白百合
胸がザワつく。それでいいのか、本当に。この先もハウスで何か起こるたびに、放っておくべきだ、それが合理的だと目を瞑るのか。
俺は、そんな自分で生きていけるのか。
扉を開ける。
大広間には、相変わらず変な風貌のヤツが何人も行き来している。よく見るとわりと普通の見た目をしてるのも居るな。
この中に、ムクロがいるかもしれないのか。
闇雲に探したって仕方ない。こういうのは、まず情報収集から始めるべきだ。住んでいる階層もわからないんじゃ、この巨大建築からたったひとりを見つけ出すなんて不可能だからな。
ルイの話の通りなら、ムクロはそこそこ有名なはずだ。ムクロに襲われた被害者がたくさんいるってことは、その知り合いもたくさんいるってことになる。有名じゃないはずがない。
そして、ムクロが
迷っている時間がもったいない。
目に付く人に、片っ端から声をかけよう。まずは地道な聞き取りだ。
「あの」
頭に翼の生えた、背の高い女に声をかける。
「突然すみません。ムクロって奴を探してるんですけど」
女は心なしか呆れた目をして、ため息を吐いて背を向けた。
エルフのような耳の生えた女に声をかける。
怯えた目をして、「すみません……」とどこかに逃げていった。
ローブの老人に声をかける。
そんなことより本を読めと、小一時間説教された。
駆け回る子供に声をかける。
むっと眉をひそめ、「ムクロの話はしちゃいけないんだよ。おじさん知らないの?」と怒られた。
おじさんってなんだよ。俺は二十二だぞ。
でも、そうか。ムクロの話はしちゃいけないか。あの口ぶり、きっと身近な大人にそう言い含められているんだろうな。
聞き取りで情報を集めるのは難しそうだ。
頭を抱え立ち止まる。
ムクロではなく、あの影を追ってみるか? なにか法則が見つかるかもしれない。
もしくは、全ての階層を地道に探し回るか。果てしなく時間がかかりそうだ、その間に手遅れになってしまう——。
「——探しものをしているのね、お兄さん。でも少し
背後から、鈴の音のような声がする。
子供だ。咄嗟に振り向いた俺の眼前にいるのは、タルトよりももう少し幼い、黒いドレスの子供。リリィという名前なんだろう。それから、リリィを抱えるスーツの男と、傍に立つ武器を持った男。
三人とも知らない顔だ。四階の住人ではないのだろう。初日のホールにもいなかった。
こんなところで時間を取られている場合ではないが、男の携帯する銃や刃物が体をこわばらせる。
「……悪いけど、今あまり時間がないんだ。できれば手短に済ませてもらえると助かるんだけど」
リリィがスーツの男と目を合わせる。
それを合図に、スーツの男がにっこりと微笑み、俺の目を見て口を開いた。
「聡明なご判断に感謝いたします。では主に代わり、
アゲハと名乗ったその男が、貼り付けた笑みのまま続ける。
「先日、あなた様が
——アヤの件か。
ハウスに来たばかりの、まだ人脈も信頼もない俺が、人が死んだ直後の喧騒にちょうど巻き込まれたんだ。疑うのも無理はない。
「……事実だ。確かに俺は大門にいた」
リリィも武器を持った男も表情ひとつ変えず、じっとこちらの様子を伺っている。アゲハは貼り付けた笑みのまま、眉ひとつ動かさない。
額に汗が滲む。
なんで三日も経って、今更アヤのことなんか調べてるんだよ。俺に聞いたってなんの情報も出ないぞ。
「ありがとうございます。では、その折に何をなさっていたのか、何を見聞きされたのか、可能な限り
アゲハが蛇のように俺を見据える。
「っいやあ、何って言われたって」
薄紫色のワンピース、艶やかな黒髪。ぐったりと横たう女の死体。
広いホール、祭壇のような建造物。
罵声、怒号、ハナモモのすすり泣く声。
アレを、どう説明しろっていうんだ。
「……死体……死体を見た。ただ倒れてるんだと思ったけど、そうじゃなかった。俺はなにもしてない、ただ居合わせただけだ。知らない奴らが口論してたけど内容は聞いてなかった」
吐きそうな胃を押さえながら、ただ淡々と、ありのままを説明する。嘘は吐いていない。けど、事細かに説明してやるつもりはない。そもそも事細かに思い出したくもない。
向こうの怒りに触れないよう、必要最低限のことを話すだけだ。
「左様で……まずはお悔やみ申し上げます。どなたのご遺体をご覧になったのですか?」
リリィが、アゲハの服をぎゅっと掴む。
「——アヤって奴のだよ」
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