第163話 ノルン、村人との交流

 ノルン・ユルゲンがニーベル村を訪れて二日目の朝。

 まだ太陽が山の上に昇りきらない淡い光の中、村の広場では既に人々が働き始めていた。


 そんな中、その中心でひときわ目立つ姿があった。


「ねぇ、もっと高く投げて!」

「できるかなぁ……ほらっ!」


 子どもたちに囲まれ、スカートを翻しながら笑っている少女――ノルンだ。

 昨日は貴族らしい気品を纏っていたが、今日は少し動きやすいワンピース姿。

 それだけで村人たちの印象は大きく変わっていた。


「令嬢さまが、あんなに元気に遊んでるぞ……」

「貴族なのに、偉そうなとこが全然ないなぁ」


 最初は遠巻きに見ていた村人たちでさえ、次第に笑顔を向けていく。


「ノルンお姉ちゃん、こっちも見て!」

「うふふ、全員の相手は出来ませんわよ? 一人ずつ、順番にね」


 ノルンは一人ひとりの名前を聞き、覚えようとし、丁寧に接する。

 その姿勢は自然で、嫌味がなく

 決して鼻にかけることのない柔らかさ。


 その光景を、アルフは少し離れた場所から見つめていた。


(……意外だな)


 貴族の令嬢だからもっと距離を置くか、あるいは見下すか。

 そう思っていた。しかし違う。

 ノルンは子どもたちの輪に入り、泥だらけになりながらも楽しそうに笑っている。


(根は……素直な子なんじゃないか)


 そんな感想さえ浮かぶほどだった。



 一方その視線の少し後ろで――

 シーナが細い目でノルンの様子をじっと観察していた。


「……楽しそうにしてますねえ、あのお嬢さま」


 ルカが隣から呑気に声をかける。

「シーナ、そんな睨まなくてもいいんじゃない?」


「睨んでません。ただ……笑顔の裏を読む癖がついてるだけですよ」


 シーナはさらりと言いながら、目線を固定したまま。

 その瞳の奥には冷静な光があった。


「……あの子は確かに愛想がいいです。でも、貴族の“愛想”ほど当てにならないものはありません」


「あー……まあ、それは、ね」


「アルフ様に近づこうとしているのは事実でしょう? 理由が“興味”だけとは限りません」


 シーナの言葉は鋭い。

 ルカは肩をすくめて笑ったが、どこか納得しつつもある。


「あれだけ人気の領主なら、そりゃそうかもねぇ」


「それに……アルフ様の反応が気になります」


「反応?」


「はい。……ちょっと、嬉しそうだった気がしません?」


 ルカは沈黙した。

 図星だった。



 そんな本人――アルフは、村の集会所でラファに呼び止められていた。


「アルフ様」


「ん? どうした、ラファ」


 ラファは薬草を抱えたまま、首をかしげる。


「ノルンさんって……悪い人じゃなさそうですよね」


「え?」


「ほら、子どもたちと遊んでる時の顔、すっごく優しくて。

 何か企んでる人なら、もっとわざとらしいはずです」


 ラファの言葉は、シーナとはまったく反対の印象。

 アルフは、両者の評価の差に苦笑した。


「……まあ、誰にでも裏も表もあるしな。ただ少なくとも、今は悪い人に見えないな」


「ですよね! 私、ちょっと好きかもしれません。あの人」


 ラファは無邪気に笑う。

 その笑顔を眺めながら、アルフはふと広場の方へ視線を戻した。


 ノルンが子どもたちに手を振り、笑い声が響く。


(……ああいう顔をするんだな。令嬢なのに、妙に肩の力が抜けてる)


 アルフの胸に小さなざわめきが生まれる。



 その後、ノルンは村の老夫婦の家を訪れたり、鍛冶場を見学したり、酒造場でロックに捕まって酒を飲まされそうになったり――

 いくつもの交流をこなすうちに、村人たちはすっかり彼女を受け入れつつあった。


「令嬢様なのに、気さくなお方だねぇ」

「笑顔が綺麗な子だな」

「王都の貴族はもっと冷たいと思ってた」


 ノルンはどこへ行っても丁寧で、よく笑い、よく話し、決して高慢な態度を取らない。

 その姿に、村人の偏見は一つずつ溶けていった。



 夕方。

 ノルンは広場のベンチに座り、赤い空を眺めながらアルフに告げた。


「……ここに居ると、なんだか“自由”になれる気がしますの」


 アルフは驚いて顔を向ける。

 ノルンの横顔には、少しだけ影があった。


「家では、どうしても“役割”がついて

まわりますのよ。

 家の名、立場、責任……。

 でもここでは、そんなものを気にせず、ただの『ノルン』としていられる」


 アルフは黙って耳を傾ける。

 夕陽がノルンの髪を淡く照らし、その表情はどこか解き放たれたように見えた。


「村人の皆さんも優しいですし……子どもたちも、精霊たちも。

 あなたも――そう」


「俺?」


 ノルンはふっと微笑む。

「ええ。あなたは“貴族の娘”として接してきませんもの。

 そういう人、あまりいませんわ」


 アルフは言葉に詰まる。

 だがノルンは続けた。


「だから……ここに来て、本当に良かったと思っていますわ」


 その言葉は、伯爵家の命令でも、建前でもなかった。

 純粋な本心。

 だからこそアルフの胸に響いた。


(この人……)


 ただの令嬢でも、ただの客人でもない。

 この村に何かを求めて来た一人の少女――そう感じた。



 その頃。

 少し離れた場所で、シーナが腕を組みながら呟いた。


「……悪い人では、ないのでしょうね。たぶん」


「お、珍しく評価甘め?」


「甘くないです。

 ただ……あれほど自然に村に馴染む令嬢は、逆に警戒すべきかと」


 ルカは苦笑い。

「シーナって、本当に人を疑うの得意だよねぇ」


「当然です。アルフ様の周りは危険だらけなんですから」


 そう言いつつも――

 シーナの表情には、ほんの少しだけ興味と好奇心が混ざっていた。



 夕陽が沈み、村を暖かい色に染める頃。

 ノルンは子どもたちに囲まれ、最後まで遊び相手を務めていた。


「ノルンお姉ちゃん、また遊んでくれる?」

「もちろんですわ。また明日ね」


 笑顔で手を振るその姿に、村人たちはすっかり魅了されていた。


「いい子だなぁ……貴族ってのも色々いるんだな」

「なんか、この村に合ってる感じがする」


 そんな声が自然と響く。


 ノルンはそれを聞きながら、そっと胸に手を当てた。


(……ここにいると、本当に……息がしやすい)


 その微笑みは、作り物ではなかった。


 そう――

 ノルンがこの村に来た理由は、父の命令だけではない。

 彼女自身の心が、変わりつつあったのだ。

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