四階

 簡素な扉に、キャラクターもののシールがたくさん貼られている。よく見るとドアノブがない。引き戸のようだ。

 建て付けの悪そうなその戸をルイが開く。


 四畳半ほどの薄暗い部屋。照明はあるが、天井まで届く棚のせいで明かりがうまく届いていない。棚に並ぶ箱はまるで統一性がなく、木やラタン、プラスチック、紙製のものまである。

 ほとんど隙間なく並べられた棚のうち、いくつかにはリボンやぬいぐるみのキーホルダーが吊り下げられていた。


「これが四階の小倉庫しょうそうこ。欲しいものがあったらまずここに来るといいよ。ここになかったら大倉庫まで探しに行くか……うーん、初めのうちは僕に言ってくれたら用意するよ」


 ルイは棚からジャムを手に取ると、小倉庫を出て戸を閉じた。


「はい、これでだいたい全部教えたかな。どう、なにか聞いておきたいことある?」

「正直聞きたいことだらけなんだけど、とりあえず——」


 ガコン。大きな音に遮られ、思わず振り返る。

 長い廊下の先、さっきエレベーターを降りたあたりに人影が見えた。そうか、エレベーターが到着した音か。


 人影がこっちに向かってくる。慣れた足取りだ、四階の住人だろうか。

 口を開こうとすると、ルイに止められた。


 長身の男だ。百八十センチはある。なにか抱えている。布に覆われて見えないが、かなり大きい。

 男が近付く。酷い顔だ、さっきまで泣いていたのだろう。鼻先が赤くなり、頬に涙の跡がある。

 布の隙間から、艶やかな黒髪が覗く。抱えているのは——人か?


ノエルヽヽヽ、大丈夫?」


 ルイが口を開く。

 返事はない。


「あんまり思い詰めないようにね。必要なら僕も助けになるから」


 ルイが続ける。


「……ゆっくり休んで。ちゃんとご飯食べるんだよ、食欲ないだろうけどさ」


 返事はない。


 長身の男は、俺たちよりも少し手前の扉に入る。

 男が入っていった扉には、赤いペンでいくつかの絵が描かれていた。ジンジャーブレッドマン、キャンディケイン、ヒイラギ。雪を被った民家や、マフラーを巻いたヒツジ——。

 かわいらしい絵だ。クリスマスが好きなんだろうか。ノエルという名のようだし、クリスマスに思い入れがあるのかもしれない。


 ため息が聞こえて振り返ると、ルイが思い詰めた顔をしていた。


「……知り合いか?」


 思わず尋ねる。


「あ、ごめん。えっと、四階に住んでる人だよ。ノエル。いい人なんだけど……今はあんまり関わんないほうがいいかも」


 だろうな、という言葉を飲み込んで、「なにかあったのか?」と聞く。

 いや、聞くまでもない。わかっていたはずなんだ。艶やかな黒髪、ぐったりと動かない人。布で覆って、ソレヽヽを抱える理由。あの涙の跡も——。


 ルイはしばらく黙り込んで、小さな声で言う。


「大門でさ、死んでた子いるでしょ。あの子の友達だったんだよね」


 空気が冷たくなる。そう、わかっていたんだ。わかっていたはずなんだけど、いたたまれない。

 薄紫色のワンピース。艶やかな黒髪。ぐったりと動かない白い腕。あのふたつ結びの死体ヽヽにだって、もちろん人生があって、友達や家族がいて、そして、その死を悼む人だっているんだ。

 それを、突きつけられた思いだった。


 わざわざ思い知るまでもない、当然のことだ。当然のことなのに。


 胸のあたりがざわざわと痛む。それを察してか、一段と明るい声で、ルイが俺の名前を呼ぶ。


「君さえよければさ、ここに住みなよ。さっき言おうと思ってたんだ」


 ルイは廊下を引き返し、黒い扉に手をかける。


「ずいぶん前から使われてない。家具も揃ってるしちょうどいいんじゃないかな。僕の部屋、この隣だからさ。困ったことがあったらすぐ来れるし」


 小さく軋んで、扉が開く。

 八畳ほどの部屋に、机と二脚の椅子、ソファ、ベッド、クローゼット、木の枝を組んで作られたハンガーラックのようなもの、三つの花瓶が、おしゃれに配置されている。壁には額縁がかけられているが、中にはなにも入っていない。

 ソファには男性モノのコートが一着脱ぎ捨てられていて、床にはカーペットまで敷かれている。


 ずいぶん前から使われてない。その言葉が信じられないくらい、良い部屋だ。少し古びた感じはするが、むしろそれがですらある。


「——どうかな。もちろん、他に住みたい階層があるならいいんだけど」


 ルイが


 他に住みたい階層か。確かに魅力的な階層はたくさんあった。賑やかで娯楽に事欠かない八階、草花で彩られた十一階、物資の豊富な二階——。わざわざこんなに物寂しい階層に住む必要はないかもしれない。

 だけど。


「そうだな、ここに住むよ。ハウスに永住する流れになってること自体が不満だけど、どうせ住むならここがいい。なんとなく懐かしい雰囲気が超良い。お前が近くに住んでるのも安心だし」


 俺の言葉を聞いて、ルイがにっと微笑む。差し出される手を握り返して、俺も口角を上げた。


「改めてよろしくね、トウマ」

「こちらこそ。頼りにしてるよ、お隣さんとして」

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