Chapter. 001: Conference Presentation

Sec. 01: Conference Presentation - 01

 レディ・モルガン号は総トン数二万三千トンほどの小型客船で、乗客定員は二百六十人程度である。伝承学派の賢者・エレインによって、彼女の養母であり伝承学派の創設者・モルガンの名がつけられた、学会所有の客船であるという。


 今回の乗客は二六十四人、乗組員は百七十人。乗客に対して乗員の数が多いような気がするが、学会の学術発表会が行われるのであれば貴族も乗船するのだろう。それ以外にも、各国の魔術結社から魔術師が集まると聞く。もてなしは手厚く、といったところか。


 レイはぼんやりとそんなことを考えながら、黒と白で塗られた巨大な船体を見上げた。船はちょうど着岸したところだった。モルガンの名にふさわしく、荘厳に感じられる。


 港に魔術師らしき人間はいなかった。レイが辺りを見回していると、いつも通りに三つ揃えのブラックスーツを着たクロフォードが現れた。腕時計を確認すると、ちょうど八時を示すところだった。あんなに寝起きが悪いのに、寝坊はしなかったのか。


「警備責任者として乗客より先に乗船すること、という条件はあったが、客室を用意してもらった。生徒を乗組員室で寝起きさせるのは忍びなかったのでね」


 クロフォードはわずかに微笑みを浮かべ、先導するように桟橋から中へ乗り込んでいく。レイもそれに続き、最初に内装の豪華さに驚いた。


 入ってすぐのラウンジはソファが多く配置されており、間接照明の多さと相まってモダンな雰囲気を醸し出している。一人掛けや三人掛けのソファがいくつかのローテーブルを囲むように置かれ、モニターのほかに暖炉まで備えつけられていた。バーカウンターでは聞いたことのないような名前のボトルがライトアップされている。レイは自分が場違いな気がして、ジャケットの襟と、ジャケットと同じ紺色のネクタイを正した。


「客室はデッキ七、七二九号室だ。私は隣の——七三一にいる」


 内装に気後れしていたレイは、クロフォードの言葉ではっと我に返った。自分は警備を行うクロフォードを見学するためにここに来たのであって、発表をするわけでもなければ、実際に警備に当たるわけでもない。もっとリラックスしてもいいはずだ。


「君のクルーズカードを渡しておく。これは身分証であり、乗船券でもあり、クレジットカードでもある。乗船中は常に携帯しておくように」そこで、クロフォードは不敵な笑みを浮かべる。「経費で落ちるから、好きに使ってくれ」


「はあ……」


 以前も、経費で落とすからとホテルを取っていた気がする。レイは呆れた顔でカードを受け取り、ラウンジを抜けてクロフォードと共に階段を降りた。


 七二九号室には荷物が届いていて、それを解いていたら出港時刻になっていた。汽笛が鳴り、わずかに客室の揺れを感じる。レイはテーブルと二つの椅子が置かれたベランダに出て、テムズ川の対岸に見える時計塔が徐々に遠ざかっていくのを眺めた。


 タワーブリッジをくぐり抜け、船は川を下っていく。薄く雲のかかった空から投げかけられる陽光は、ジャケットを着たレイには少し暑かった。


 部屋の扉が三回ノックされたので、レイは「はい」と叫んだ。部屋の前には思った通りクロフォードが立っていたが、右目に黒い眼帯をしている。


「全員揃ったようだ。まずは会の責任者へ挨拶に行こう」


 言われてついていくと、乗船したときに通ったラウンジに人が集まっていた。男女問わず多くの人間がサフラン色の裏地をしたローブを着、剣呑な雰囲気を纏っている。執行者だろう。中には、ウェールズの連続吸血鬼殺人事件で顔を合わせた人間もいた。


 そのうちの一人——白い旗袍チーパオを纏った鼻眼鏡の男が、こちらを認めるや否やぶんぶんと大きく手を振って歩いてくる。レイは彼の名前を思い出そうとしたが、一度しか会っていないうえに、事件が解決したあとは保安局との関わりもほとんどなかった。思い出せるはずがない。向こうも、レイをというよりはクロフォードを覚えているのだろう。


「クロフォード、どこ行ってたんだ? 最初に乗ったっていうから探したんだぞ」


藍鍾尤ランジョンユーか。荷解きに時間がかかっていたんだ、ブリーフィングは九時からだろう?」


「九時からだけど、あんたのサインが欲しいって執行者が大勢いる」


「冗談はよしてくれ。これから任務に当たる執行者に、そんなうわついた人間はいない」


「あんたなあ……人気者の自覚がないのか?」藍鍾尤は呆れ顔で言った。


「人気者ではないからな」


 不満そうに唇を尖らせる藍鍾尤の横を素通りし、クロフォードは執行者たちの視線を浴びながらバーカウンターのそばに向かった。ブリーフィングまでまだ時間がある。始まる前に主催者への挨拶を済ませておこう、という意図なのだろう。


「あんたも人気者だぞ、レイ。なんせ死神の弟子だからな」


 彼の言う通り、執行者たちの視線はクロフォードからレイに移っている。


「わかってる」


 レイは毅然とした態度でまっすぐに前を見据え、クロフォードの隣に立った。バーカウンターの前には、優しい茶色のパンツスーツを身につけた女性がいる。歳は——魔術師の実年齢と外見の年齢は相関関係にはないが——三十代前半といったところだろうか。赤いフレームの眼鏡が、金髪によく似合っていた。


「おはようございます、ミズ・ハウエルズ。警備をお任せいただき、感謝します」


「おはよう、ミスター・シャーロック。堅苦しい挨拶はなしにしましょう、面倒だもの。そちらが新しいお弟子さん?」ハウエルズはレイを見て言った。「ずいぶん大人なのね」


「入学が最近でしてね。魔術の腕はまだ原石ですが、頭脳は既に一級品ですよ」


 クロフォードはそう評し、こちらを一瞥して微笑む。ハウエルズの眼鏡のレンズの奥、青みがかった瞳を細め、値踏みするような視線をレイに向け続けている。しかし、彼女の目元はすぐにやわらいだ。


「私はアデライン・ハウエルズ。交霊学派の教授で、この会の幹事です。よろしくね」


「レイ・カレンです。基礎学派の一年生です、お世話になります」


 ハウエルズは満足げに頷き、話を続ける。


「さて、それじゃあブリーフィングを始めましょう」

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