第162話 ノルン、村を巡る
ノルンがニーベル村へ到着してから、
まだ半日ほどしか経っていなかった。
村人たちは貴族令嬢の急な来訪にそわそわし、アルフレート・マグナ――アルフ本人も、どうにも落ち着かない様子で村の広場を歩いていた。
「……それでは、少し村を案内しましょうか」
結局、彼が折れた形だった。
ノルンは深々と微笑み、スカートの裾を摘んで優雅に礼をする。
「ありがとうございますわ、アルフレート様。ぜひ拝見したくて」
そのやり取りを、少し離れた場所でルカとルナがじと目で見ている。
「……絶対、ただの見学じゃないわよね」
「まあ、お兄様に近づきすぎなければ、だけど」
二人はひそひそと囁き合っていたが、その声はしっかりノルンに届いていた。
だが、ノルンは気にした素振りを見せない。
それどころか――むしろ面白がっているように見える。
◆
まず向かったのは、村の畑だった。
青々とした葉が広がり、風に揺れるたび精霊の光がきらりと弾ける。
土が豊かで、作物が力強く伸びる様子が一目で分かる。
ノルンは目を丸くした。
「……まあ。これほど整った畑、王都でも領主館でも見たことありませんわ」
「ここは精霊たちが協力してくれるんです。土の質も、ここ数年でさらに良くなって」
アルフが説明すると、小さな土の精霊がぴょこんと顔を出し、ノルンの足元をちょろちょろと走った。
ノルンは驚きつつも、しゃがみこんでその姿をじっと見つめる。
「なんて可愛らしい……触ってもよろしいの?」
「大丈夫ですよ。懐いているので」
精霊の体に手を伸ばすと、まるで子犬のように頬を寄せてきた。
ノルンはふわりと微笑む。
その表情には、領主の娘ではなく、一人の少女としての素直な驚きと喜びが浮かんでいた。
「……本当に、不思議な場所ですのね」
アルフは少し照れくさそうに笑う。
「皆の努力と、精霊たちのおかげですよ」
その言葉に、ノルンはちらりとアルフを見つめた。
優しい眼差しに、彼は気付かない。
◆
次に案内したのは果樹園だった。
陽光を浴びて甘く香る果実がたわわに実り、子どもたちが籠を抱えて収穫を手伝っていた。
「アルフおにーちゃーん!」
小さな女の子が駆け寄り、アルフの手にしがみつく。
「今日もいっぱい採れたよ!」
「おお、えらいな。怪我してないか?」
「してないー!」
その微笑ましい光景に、ノルンは少し固まった。
「……随分と、慕われているのですわね」
「いえ、その……皆が良くしてくれるだけで」
アルフが照れながら答える横で、果樹園の奥からシエラが人の姿で優雅に歩いてくる。
白い髪が風に揺れ、光に溶けるように輝いていた。
「アルフ、ラファが薬草の仕分けを手伝ってほしいと――あら?」
シエラはノルンを見ると、同じ女性としてじっと観察するように視線を向けた。
「この方は?」
「ユルゲン家の令嬢、ノルンさんだ」
シエラは微笑み、手を差し出す。
「私はシエラ。この村でお世話になっている者よ」
「ご丁寧にありがとうございますわ。ノルン・ユルゲンと申します」
ノルンは優雅に礼を返すが――内心では驚愕していた。
(この美しさ……本当に人間? カノン様やシオン様と並べば、まるで絵画ですわ……)
シエラが去ると、ノルンはアルフへ視線を寄せる。
「……あの方も、あなたの“仲間”なのですの?」
「え、ええ。まぁ、仲間、ですね」
苦笑するアルフの横顔を見て、ノルンは胸に小さな熱が灯るのを感じた。
(この人はいったい、どれだけの存在に慕われているの?)
ユルゲン家の命令――“取り入れ”
その利害は、いつの間にか頭から薄れつつあった。
◆
村の中央を歩くにつれ、ノルンがアルフに近づく距離は自然と短くなっていた。
腕が触れそうなほど横に立ち、時折こちらを見上げてくる。
「ねぇ、アルフ様。この村……本当に素敵ですわね」
「あ、ああ……そう言っていただけると、うれしいですが」
「あなたが導いた村、ということですの?」
「俺は……皆が頑張っているだけで」
「謙遜ばかり。もっと誇ってもよろしいのですのに」
その言い方が妙に甘く、アルフは思わず耳を赤くする。
(な、なんでこんなに距離が近いんだ……!?)
そこへ――
「――近すぎませんか?」
ルナがすっと二人の間に割って入った。
ノルンは目をぱちぱちと瞬かせる。
「あら、そうかしら?」
「ええ、だいぶ、近いです」
ルナは笑っているが、目が笑っていない。
ノルンはくすりと微笑む。
「まあ……そういうことにしておきますわ」
アルフは二人の女性に両側を固められ、完全に逃げ場を失っていた。
◆
案内が終わる頃には、ノルンの表情は最初とまったく違っていた。
(父の命令どころではないわ……
この村にも、この人にも……
心が惹かれてしまう――)
しかし、それは口にしない。
令嬢としての奥ゆかしさを保ったまま、ノルンは静かに一礼した。
「アルフ様。今日の案内……本当に楽しかったですわ」
「あ、ああ……それは良かった」
夕陽の中、スカートを揺らし微笑む
ノルン
その姿を見つめるアルフは、胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
(この人……何か、ただの令嬢じゃない気がする)
だがまだ、その本当の影に気付くのは少し先のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます