第2話「運命は住所を間違えたんじゃない。俺たちが、死の宛先を書き換えたんだ。」
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### **『プレビュー・キラー』 第二話:誤配された悲鳴
**1.**
「――冗談じゃないわ」
母・聡子の甲高い声が、通夜のように静まり返ったリビングに響いた。俺と美咲が見せた動画を、母は「悪趣味なイタズラ」と一蹴した。
「祐樹、お前も美咲もどうかしてるぞ」
父・和也は、深い溜め息をついた。「ネットの悪質な動画に影響されすぎだ。うちを模倣したセット? そんなもの、気味悪がらせたいだけの愉快犯に決まってるだろう」
「でも、事故の動画は本物になったんだよ!」
美咲が必死に食い下がるが、父は頑として首を縦に振らない。「偶然だ。そんなものに振り回されて、警察沙汰にでもなってみろ。ご近所に顔向けできん」
信じてもらえない。
親にとって、自分たちの子供が「ネットのデマに踊されている愚か者」である可能性と、「本当に殺人のターゲットになっている」可能性、どちらが受け入れやすいかは火を見るより明らかだった。
時刻は、午後11時。動画に映っていた犯行時刻『午前2時』まで、あと3時間しかない。
(なぜ犯人は、わざわざうちのセットまで作って予告したんだ? 最初から無差別に襲うなら、こんな面倒なことをする必要はない。これは、明確に俺たちを狙った犯行だ)
焦りだけが募っていく。このままでは、動画の通りになる。
「もういい!」
俺は、叫んだ。そして、リビングの隅にあった父のゴルフバッグから、一番重いドライバーを抜き取った。
「信じないなら、勝手にしろ! 俺と美咲は、絶対に殺されてたまるか!」
俺はそのまま玄関に向かい、チェーンをかけ、ドアの前に重い本棚を無理やり引きずってきて塞いだ。
「お兄ちゃん!」
「祐樹、お前、何を!」
父の怒声も無視して、俺はリビングのカーテンを全て閉め切り、窓のロックを入念に確認した。その鬼気迫る俺の様子に、ようやく父と母の顔から血の気が引いていくのがわかった。
本当に、来るのかもしれない。
この、平和な我が家に、あの映像の殺人鬼が。
**2.**
午前1時50分。
高槻家は、リビングの電気も消し、息を殺して闇の中に潜んでいた。
家具でバリケードが築かれた玄関。俺はゴルフクラブを、父はなぜか物置から出してきた古い木刀を握りしめている。母はキッチンで包丁を握りしめ、美咲はスマホの画面を睨んでいた。彼女は警察への通報準備だけでなく、家の外に設置した簡易的な防犯カメラの映像をタブレットに映し出していた。
「家の前の通り、誰もいない」
美咲のかすれた声が、静寂に響く。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。心臓が、肋骨を内側から叩いている。
午前2時。
犯行予告時刻。
しん、と静まり返った家の中。何も起きない。
タブレットの映像にも、変化はない。
1分が、まるで1時間のように長い。
午前2時5分。
まだ、何も起きない。
「……やっぱり、気のせいだったんじゃないのか」
父が、安堵と、わずかな呆れが混じった声で呟いた。俺も、張り詰めていた全身の力が、少しずつ抜けていくのを感じていた。
よかった。
そう思った、まさにその時だった。
**ガッシャァァァン!!**
鼓膜を突き破るようなガラスの破壊音。
だが、音源は、うちの中からではない。
壁を隔てた、すぐ隣からだ。
続いて、女性の、喉を引き裂くような悲鳴が、夜の静寂をズタズタに引き裂いた。
「きゃあああああああああっ!!」
**3.**
隣だ。鈴木さん一家だ。
一瞬の静寂の後、俺たちの家の向かいの窓に、ぽつりと明かりが灯った。続いて、斜め向かいの家の玄関灯が点く。静かだった住宅街が、悪夢から叩き起こされたようにざわめき始めている。
美咲が素早くタブレットのカメラアングルを切り替える。そこには、裏庭のフェンスを乗り越え、鈴木家の窓を突き破って侵入した後姿の男が映っていた。計画を変更し、裏から攻めたのだ。
「……なんで」
美咲が、震える声で呟いた。「うちじゃ、ないの……?」
俺は、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
犯人は、最初から俺たちの家を狙っていた。だが、家の明かりが消え、玄関が厳重にバリケードで固められているのを見て、計画を変更したんだ。
獲物が、すぐ隣にいる。無防비で、何の警戒もしていない、哀れな獲物が。
俺たちが、隣家に不幸を押し付けた。飛び火させたんだ。
「お父さん、警察!」
美咲が叫ぶ。彼女は既にスマホで110番を押していた。
「はい、高槻です! 住所は〇〇町一丁目、2の3です! 隣の鈴木さん宅に、男が侵入しました! ガラスを割って…! 悲鳴が、女性の悲鳴が聞こえました! 早く来てください!」
ダメだ。間に合わない。
あの映像の通りなら、犯人は躊躇なく人を殺す。警察が来る頃には、鈴木さん一家は……。
脳裏に、血に濡れた刃物と、炎に包まれる家の映像がフラッシュバックする。
(俺のせいだ)
俺が、中途半端に抵抗したから。
俺が、自分たちだけ助かろうとしたから。
このままでは、鈴木さん一家だけじゃない。物音に気づいて外に出てきた他のご近所さんまで巻き込まれるかもしれない。
「ちくしょう……なんでうちじゃねぇんだよっ!!」
俺は、自分でも何を言っているのかわからないまま、叫んでいた。
そして、握りしめていたゴルフクラブを逆手に持ち、バリケードを乗り越えて玄関のドアへと向かった。
「祐樹、どこへ行く!」
「お兄ちゃん、ダメ! 警察の人が『絶対に外に出るな』って!」
美咲が、スマホを耳に当てたまま悲鳴を上げる。
「美咲! スマホで外を撮り続けろ! 証拠を残すんだ!」
俺は妹に叫び、父と母に向き直った。
「絶対に外に出るな!」
家族の制止を振り切り、俺はチェーンを外し、鍵を開けた。
冷たい夜気が、肌を撫でる。
もう、見て見ぬふりはしない。
「お兄ちゃん、待って!」
美咲が、ワイヤレスイヤホンを俺の耳にねじ込んできた。イヤホンの向こうから、緊迫したオペレーターの声が微かに聞こえる。『…犯人の特徴は!? 人数は!?』
「一番近いパトカーが向かってる! あと2、3分で着くって! それまで犯人を鈴木さんの家から出さないで! 他の人が危ない! お願いだから……絶対に、無茶はしないで!」
俺は小さく頷き、玄関を飛び出した。
隣の悲劇も、ネットの向こうの顔なき殺人鬼も、この住宅街を襲う恐怖も、全部俺が引き受けなければならない。
これは、俺が始めてしまった物語なのだから。
(第二話 了)
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