Sec. 07: Nothing ventured, nothing gained - 02

 レイたちはランチの会場であるデッキ五のレストランへ赴いた。ホールは賑わっていて、みな銘々に好きな料理を好きなだけ皿に載せている。


 二人が入り口に到着すると、給仕が恭しく頭を下げ、わかりきった定型句で代表者の名前を尋ねてきた。彼女の視線はクロフォードだけに向けられている。レイはクロフォードの『添え物』としか見られていないことに辟易したが、彼と行動する人間は誰でもこんな扱いを受けるのだろう、と自分を納得させた。


 好きなものを好きに載せたプレートを持って、Aブロックの席につくと、ハウエルズがすでに食事を始めているところだった。


 レイは彼女と契約する妖精の秘密について知ってしまった手前、どんな顔をすればいいのかわからなかった。愛想笑いをする。


 彼女は赤いフレームの奥の目元をやわらげ、食べる手を止めてくれた。「こんにちは」


「ミスター・シャーロック……それ、全部あなたの?」


「ええ、まあ」


 クロフォードは両手に山盛りの皿を持っている。悪びれる気も、恥ずかしがるつもりもないようだ。白身魚のレモンソース、牛肉の赤ワイン煮といったメインディッシュから、ポテトやサラダなどのサイドまで、とにかく大量に盛られている。


「燃費が悪いものですから」


 それで済まされる量ではない、と思ったが、レイはため息を吐くだけに留めた。


「アドラムが『給仕を手伝わされた』と嘆いていたと聞いたわ。事実だったようね」


「彼には悪いことをしました。とはいえ、先日まで両手も不自由でしたし——」彼は肩をすくめる。「それに、『軍は胃袋によって行進する』と言いますからね」


「あなた、そんなことも言うのね」


 ハウエルズは、そこで初めて苦笑する。苦々しいものであっても、微笑は微笑だった。笑うと目尻に皺ができて、年齢相応に美しい女性のように見える。


 席について、クロフォードは食事を始めた。レイもパスタを口にする。先ほどの嫌悪感、心の底にわだかまる泥のような感情で、あまり食欲が湧かなかった。


 クロフォードが最初に犯人に辿り着くことは、なんら不思議ではない。むしろ当然だ。レイよりも経験と知識がある。だが彼の事件に対する姿勢は、レイには納得できないものだった。春からずっとそうだ。犯人を確実に捕まえるため、犯人である確信を得るために、クロフォードは犯人を泳がせる。正しいと理解しているのに、感情が納得してくれない。彼も苦しんでいると、知っているはずなのに。


「大丈夫かい? 食欲がない?」


 レイがもそもそとサラダを頬張っていると、向かいの席のクロフォードが不思議そうに声をかけてくる。お前のせいだ、とはとても言えずに、レイは生返事をした。


「食欲ないのか、レイ?」


 ふと、レイの斜め前、クロフォードの隣に、人影が落ちる。顔を上げれば、両手に皿を持ったローマンの姿があった。席につく。知り合いばかりの食卓に、また一人知人が増えた。彼のプレートにはバランスの取れたメニューが並び、師であるクロフォードとは天と地ほどの差があった。


「いえ、大丈夫です。ちょっと……」師を見やり、ため息。「いろいろあって」


「ああ……お疲れさん」


 それだけで悟ったのか、ローマンは苦笑した。ハウエルズも困ったように微笑んでいる。クロフォードの弟子というだけで、憐れみや慰め、ねぎらいの視線を向けてくる人間は、多いように感じる。クロフォードのことをよく知っている人なら、特に。当の本人は怪訝そうにわずかと眉をひそめているので、このぶんでは一生わからないだろうが。


「君、サラダが多いんじゃないか。野菜を食べればいい、というわけでもないらしいが」


「いーんだよ別に。野菜食わねえおまえよりマシだろ」


「ほう。度胸があるな」


「脅しか? 魔法使いともあろうものが?」


「忠告だ」


 軽口を叩き合う二人は、仲がいいのか悪いのかよくわからない。笑っているから少なくとも悪いわけではなさそうだけど、とレイは水を一口飲んだ。


 先に会場に来ていたハウエルズは既に食事を終え、楽しそうに二人を眺めている。


「仲がいいのね」


「そう見えるか、アデライン?」


「とっても」くすりと笑う。「私はそろそろお暇しますけど、レイ、本当に大丈夫?」


「大丈夫です、本当に」


「そう? 調子が悪くなったら、いつでも医務室に行くのよ」


 突然水を向けられたレイが必死になって否定すると、ハウエルズはそう言って席を立つ。綺麗に食べ終えられた皿は、すぐに給仕が来て下げていった。


 クロフォードは上品に、しかし大胆に、皿に山盛りになった料理を平らげていく。その速度も驚異的なもので、なのにソースが跳ねたり口元に残ったりすることもない。あくまで上品な食事をしているのだ。時おり紅茶を飲みながら。


