静かな夜、君を想う

 ――なんでこんな時にあなたの夢を見るんだろう。


 時計の針だけ響く静寂に私は目を覚ました。

 夢で見た光景――あなたの少しニヒルな笑顔や、触れた温もりが鮮明に蘇る。

 はっとして首を横に振る。

 違う。あの日々は遠いあの日に終わったもの。

 そっとカーテンを開け空を見る。

 一面のミッドナイトブルーにぽつ、ぽつと星が浮かぶ。


 しんとした部屋で再び眠る気をなくした私はあえてコーヒーを淹れる。

 静かにドリップされたそれはほろ苦く、まるで気持ちだけあの頃にタイムスリップをしたかのよう。

 私は静かにヘッドホンを着け、スマホから音楽を流す。

 あえてあの頃よく聴いた曲。あなたと過ごした日々が走馬灯のように思い出される。


 私に触れた、細くて少しごつごつとした手。

 よく通る、少し斜めにみたようなあなたの声や、口調。

 にかっと笑う笑顔は思い出せるのに、あなたの姿形はぼやけて輪郭を持たない。

 ――あなたと離れて、そんなに時間が経ったのか。

 連絡が来るたび、心が跳ねたあの日、ひとつひとつに不安だったり嬉しかったり気持ちが忙しかったな。

 記憶の断片に私は苦笑いする。


 コーヒーの温かさがじわりと全身に染みわたる。

 あの日の温もりも痛みさえ遠いあの日に置いてきたはずだったのに。


「――遙華はるか


 私を呼ぶ声だけは今もここに響いてきそうで。

 つーっと熱を持った雫が頬を伝う。


 最後の着信に気づいていたのに、私は答えることをしなかった。

 私たちの関係は最後まで答えが出ることはなかった。

 ただ、たまに必要とし合うだけのほどけそうでほどけない関係。

 でも、あなたがある日電話でぽつりとこぼした言葉だけは今も覚えている。


 「……遙華、結婚しよう。こっちに来い」

 あなたはいつも不安定な時に軽口を言う。

 あの日も、いつもの軽口だと思っていたのに胸がじわりと熱くなった。

 答えは出せなかった。どうせ気まぐれだ、振り回されるのは私だってわかってた。

 だからあの日言葉を濁しはぐらかした。


 それからしばらく、私はコーヒーを飲み終えても動けずにいた。

 静まり返った部屋の中で、時計の秒針だけが小さく響く。

 

 ――もし、もう一度だけ夢で逢えるなら。

 あなたはどんな顔をして、私を呼ぶのだろう。

 あの夜みたいに、気まぐれな笑みを浮かべるのだろうか。


 窓の外には、さっきよりも濃いミッドナイトブルーが広がっている。

 私はそっと手を伸ばした。

 そこにあなたがいるような。でも当然、何も触れられない。


 画面の中の最後の着信履歴を、私は指でなぞる。

 数字の並びが滲んで見えた。

 もし、あの時「行く」と言えていたら――今もこの部屋で、あなたの声を聞けていたのかな。


 星がひとつ、瞬いた。

 私はコーヒーの冷めた香りを胸いっぱいに吸い込み、小さく笑った。

 

 ――今夜もきっと、夢の中であなたに呼ばれる。


 多分、それで、いい。

 届かない距離で今も心の底であなたを呼び続ける。

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