第162話 ノルン、村を巡る

 ノルンがニーベル村へ到着してから、

まだ半日ほどしか経っていなかった。

 村人たちは貴族令嬢の急な来訪にそわそわし、アルフレート・マグナ――アルフ本人も、どうにも落ち着かない様子で村の広場を歩いていた。


「……それでは、少し村を案内しましょうか」

 結局、彼が折れた形だった。


 ノルンは深々と微笑み、スカートの裾を摘んで優雅に礼をする。

「ありがとうございますわ、アルフレート様。ぜひ拝見したくて」


 そのやり取りを、少し離れた場所でルカとルナがじと目で見ている。

「……絶対、ただの見学じゃないわよね」

「まあ、お兄様に近づきすぎなければ、だけど」

 二人はひそひそと囁き合っていたが、その声はしっかりノルンに届いていた。


 だが、ノルンは気にした素振りを見せない。

 それどころか――むしろ面白がっているように見える。



 まず向かったのは、村の畑だった。


 青々とした葉が広がり、風に揺れるたび精霊の光がきらりと弾ける。

 土が豊かで、作物が力強く伸びる様子が一目で分かる。

 ノルンは目を丸くした。


「……まあ。これほど整った畑、王都でも領主館でも見たことありませんわ」


「ここは精霊たちが協力してくれるんです。土の質も、ここ数年でさらに良くなって」


 アルフが説明すると、小さな土の精霊がぴょこんと顔を出し、ノルンの足元をちょろちょろと走った。

 ノルンは驚きつつも、しゃがみこんでその姿をじっと見つめる。


「なんて可愛らしい……触ってもよろしいの?」


「大丈夫ですよ。懐いているので」


 精霊の体に手を伸ばすと、まるで子犬のように頬を寄せてきた。

 ノルンはふわりと微笑む。

 その表情には、領主の娘ではなく、一人の少女としての素直な驚きと喜びが浮かんでいた。


「……本当に、不思議な場所ですのね」


 アルフは少し照れくさそうに笑う。

「皆の努力と、精霊たちのおかげですよ」


 その言葉に、ノルンはちらりとアルフを見つめた。

 優しい眼差しに、彼は気付かない。



 次に案内したのは果樹園だった。

 陽光を浴びて甘く香る果実がたわわに実り、子どもたちが籠を抱えて収穫を手伝っていた。


「アルフおにーちゃーん!」

 小さな女の子が駆け寄り、アルフの手にしがみつく。

「今日もいっぱい採れたよ!」


「おお、えらいな。怪我してないか?」


「してないー!」


 その微笑ましい光景に、ノルンは少し固まった。

「……随分と、慕われているのですわね」


「いえ、その……皆が良くしてくれるだけで」


 アルフが照れながら答える横で、果樹園の奥からシエラが人の姿で優雅に歩いてくる。

 白い髪が風に揺れ、光に溶けるように輝いていた。


「アルフ、ラファが薬草の仕分けを手伝ってほしいと――あら?」


 シエラはノルンを見ると、同じ女性としてじっと観察するように視線を向けた。


「この方は?」


「ユルゲン家の令嬢、ノルンさんだ」


 シエラは微笑み、手を差し出す。

「私はシエラ。この村でお世話になっている者よ」


「ご丁寧にありがとうございますわ。ノルン・ユルゲンと申します」


 ノルンは優雅に礼を返すが――内心では驚愕していた。


(この美しさ……本当に人間? カノン様やシオン様と並べば、まるで絵画ですわ……)


 シエラが去ると、ノルンはアルフへ視線を寄せる。


「……あの方も、あなたの“仲間”なのですの?」


「え、ええ。まぁ、仲間、ですね」


 苦笑するアルフの横顔を見て、ノルンは胸に小さな熱が灯るのを感じた。


(この人はいったい、どれだけの存在に慕われているの?)


 ユルゲン家の命令――“取り入れ”

 その利害は、いつの間にか頭から薄れつつあった。



 村の中央を歩くにつれ、ノルンがアルフに近づく距離は自然と短くなっていた。

 腕が触れそうなほど横に立ち、時折こちらを見上げてくる。


「ねぇ、アルフ様。この村……本当に素敵ですわね」


「あ、ああ……そう言っていただけると、うれしいですが」


「あなたが導いた村、ということですの?」


「俺は……皆が頑張っているだけで」


「謙遜ばかり。もっと誇ってもよろしいのですのに」


 その言い方が妙に甘く、アルフは思わず耳を赤くする。


(な、なんでこんなに距離が近いんだ……!?)


 そこへ――


「――近すぎませんか?」


 ルナがすっと二人の間に割って入った。

 ノルンは目をぱちぱちと瞬かせる。


「あら、そうかしら?」


「ええ、だいぶ、近いです」


 ルナは笑っているが、目が笑っていない。


 ノルンはくすりと微笑む。

「まあ……そういうことにしておきますわ」


 アルフは二人の女性に両側を固められ、完全に逃げ場を失っていた。



 案内が終わる頃には、ノルンの表情は最初とまったく違っていた。


(父の命令どころではないわ……

 この村にも、この人にも……

 心が惹かれてしまう――)


 しかし、それは口にしない。

 令嬢としての奥ゆかしさを保ったまま、ノルンは静かに一礼した。


「アルフ様。今日の案内……本当に楽しかったですわ」


「あ、ああ……それは良かった」


 夕陽の中、スカートを揺らし微笑む

ノルン

 その姿を見つめるアルフは、胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。


(この人……何か、ただの令嬢じゃない気がする)


 だがまだ、その本当の影に気付くのは少し先のことだった。

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