第163話 ノルン、村人との交流
ノルン・ユルゲンがニーベル村を訪れて二日目の朝。
まだ太陽が山の上に昇りきらない淡い光の中、村の広場では既に人々が働き始めていた。
そんな中、その中心でひときわ目立つ姿があった。
「ねぇ、もっと高く投げて!」
「できるかなぁ……ほらっ!」
子どもたちに囲まれ、スカートを翻しながら笑っている少女――ノルンだ。
昨日は貴族らしい気品を纏っていたが、今日は少し動きやすいワンピース姿。
それだけで村人たちの印象は大きく変わっていた。
「令嬢さまが、あんなに元気に遊んでるぞ……」
「貴族なのに、偉そうなとこが全然ないなぁ」
最初は遠巻きに見ていた村人たちでさえ、次第に笑顔を向けていく。
「ノルンお姉ちゃん、こっちも見て!」
「うふふ、全員の相手は出来ませんわよ? 一人ずつ、順番にね」
ノルンは一人ひとりの名前を聞き、覚えようとし、丁寧に接する。
その姿勢は自然で、嫌味がなく
決して鼻にかけることのない柔らかさ。
その光景を、アルフは少し離れた場所から見つめていた。
(……意外だな)
貴族の令嬢だからもっと距離を置くか、あるいは見下すか。
そう思っていた。しかし違う。
ノルンは子どもたちの輪に入り、泥だらけになりながらも楽しそうに笑っている。
(根は……素直な子なんじゃないか)
そんな感想さえ浮かぶほどだった。
◆
一方その視線の少し後ろで――
シーナが細い目でノルンの様子をじっと観察していた。
「……楽しそうにしてますねえ、あのお嬢さま」
ルカが隣から呑気に声をかける。
「シーナ、そんな睨まなくてもいいんじゃない?」
「睨んでません。ただ……笑顔の裏を読む癖がついてるだけですよ」
シーナはさらりと言いながら、目線を固定したまま。
その瞳の奥には冷静な光があった。
「……あの子は確かに愛想がいいです。でも、貴族の“愛想”ほど当てにならないものはありません」
「あー……まあ、それは、ね」
「アルフ様に近づこうとしているのは事実でしょう? 理由が“興味”だけとは限りません」
シーナの言葉は鋭い。
ルカは肩をすくめて笑ったが、どこか納得しつつもある。
「あれだけ人気の領主なら、そりゃそうかもねぇ」
「それに……アルフ様の反応が気になります」
「反応?」
「はい。……ちょっと、嬉しそうだった気がしません?」
ルカは沈黙した。
図星だった。
◆
そんな本人――アルフは、村の集会所でラファに呼び止められていた。
「アルフ様」
「ん? どうした、ラファ」
ラファは薬草を抱えたまま、首をかしげる。
「ノルンさんって……悪い人じゃなさそうですよね」
「え?」
「ほら、子どもたちと遊んでる時の顔、すっごく優しくて。
何か企んでる人なら、もっとわざとらしいはずです」
ラファの言葉は、シーナとはまったく反対の印象。
アルフは、両者の評価の差に苦笑した。
「……まあ、誰にでも裏も表もあるしな。ただ少なくとも、今は悪い人に見えないな」
「ですよね! 私、ちょっと好きかもしれません。あの人」
ラファは無邪気に笑う。
その笑顔を眺めながら、アルフはふと広場の方へ視線を戻した。
ノルンが子どもたちに手を振り、笑い声が響く。
(……ああいう顔をするんだな。令嬢なのに、妙に肩の力が抜けてる)
アルフの胸に小さなざわめきが生まれる。
◆
その後、ノルンは村の老夫婦の家を訪れたり、鍛冶場を見学したり、酒造場でロックに捕まって酒を飲まされそうになったり――
いくつもの交流をこなすうちに、村人たちはすっかり彼女を受け入れつつあった。
「令嬢様なのに、気さくなお方だねぇ」
「笑顔が綺麗な子だな」
「王都の貴族はもっと冷たいと思ってた」
ノルンはどこへ行っても丁寧で、よく笑い、よく話し、決して高慢な態度を取らない。
その姿に、村人の偏見は一つずつ溶けていった。
◆
夕方。
ノルンは広場のベンチに座り、赤い空を眺めながらアルフに告げた。
「……ここに居ると、なんだか“自由”になれる気がしますの」
アルフは驚いて顔を向ける。
ノルンの横顔には、少しだけ影があった。
「家では、どうしても“役割”がついて
まわりますのよ。
家の名、立場、責任……。
でもここでは、そんなものを気にせず、ただの『ノルン』としていられる」
アルフは黙って耳を傾ける。
夕陽がノルンの髪を淡く照らし、その表情はどこか解き放たれたように見えた。
「村人の皆さんも優しいですし……子どもたちも、精霊たちも。
あなたも――そう」
「俺?」
ノルンはふっと微笑む。
「ええ。あなたは“貴族の娘”として接してきませんもの。
そういう人、あまりいませんわ」
アルフは言葉に詰まる。
だがノルンは続けた。
「だから……ここに来て、本当に良かったと思っていますわ」
その言葉は、伯爵家の命令でも、建前でもなかった。
純粋な本心。
だからこそアルフの胸に響いた。
(この人……)
ただの令嬢でも、ただの客人でもない。
この村に何かを求めて来た一人の少女――そう感じた。
◆
その頃。
少し離れた場所で、シーナが腕を組みながら呟いた。
「……悪い人では、ないのでしょうね。たぶん」
「お、珍しく評価甘め?」
「甘くないです。
ただ……あれほど自然に村に馴染む令嬢は、逆に警戒すべきかと」
ルカは苦笑い。
「シーナって、本当に人を疑うの得意だよねぇ」
「当然です。アルフ様の周りは危険だらけなんですから」
そう言いつつも――
シーナの表情には、ほんの少しだけ興味と好奇心が混ざっていた。
◆
夕陽が沈み、村を暖かい色に染める頃。
ノルンは子どもたちに囲まれ、最後まで遊び相手を務めていた。
「ノルンお姉ちゃん、また遊んでくれる?」
「もちろんですわ。また明日ね」
笑顔で手を振るその姿に、村人たちはすっかり魅了されていた。
「いい子だなぁ……貴族ってのも色々いるんだな」
「なんか、この村に合ってる感じがする」
そんな声が自然と響く。
ノルンはそれを聞きながら、そっと胸に手を当てた。
(……ここにいると、本当に……息がしやすい)
その微笑みは、作り物ではなかった。
そう――
ノルンがこの村に来た理由は、父の命令だけではない。
彼女自身の心が、変わりつつあったのだ。
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