第一節

ルイ

「さっきはごめんねー、びっくりしたでしょ」


 ——その男はルイヽヽと名乗った。


 遡ること二十分。

 俺に詰め寄るキーゼルを瞬く間に丸め込み、一体どうやったのか、あの物騒な会合を一発で解散させてくれたのが、この男だ。鮮やかな橙色の髪が目に眩しい。


 ルイは「場所を変えよう」と俺を連れ出し、この部屋に連れてきてくれた。といっても、ここもどこかわからないんだけど。少なくともさっきのホールよりはマシだ。

 ホテルのロビーのように、ソファやテーブルがいくつも置いてある。ただし、家具はどれも全く別のデザインのもので、全体的にチグハグな雰囲気だ。天井からはシャンデリアが吊り下げられている。


 促されるまま、俺は一脚のソファに腰掛ける。


 ソファの座り心地は悪くないが、居心地は悪い。

 正面にルイが座っているからだ。今日会ったばかりの男と目が合いっぱなしというのは、なんとも落ち着かない。

 いや、違う。違う、そんなことよりも、ルイの隣に座っているヤツが問題だ。


 さっきのホールにもいた、ボブヘアの女。歳はおそらく二十歳くらい。紺色の上品な服を着て、アイドルのような華やかな顔をしている。

 ときどきルイとアイコンタクトをとりながら、自身は一言も話さない。暗い奴だ。

 が、有り体に言うと、かなりかわいい。ので、ルイの話に集中できない。実を言うと、俺はあまり女慣れしていないほうというか、いや、もっと言うと、人慣れすらしていないというか——。


「あんまり気にしなくていいからね。君はなにも関係ないんだし」


 俺の思考を遮るように、にこにこと胡散臭くルイが言う。


 いや、気にしないでいられるものか。人が死んだんだぞ。それどころじゃない、人が人を殺したって言ったんだぞ、キーゼルの奴。


 ルイは俺の思いを感じ取ってか、あははと誤魔化すように笑う。


「生きづらそうだねえ、君。こういう時はなにも聞かなかったことにするのがいいよ。覚えてたら頭から離れないでしょ。見ちゃってるし、死体」


 背筋がひゅっと冷えて、俺は思わずソファの縁を掴んだ。

 死体——。そう、俺が見たのは死体だったんだ。


 薄紫色の柔らかいワンピースを着た、ふたつ結びの女。ホールの端のほうで横たわって、ぴくりとも動かなかった。

 アレは、死体だったんだ。


 ルイの言葉で、どうしようもなく実感が湧く。「あーごめんね、思い出させちゃったね」なんて言っているが、もう遅い。ルイの声が遠く聞こえる。

 そうか、これがトラウマってやつか——、なんて妙に冷静に考えながら、吐きそうな胃がぐるぐる鳴っている。


 波が引くまで、五分はかかった。

 その間に用意されていた水を飲み、ぐっと下を向き、ため息をひとつ。


「ごめんごめん。ちょっと無神経だった」

「——いやほんと……勘弁してくれよ……」


 少しずつ頭痛が遠のく。ふと顔を上げると、ルイがずいぶん困った顔をしているのが見えて、なんというか、怒るに怒れなくなってしまった。

 あんなに呑気な声を出しながら、こんなに困った顔をしていたんだな、コイツ。


 思ったより良い奴なのかもな、と思いながら、もう一口だけ水を飲む。


「……まあ、なんか。もういいよ。そんな顔するなって」


 思わず慰めると、「そんなに変な顔してた?」とルイが笑う。そのまましばらく考え込むと、うーんと唸って、また胡散臭く笑った。


「とはいえ、無神経なこと言ったのは事実だからさ。お詫びにちょっとここヽヽのこと教えてあげるよ」


 ルイは立ち上がり、黙ってテーブルの上の水を手に取ると、無言でそれを隣の女に差し出す。女は女で、当然のようにそれを受け取りながら、ゆっくりと立ち上がった。


 ルイの部下かなにかなのかもしれない。さっきのホールでも、ずっとルイの隣に立っていたし。


「——あ、そうだ。その前に僕らの自己紹介だよね。うん、忘れてた。まだ僕の名前しか教えてなかったっけ」


 そう言ってまたソファに腰掛けると、少し前屈みになって、あの胡散臭い笑みを貼り付ける。


「改めまして、僕はルイだよ。それなりに頭がいいから、なんかあったら頼ってくれていいからね。なんの約束もできないけど」


 できる限り頑張るよ、と付け加えて、ルイがこちらに手を差し出す。

 それなりに頭がいいって、すごい自己紹介だな。能ある鷹は爪を隠すの真逆をいくような奴だ。


 俺はルイの手を握り返すと、できるだけ、努めて明るい声で続けた。


「ありがとう。俺は灯真とうま、佐々木灯真だ。ええと……特に何も……できることはないし、頼られても多分返せないんだけど……困った時はお互い様だと思ってるから。俺にできることがあったらなんでも言ってほしい」


 自己紹介なんて長らくしていなかったので、耳がじわじわ熱を持つ。二十二歳にもなって、あまりに辿々しい。恥だ。


「……トウマ——うん、いい名前だね。頼りにしてるよ、これからよろしく」

「こちらこそ」


 まだうるさく早い脈を押さえつけながら、なんとか落ち着こうと遠くを見た。


 さっきまでは気が付かなかったけど、結構な人数が往来している。それぞれに変わった服を着ていて、武器や杖のようなものを持っている奴までいるときた。


 いや、そんなはずがないとは思うけど、本当に突拍子もない話だけど、もしかしてもしかすると——これ、異世界転生ヽヽヽヽヽか?

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