Sec. 04: They - 01

 午後からは会場でポスターセッションが行われている。昼食を済ませたレイとローマンは、会場のマップを見てフェアクロフのブースへと向かった。姿の見えないスチュアートを探し回るよりも、先に彼女の話を聞いたほうがいいだろうと思った。


 近くに誰もいないときを見計らって、彼女に近づいていく。フェアクロフはレイたちを認めると、すぐに「こんにちは」と挨拶をする。


 パネルに貼られたポスターの見出しには『ロゴス到達のための錬金術的アプローチ』という文言が使われており、彼女が誰より原初への到達を夢見る魔術師であること告げていた。


「こんにちは。発表中にすみません、お話を聞かせてもらいたくて」


「ミスター・シャーロックが逃走できるよう捜査を撹乱している、と聞きましたが」


「それはデマです。悪質な」レイは息を吐いた。「僕は真実を明らかにしたいだけです」


「でしたら、構いません。何を聞きたいのですか?」


 フェアクロフは思ったよりも柔らかな物腰で、レイに微笑みかける。一日目のランチでカルヴェに冷ややかな視線を向けていた人間とは思えなかった。もしかすると彼女と特別仲が悪い、あるいは彼女に特別嫌悪感を抱いているのかもしれない。


「失踪したミスター・チェンバーズと、何か話していたと聞きました。貴女は彼のことを知っていると思うので、聞きたいんですが……彼がハウエルズと仲が悪かったというのは本当ですか?」


「本当です」即答だ。しかし、何かを隠そうとしているようには思えない。「ミスター・チェンバーズは、意見の相違から、ミズ・ハウエルズとしばしば言い合っていたようです。私は学会の所属ではないので、あまり詳しくはありませんが」


 レイは彼女の答えを手帳に書きとめ、ハウエルズとチェンバーズを結ぶ矢印の近くに、意見の相違・対立と書いて何重にも丸をつけた。


 魔術師は研究者である以前に、感情を持った一人の人間だ。支持する学説が違えば、議論にすらならないような口喧嘩をすることもあるだろう。そして魔術師には——認めたくないことだが——倫理観の欠けた人間も一定数存在する。


 何かの儀式を行う際、生贄として選ぶのは自分の嫌いな人物であることも多い。これはクロフォードから権限の一部を付与されたレイが、保安局のデータベースを用いて独自に調べたことだ。魔術犯罪には、ロゴスに至るための儀式殺人も多いが、政治的な理由の殺人、そして単なる怨恨も多い。


「貴女は、ミスター・チェンバーズとどのような関係だったんですか?」


「私ですか? 私はただの研究仲間です。彼は魂の流転について研究していましたから、死霊魔術と、私の分野である錬金術とを融合させたいと言って……協力を求めてきました。それに応じて、共著で論文も」


 彼女が事件を引き起こしたという可能性は低いだろう、とレイは感じた。フェアクロフは幻想域へのアクセス権も持っておらず、魔法使いではないから式核に触れることもできない。殺人であれ誘拐であれ、それができる立場にはない。


「カーリー・エディソンと面識は?」


「……疑っているのですか?」


「いえ。できれば、聞いておきたくて」


 フェアクロフはため息をついた。レイはむっとしたが、疑われているようなことを言われて良い気になる人間もいないか、と思い直す。


「ありますが、彼女が働いていたレストランを知っている、という程度です。デメテルは、第七天ではとても有名なレストランですから」


 ギリシャ神話の穀物の女神の名を冠するレストランについて、レイはあまり知らなかった。隣で話を聞いていたローマンが肯定を示すように頷いているあたり、本当に魔術師のあいだでは有名なレストランなのだろう。


 学会の部局のほとんどはギリシャ神話の神々の名前がつけられていて、第七天内部の商業施設も、なぜか神々の名がついているところが多かった。パブ・バッカスとか、ヴィーナスという名の百貨店とか。


「……もうよろしいですか? 貴方と話していることが知られてしまったら、ミズ・ハウエルズに白い目で見られてしまうので」


「わかりました」レイは彼女の言葉を手帳に記し、会釈する。「ありがとうございます」


「すみません。私も、真実が明らかになることを願っています」


 フェアクロフも頭を下げてくれる。


 ハウエルズはクロフォードが犯人だと固く信じている——実際、犯行が可能なのはハウエルズ本人を除けばクロフォードだけだから、それも仕方のないことかもしれないが——そして、その思想を乗客に強いている。


 レイが耳にした限りでは、クロフォードが本当に犯人だと思っている研究者は片手で足りるほどしかいなかった。犯人とされる男が拘束されているのに、第二の被害者が出ている。そのためか、多くが『犯人は別にいる』と考えているようだった。


 それは理解できる。嫌疑がかけられて拘束されているのに、わざわざその疑いを強めるような真似をするなんて、馬鹿だ。加えて、今のクロフォードは魔法も魔術も使えない。杖もトランクも押収されている。不可能なのだ。