 レイは見ているだけで満腹になってしまい、あと一口のパスタをフォークに巻いたまま、しばらく眺めていた。魚介の出汁が効いていて、美味しくはあるのだけど。一人で早食いチャレンジをしているクロフォードを見ているうえに、こんなことをしていていいのかという気持ちが、どうしても収まってくれない。


 こうしているあいだに、この船のどこかで誰かがまた消えてしまったとしたら?


 はあ、とため息をつき、レイはパスタを食べた。


「悩みがあるなら聞くよ」


「……お前に言ったってしょうがない」


 クロフォードはやれやれといった様子で肩をすくめる。隣の席のローマンが愉快そうに笑い、ばしばしと肩を叩いた。「おまえ、信用されてないのかよ?」


「正規のルートで弟子にしたはずだろ。何しでかしたんだ」


「何も——」思いきり睨みつけてやると、彼はため息を吐いた。「——いや。伝えるべきことを伝え忘れて、彼の尊厳を傷つけた。信用されずとも仕方ないことだ」


 ローマンはレイとクロフォードのあいだに横たわる深い溝に思い至ったようで、ああ、と諦めたような、同情するような視線をレイに向ける。


 食事を終えたクロフォードは、ティーカップに注いだ紅茶を口にした。館で振る舞われる紅茶とは違う匂いが、レイの鼻腔をくすぐる。「とはいえ」


「誠実でありたいとは、思っている。私の至らなさで君を傷つけるのは、本意ではないし……あんな思いをするのも、君にさせるのも、嫌だ。二度と」


 そこで、レイは少しペースを乱された。クロフォードが「嫌だ」と言うことが、意外に思えたからだった。いつも合理的かどうかを基準にしているような男なのに。


 クロフォードはレイとの関係を対等だと言ったが、レイはとてもそうとは思えなかった。その理由の一つがおそらく『本心をわかりやすく言葉にしてくれないから』だったことに、初めて気がついた。嫌だとか、好きだとか、そういうの全部。


「お前が裏切ったことは、もう気にしてない。僕が気に入らないのはそこじゃなくて——」


 レイがそこまで言った瞬間、クロフォードの上体が傾いだ。


 どっ、と音を立てて倒れ込み、隣の席のローマンが受け止める。


「おい!」


 思わず立ち上がって叫んだが、クロフォードはわずかに手を上げてレイを制するだけで、浅く呼吸を繰り返している。彼の視線がティーカップに向けられた。あれが、毒の。


 周囲の人間もちらほらと異変に気づいたらしく、ざわめきはさざなみのように、会場に伝播していく。クロフォードは眩しそうに目を細め、震える手で照明を遮ろうとしている。その瞳は、ほとんどが黒く覆われていた——散瞳。また、同じ毒だ。


「鍾尤! 解毒剤を——」


「い、から……」


 乾いた口では発話するのもやっとだろうに、彼は弱々しくそう言って、ローマンの腕を掴んだ。力なく首を横に振る。かすかな喘鳴が漏れたが、それも震えていた。


 レイは立ち尽くして、何もできなかった。こういうときにどうするのが最善策なのか、レイにはわからなかった。解毒剤を拒否する理由も、同様にわからない。


 駆け寄ってきた藍鍾尤が、レストランを封鎖することを宣言した。全ての乗客は会場の外に追いやられ、クロフォードは医務室に運ばれていく。付き添ったローマンを除いて、現場にはレイと藍鍾尤が残された。藍鍾尤はレイの肩を叩き、優しく声をかける。


「あんまり気に病むなよ。あんたのせいじゃない」


「でも……また気づけなかった、僕は……」


 以前、クロフォードが攫われたときも、直前まで会話していたのは自分だった。そんな後悔があるから、レイは強く拳を握りしめた。自分がもっとしっかりしていれば、未然に防げたかもしれないのに。


 藍鍾尤はため息をつき、やれやれと首を横に振る。


「おれだって一緒だ。たぶん、ロードも同じことを思ってる。だけどそんなことより、今できることを考えなくちゃな。まずは、現場検証だ」

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