傀儡

 アヤヽヽという言葉に反応して、リリィが床に飛び降りる。

 コイツ自力で立てたのか。


 黒いドレスから伸びる細い脚。心なしか足取りがおぼつかない。


 眉をひそめるアゲハをよそに、リリィは俺に歩み寄り——そのまま、武器を持った男にひょいとかかえられた。

 不満げなリリィを、男が「危ないことはするな」と宥めている。


「——失礼いたしました」


 アゲハが再び笑みを貼り付ける。


「恐れ入りますが、もう一点だけ確認させていただきます。アヤ様のご遺体をご覧になった際、その場にどなたがいらっしゃったか、教えていただけますか」


 アゲハが目を細める。


 逃がす気はない、という目だ。俺は詳しいんだ、こういう目つきには。

 獲物を待つ猛獣の目。ねちっこい蛇の目。望む答えが返ってくるまで何時間でも何日でも居座ってやるという、ジャーナリストの目——。


「……俺と、ルイとミノリ。あと、ハナモモとタルト、キーゼルって奴もいた。名前を言ってもわからないかもしれないけど」

「いえ、問題ございません」


 アゲハが手帳を取り出し、さらさらと何かを書き込んでいる。俺の言った名前をメモしているんだろう。


「お忙しい中ご協力いただきありがとうございました。よろしければ私共も、あなた様のお探し物に協力いたしましょう」


 メモを取っていたのとは別のページを開き、手帳を俺の前に広げる。

 黄ばんだ紙に、見たことのない文字がぎっしり詰め込まれている。アルファベットよりは日本語に近いが、日本語とも違う。

 絵や図も書かれているが、字が読めないのでなんとなくしか意味を読み取れない。ひとつは見取り図だろうか。


「確か、ムクロについてお調べとのこと。こちらは私の世界ヽヽヽヽの文字で記された資料ですので、お役に立たないかもしれませんが……ムクロはこの一階に棲んでいると、私は考えております」

「……一階に?」

「ええ。もっとも、ムクロが人間なのかは分かりかねますが」


 アゲハが大倉庫のひとつを指差す。

 さっき俺が行ったところだ。「E」と書かれた木札のかかった、階段に一番近い扉。


「あの大倉庫のどこかに隠し扉が用意されている可能性が高い、というのが私の見解です」


 何かを考える前に足が動いていた。そういえば朝から何も食べてないな、と思ったが、今更食べる気にもなれない。

 振り返って「ありがとう」とだけ伝え、「E」の倉庫に走った。




 扉を開く。

 無造作に積み上げられた木箱、その間にかけられた不釣り合いなレースカーテン。さっきと変わったところはない。


 よく見ると、木箱の間に本がこれでもかと積み上げられている。もしかして、ここは書庫なのか?

 書庫に隠し扉。ゲームや漫画ではありがちだが、実際に目にするのはこれが初めてだ。特定の本の背表紙がスイッチになっているパターンだろうか。


 ここは人目がない。アゲハに嵌められていたら終わりだな、と思いながら、手当たり次第に背表紙を押してみる。


 変化はない。


 とすると、特定の本を抜き取ると扉が開くパターンだろうか。本棚と違って、縦に積み上げられている本から一冊を抜き取るのは難しいか。


 念のため、本をいくつかバラしてみる。

 変化はない。


 床板をあちこちぐっと踏んでみたり、壁を端から叩いて回ってみたりする。

 変化はない。


 ウォールランプを押し上げたり、下に引っ張ったりしてみる。


 ガチャ。


 どこかで鍵が開く音が鳴ったかと思うと、今度はギィと軋む音がする。音の方を振り返ると、壁の一部が開いていた。

 あった。本当にあったのか、隠し扉。案外早く見たかったな。


 扉の向こうに誰かいる。


 白い髪、緑色のスカート——。

 さっき泣いていた女だ。戻ってきたのか。


「……また会ったな。あのさ……さっきの、大丈夫だったか? あれってムクロの影だよな。もしかしてお前の知り合いが襲われたのか?」


 違和感。

 いや、おかしいだろ。なんで隠し扉の向こうにいたんだ、コイツ。


 女は俯いたまま、じっと黙り込んでいる。


「おい……大丈夫か?」


 女が顔を上げる。


 傷跡。顔にあざがある。さっきは怪我なんてしていなかったはずだ。

 この短い時間でついた傷。隠し扉の向こうに広がる空間。それが何を意味するのか——。


 答えに辿り着く前に、女が口を開いた。


「……ムクロのこと……私たちヽヽヽのこと、調べるのはもうやめてください。お願い……」


 目を逸らしながら、力のない声で訴える。


 意思を感じられない。まるで、誰かヽヽに言わされているみたいだ。

 いや、違う。「まるで」「誰かに」じゃない。きっとムクロに言わされているんだ。

 頬の痣がその証明だ。隠し扉の向こうから出てきたことも。


 コイツが脅されてムクロの手足にされているのなら、ムクロ自身は表に姿を現さなくても生きていける。いまだに素性がわからないのも辻褄が合う。


 だとしたら、だとしたらさっきコイツの前に立っていたのは——ムクロか?


「っあのさ」


 声をかけようとして、首を振られる。


「大丈夫だから……出ていってください……」


 女は俯いて、また黙り込んでしまった。

 一度引くしかないか。


 俺の諦めを悟ってか、女がくるりと踵を返す。


 俺は倉庫を飛び出し、隠し扉に消える女を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る