ハウス

霜月亥

第一章 薄紫色のワンピース

プロローグ

来訪

 泣き声が聞こえる。嗚咽を押し殺し、ウッウッと泣いている。女の声だ。耳を塞ぎたくなるほど悲痛な声で、時折息を漏らしながら、静かに泣いている。

 それをかき消すように、今度は怒鳴り声が聞こえる。よく聞き取れない。けれど、お前のせいだ、何をしたんだ、と誰かを責め立てているようだ。

 それに応えるように別の声がして、いつの間にか、罵り合いになった。二人か三人くらいの男が、泣いている女を囲って、なにか言い合っている。


 なんの声だ?

 誰の声だ?

 いや、そもそも俺はなにをしてるんだ?


 ここはどこだ?

 目を閉じていてなにも見えない。それなら目を開けば良いのか。


 ぎゅっと閉じていた瞼を、意を決してそっと開く。


 目を開けた途端、ひとりの女と目が合った。ずっとこちらを見ていたのか?

 床に座り込んでカタカタ震え、目から大粒の涙を流し、体のあちこちに真新しい傷がある。ピンク色のすこし変わった服を着た、おそらく十代くらいの女だ。高校生くらいだろうか。


「あ、あ——起きっ……起きました、キーゼルヽヽヽヽさん、起き……」

「うるさい、いちいち喋るなよ」

「ご、ごめんなさ……」

「話題を逸らしたいからってどうでもいいことばっかり言いやがって」

「どうでもよくはないんじゃない? 起きたんでしょ、この人」

「あの、あの……ごめんなさい、黙りますから……」

「謝ってる暇があるなら黙ってろって」

「いいから落ち着きなよ」

「うん、だからね——」


 俺のほうには目もくれず——かろうじて話題にはあがっているが——、数人の男がまくしたてるように口論を続ける。

 女は巻き添えだろうか。そのわりには話題の中心にいるような。


 周りを見渡そうと上体を起こす。

 ずいぶん広い部屋だ。部屋というより、ホールだろうか。そういう建造物に詳しくないので細かいことはわからないが、祭壇のような、仰々しく巨大ななにかヽヽヽがある。


 人は俺以外に六人。思った以上の人数だ。一人は床に倒れている。

 言い合いをしているのは、主に三人。さっき目が合った気弱な女と、それを責め立てる線の細い男——キーゼルと呼ばれていた——、そして、ふたりの傍らに立つ金髪の子供。

 それ以外では、少し離れたところにいる派手髪の男が、ときどきヤジを飛ばすくらいだろうか。


 俺がそのまま起き上がろうが誰も見向きもしない。相変わらず三人が言い合いを続けていて、辺りは騒然としている。


「いい加減言えよ、何をしたんだ。何をさせた、アイツに」

「ちが、わたし……」

「あのね? さっきから言ってると思うんだけど、ハナモモヽヽヽヽはたまたま居合わせただけなんだって」

「あんたには聞いてねえよ」

「まあまあ。落ち着きなよ、キーゼルさん」

「うん、そうだね。一旦落ち着いたら?」

「だったらまずコイツに口を割らせろよ」


 キーゼルは不満げに祭壇に腰かけて続ける。


「コイツが嘘を吐かなければ、俺だってできるだけ冷静でいるようにする」


 そう言うと、腰から小瓶を取り出した。途端にハナモモ——と呼ばれたあの気弱な女——が体をこわばらせる。


「やっ……ま、待ってください、キーゼルさん。ごめんなさいごめんなさい、ちゃんと話しますから……全部ちゃんと話しますから……」

「ふうん。なんでこんなトコにいたんだよ」

「そ、それは……それはたまたま……ど、どうしたら信じてくれますか。ほんとのほんとに偶然なんですよう……」


 ハナモモはぽろぽろ泣きながら、必死に誤解を解こうとしているように見える。隣に立っている金髪の子供も、ハナモモと同じように、体をこわばらせ思案を巡らせている。

 あの小瓶はなんだ。毒かなにかなのか?

 だとしたら良くないやり方だ。脅迫じゃないか。


「——すいません。すいません、あの、ちょっといいですか?」


 気付いたときには口を開いていた。勢いに任せて、そのまま言葉を連ねる。


「俺はまだここがどこなのかもわかってないし、当然、なにがあったのかなんて知りませんけど……でも、やめませんか。そういうの。ソレがなにかすら、俺にはわかんないですけど。脅迫ですよね?」


 さっきまでの喧騒が嘘のように、突然辺りがしんとする。全員が口をつぐみ、じっと俺のほうを見ている。


「……や、やめましょうよ。怖がってますよ、その人」


 引くに引けず、続ける。


「さっきからずっと泣いてるじゃないですか。なんていうか、超えちゃいけない一線っていうか」


 ハナモモと、隣の子供が顔を見合わせる。

 キーゼルは立ち上がり、こちらに向かってきている。まずい、怒らせた。

 自然と体が後退る。キーゼルが小瓶を投げ捨て、俺を睨みつけている。海のような青い瞳だ。澄んでいてひどく似合わない。コイツみたいな乱暴なヤツには、もっと、暗く光のない目が似合うんだ。


「——じゃあ聞くけど」


 そう言うと、キーゼルが遠くを指差す。床に横たわる人影。薄紫色のワンピース、艶やかな黒髪。さっきからずっと、ぴくりとも動かない——。


「あの女を殺したのが、ハナモモだとしても?」

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