 なのに、ハウエルズはいまだクロフォードを犯人としている。魔法使いはなんでもできるから、という理由だけでなく、クロフォードは神を喰らい神の力を得た亜人だから、という理由もあるだろう。神の権能は改竄や構築の過程を飛ばして最速で結果を得るもので、魔素や魔力を必要としない。クロフォードが権能を用いて二人を隠した、という可能性を、ハウエルズは信じているはずだ。だからこそ、手錠で魔術が使えないクロフォードをまだ拘束し続けている。


 さらに、ハウエルズは二人目の被害者が出たにもかかわらず発表会を強行し続けている。強い責任感の表れなのか、もう被害者が出ないことを知っている、あるいは次の被害者が誰か知っているからこその、余裕の表れなのか。頑固で責任感の強いハウエルズの性格を考えると前者であるような気がしたが、現時点での第一容疑者は彼女だ、とレイは内心で首を横に振った。先入観を持って調査をするのは悪手だが、今怪しいのは彼女しかいない。


 ブースを立ち去り、手帳と睨めっこしていると、ふと聞き覚えのある声が降ってきた。


「レイ。それにロード・ヴィドラも」


 藍鍾尤だった。彼は疲弊した様子でこちらに近づいてくると、大きくため息をついた。あまり眠っていないのか、目の下に隈ができている。瞳にも以前のような覇気がない。


「大丈夫か?」レイは気の毒に思って眉をひそめた。「寝てないように見えるけど」


「ああ、いや、あんまり大丈夫じゃない」


 鼻眼鏡を外し、目のあいだを揉みほぐすようにして、藍鍾尤は再び息を吐く。


「ミス・ハウエルズの強権ぶりが想像以上でさ。クロフォード、こんな激務を涼しい顔でこなしてたんだな」三度目のため息。「彼女、おれのことも人間だと思ってないのかも」


「アンタ、秦嶺方観しんれいほうかんの出身だからな。仙人と同類に見られてるんだろ」ローマンが笑う。


「最悪です。こんなことなら大人しく仙苑にでも行くんだった」


「警備責任者って、そんなに仕事あるのか?」


 クロフォードはインカムをつけて指示を出してこそいたが、基本的には発表会場の壁際に立って室内を見渡し、食事や夜会には皆と同じ時間に出席していた。暇ではなかったのだろうが、忙しくも見えなかったけれど。


 藍鍾尤がレイの質問にやれやれと肩をすくめる。


「会場の警備だろ、厨房でみんなに出す料理のチェック、会場にいない人たちの安全確認、それと……事件があってからは、現場の封鎖と保存、野次馬の規制もだ」


「でも、部下がいるだろ?」


 乗組員百七十人のうち、執行者は二十人だ。クロフォードを抜いても十九人はいる。


「クロフォードの部屋の監視に一人、二カ所の現場の警備に一人ずつ。自由に動けるのはおれを入れて十六人で、事件が続くかわからない今、警護対象は乗客だけじゃない」


 何もわかっていない、といった様子で藍鍾尤はレイの疑問を一蹴し、残念そうに眉根を寄せた。十六人で乗客乗員四百十四人を監視・警護するとなると、一人当たり少なくとも二十六人を見ていなくてはならない。不可能だ。いくら魔術師でも、体は一つしかない。


「それにおれは警備課の執行者じゃないし、有名でもないから、クロフォードがトップのときと比べて士気が違うんだよ。みんなからすると、他部署のよく知らない人間だからさ」


「警備課じゃないのに、なんでこの船に?」


「何かあったときのためだよ。警備課の連中も戦闘訓練を受けてるけど、おれたち執行課ほどじゃない。まあ、この船にいる執行課はクロフォードとおれだけだけどな」


 なるほど、とレイは頷く。最初から有事に備えて、藍鍾尤とクロフォードはここに派遣されたのか。同時に、レイはあることに気づいた——執行課の職員は二人しかおらず、片方は拘束中、もう片方も警備責任者として多忙を極めているから、執行者の捜査の進みが異様に遅いのだ。現場は封鎖されているばかりで、まるで冷凍保存されたかのようだった。


 何かを考え込むように顎に手を当てていたローマンが、ふと口を開く。「そういえば」


「チェンバーズの部屋には紅茶が二つ置いてあったよな? カップに残痕は?」


「何も。そもそも、客人は紅茶に手をつけていなかったようです。魔力錠の解除履歴にも、不審な点はありませんでした」


 藍鍾尤は畏まった態度で、ローマンに敬礼をする。


「ふーむ……現時点では、誰がチェンバーズの部屋にいたかは不明、と」


「そうなります」


「オーケー、他に気になることは?」


「おれからは、特には」


 賢者だからか、ローマンは執行者の扱いに慣れているように見えた。藍鍾尤の瞳が賢者からレイへと向けられ、質問がないことを察したのか、すぐに外される。彼は「じゃあ、またな」と言って、またポスターセッション会場の見回りに戻っていく。


「アデラインも強情だな。いくら責任を問われるからって、また誰かが神隠しに遭うとも限らねえっていうのに」


 ローマンは会場の警備を続けさせられる藍鍾尤に同情した様子で、やれやれと呟いた。

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