、さっき食べたシチューが反転する。喉を押さえ、堪えきれずに吐いた。
「おいおい、落ち着けや。言ったやろ? 上と同じと思うなって。しかも安心せえ、あんたが食ったのはカエル肉や。」
メッシュは真面目な顔に切り替わり、低く言った。
「ヒビト……。俺はその正体を追いかけとる探偵や。」
探偵。軽薄そうに見えた男の目に、初めて光るものを見た。真剣さと執念。俺は思わず息を呑んだ。
それからさらに奥へ進む。足場はぬかるみ、腐敗した木造の家々が並ぶ。やがて視界が開け、広場に出た。
「ここや。」
メッシュが指差したのは、中央にそびえる古びた噴水だった。石造りだが、苔と錆に覆われ、吐き出す水は濁っている。それでも、この地区の唯一の水源として、人々がひっきりなしに水瓶を抱えて並んでいた。
「下ノ街の名所や。人食い噴水。」
ぞっとする名前だ。
「ここで遊んでた子供が、時々、消えるんや。誰も見てへんのに、や。……俺はな、これがヒビトと関係あると思っとる。」
俺は噴水を凝視した。水面は濁って見えない。だが、確かにそこから冷気のような気配が漂っていた。
「ただの都市伝説じゃないのか?」
「せやったらええ。けどな、俺はこの目で見たんや。」
メッシュの声は低く震え、瞳の奥に影があった。
「夜中や。子供が水を汲んで、笑いながら走っとった。けど噴水に足をかけた途端、下から赤い腕みたいなもんが伸びてきて……引きずり込まれた。」
俺は言葉を失った。
「助けようとは?」
「助けたさ。けど周りの奴らは誰一人動かんかった。『またか』みたいな顔や。……この街はもう、諦めとる。」
静かな怒りがメッシュの声に宿る。俺は無意識に拳を握っていた。
すべてが繋がっている。直感が告げていた。
正教会。
あの巨大な白亜の建物の奥で、何かが動いている。
下ノ街で見たものを、俺は決して忘れないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます