巣食う

 暗い廊下だ。壁にかけられた一本の蝋燭ろうそくだけが、あたりを淡く照らしている。

 廊下の奥は見えず、全容が把握できない。

 あの倉庫から想像できないほど広い空間なのは確かだ。


 女は立ち止まり、こちらを向いている。


「……なんで」


 着いてきたのか、と言いたいんだろう。

 思うに、ここはムクロの拠点に続く廊下で、つまり、ムクロの支配下なんだ。ここまで来れば着いてこないと思ったに違いない。みんなのように、ムクロに目をつけられないよう諦めると。自分を見捨てて逃げ帰ると。


 そうはいくか。泣いているところを、力のない目を、頬の痣を見たんだ。

 今コイツを見捨てたら、俺は俺を好きでいられない。一生コイツの影に付き纏われる。

 そんなのごめんだ。


「俺さ。三日前にここに来たばっかりで、まだ何もわかってないんだ。役に立たないかもしれない。足手纏いになるかもしれない」


 脈が速くなる。


「——でも、泣いてる人を放ってはおけないよ。力になりたい。それヽヽ、ムクロにやられたんだろ」


 頬の痣を隠し、下を向く。

 ——やっぱりそうだ。アイツにやられたんだ。


「何か手伝わせてくれないか」


 祈るような思いで、一歩近付く。

 後退らない。


 少なくとも、拒絶はされていないはずだ。


 手を差し出す。


「俺は灯真とうま。佐々木灯真だ。君は?」


 握り返す手はないけれど、小さく息を吸う音がした。


「……ツクモ……です」


 顔を上げ、こちらを見る。


「良い名前だ」


 もう一歩近付く。


 ツクモが恐る恐る手を差し出して、そっと、俺の手を握った。


「ツクモはさ。好きなものとかあるのか?」

「えっと……えっと、焼き菓子……とか」

「そっか、甘いの好きなんだな。ここで焼き菓子なんて食べれるのか?」

「たまに……」

「へえ。探しに行ってみるか」


 ツクモから目を離さないよう、細心の注意を払いながら、少しずつ言葉を重ねる。

 せっかく好きなものを教えてくれたんだ。どうせなら見つけに行きたい。

 倉庫に向かおうとする俺を、ツクモが呼び止めた。


「っあの……あの、トウマさん、私」


 蝋燭ろうそくの火が消える。


「——ツクモ、大丈夫か?」


 返事がない。


 壁伝いになんとか隠し扉を開け、光源を確保する。

 倉庫から漏れ出す光が、廊下を煌々と照らした。


 ツクモの姿はない。

 その代わり、古びた赤いカーペットに、ブクブクと黒い染みが残されていた。


 長い廊下の先に、ひとつだけ扉が見える。とすると、あれが、ムクロの拠点なんだろう。


 悩んでいる時間はないと思った。

 俺は弱い。悩み出したら、きっと、あれこれ理由をつけてツクモを見捨ててしまうだろう。昔からそうだった。逃げ癖があるんだ。楽な方に逃げることしかできない。絶対にダメなことだとわかっていても決断できない。親の財布を盗み、黙って祭りに行ったあの日から、俺はずっと変わっていない。


 ルイに言えば止められるだろう。他に知り合いもいない。このまま行くしかないんだ、一人でも。

 ツクモもハナモモも、一人で耐えているんだ。俺が頑張れないでどうする。


 廊下を進む。


 でも、行って、どうにかなるんだろうか。現に目の前でハナモモやツクモが攫われても俺にはなにもできなかった。あの影の力を使われたら、ムクロを捕まえることすらできないぞ、俺には。

 頭が言い訳で満たされる。


 いや、いいんだ。それでいい。何もできなくたって、行くことに意味があるんだ、そうだろ。放っておいたってなにも変わらないだろう。


 自分に言い聞かせ、果てしなく思える長い廊下を、一歩ずつ進んでいく。


 大きな白い扉だ。鍵はない。本当に開けられてしまう。当然、誰も止めに来たりはしない。

 覚悟を決める。


 ギィと音を立てて、扉が開いた。


 屋敷だ。

 大きな屋敷の玄関ホールのような、広く、重厚感のある空間。三階まで続く吹き抜けの天井には、大広間と同じシャンデリアが吊り下げられている。

 壁にはステンドグラスの——窓か?


 ハウスの中に、こんな空間があったのか。ムクロって奴は何者なんだ。なんで誰もこの場所を知らないんだ?


 片っ端からドアを開けて回る。どこも同じような作りで、四畳半ほどの狭い部屋にベッドやテーブルが置いてあるだけだ。家具は埃を被り、長年使われていないことがわかる。


 螺旋らせん階段を登る。


 二階も同じようなものだ。廃墟かなにかだと言われたほうがまだ納得がいく。

 本当に、ここがムクロの拠点なのか?


 さらに階段を登る。


 三階の初めの扉を開く。

 倉庫だ。四階の小倉庫をもう少し小綺麗にしたような雰囲気で、食料や衣服が保管されている。


 雰囲気が変わってきた。

 確かにこれなら、人が住んでいたっておかしくない。


 二つ、三つ……扉を開けていくうちに、少しずつ、生活感が増していく。

 八つ目の部屋にはキッチンまであった。


 探し続けること、およそ三十分。

 五階まで登ったところに、その部屋はあった。


 物置きのような部屋だ。倉庫とすら呼べない。使いものにならないガラクタや、壊れた家具を詰め込んでいるんだろう。

 その部屋の中に、ツクモはいた。


 積み上げられたボロボロの布団に体を預けるように、ぐったりと座り込んでいる。

 息が浅い。

 ——この短い時間で、何があったんだ。


 ツクモを抱え、ムクロの拠点をあとにした。

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ハウス 霜月亥 @shimotsuki_kai

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