第7話 私の主治医だった人。

10年ほど前から心療内科に通っている。

前にも書いたが、私はPTSDだからだ。

その引き金となった出来事は男性が原因だった。

その為、私は男性が怖い。

平気なフリをするのが得意なので、多分言わなければ気付かれることはほぼ無い。

それに以前に比べたらかなりその恐怖心も軽くなっている。まあ、歳をとってただのおばさんになった自分を見ていると、誰も寄ってこないよなと、安心しているのも一助ではあるが。

人として、男性であっても信頼できる存在がいる事を今は知っている。


最初の先生は昨年御年75歳で引退してしまい、今は腐った木の枝みたいな主治医になってしまったが、最初の先生はとても良い先生だった。


初めて受診した日の事は断片的にしか覚えていない。

苦しくて、苦しくて、あの頃の記憶は大体が朧げなせいもある。

ずっと、自分は大丈夫。と言い聞かせ続けて保っていた何かが打ち砕かれた。

打ち砕かれたきっかけは、記憶から抜け落ちている。ただ、一つの原因では無く、重なって重なって重さに耐えられなくなったんだろうと推測する。


限界だと気付いた時に、久しぶりに会った高校時代からの長い友人に、こぼしてしまった本音は「怖い」だったと思う。

「病院に行ってちゃんと治そう」

そう言ってくれた。正しい言葉だと理解した。

その一言にどれだけ救われたか、想像出来るだろうか。言葉にし得ない。

帰りの車の中で涙が止まらなかった。

全くもって運転するには危険極まりない事なのだが、こぼしてしまった物がもう、止まらなくなってしまったのだ。


それから、家から通える範囲の心療内科をネットで調べて、よし先生(仮名)に出会った。

初診の日、先生はとにかく、落ち着いて、と何度も言っていた気がする。

私は苦しくて、苦し過ぎて、寒くて、悲しくて、辛くて、消えてしまいたくて、身動きが取れなくなる。体がいつも重たくて上手く思うように動けない、頭はいつもゆらゆらと乗り物酔いをした時の様だった、その事に自己嫌悪して、私には何も出来ないと自己否定をし続けていた。


もう、とにかく、少しでも楽になりたかった。


だからお薬を出してもらおうと思って行ったのだ。

なのに初診の時混乱し過ぎて、お薬を拒否するように受け取られる様な事を言ってしまったらしい。

その日は結局、次の予約をせず、お薬ももらわず帰ってしまった。深く後悔した。

だけど、苦しくても、仕事に行かなくてはいけなくて、次の休みに、電話をして、次の休みに、、、

と思っているうちにも時間は過ぎて行って、初診から2ヶ月弱経ってからやっと2回目に辿り着く。


初診の失敗を反省して、先生に手紙を書いた。

お薬を飲んで少しでも楽になりたいとか、なんとか…正直書いた内容がイマイチ記憶にない。家庭の事なども書いた様におもうのだが。


それを持って行き、よし先生に渡した。

先生はその長い手紙を読んで、2回目の診察で

まずはお薬を頓服として出してくれた。

そこから、その後、10年近く続く通院生活が始まった。


よし先生は、時間をかけて、人と人として、接してくれた。それは強い信頼を私の中に築いてくれた。

何かあっても、先生がいるから大丈夫。

私を支える柱の一つになった。


10年という月日は、長い。

振り返れば早かった、と言いたいところだが、到底そんな事は言えない。本当に長かった。


5年くらいした頃だったか、コロナで自粛が始まった時、その当時働いてたお店も一年で最大の繁忙期を自粛の為店休になる事が決まった。

その職場でも度々休んだり、倒れたりする事があり、丁度良く、体調を崩して休んだ私に、店長は言った。

もう、やめてゆっくり休んだ方がいいでしょう?

頷く事しかその時の私には出来なかった。

という事で、見事に無職になった。

自粛が続く中、次の仕事は見つからず。

3月の頭に無職になってから半年、

友達のつてを頼って、8月ようやく仕事にありつけた。それが今の会社だ。

最初は心療内科に近いお店で働き始めた。

その頃にはもうよし先生とかなり打ち解けていて、

お薬を飲んで、私は正常な時間が増えてきていた。

働き始めて数ヶ月した頃だったと思う。

診察の時に先生が、

こないだ店の前通ったよ、頑張って忙しそうに仕事してたね。

と、言った。

この時、私は、わー先生店の前通って私を探してくれたんだーとただ単純に、喜んだ。

それから半年に一度位の間隔で先生は様子を見に店の前に来てくれる様になった。

それが本来あり得ないことだと、随分経ってから気付いた。


もちろん、相性が良かったというのもあると思う。

でも、やはり、それ以上にとても良い先生だった。

この先生に出会っていなければ、今自分が存在していたかすら、わからない。

本当に、優しい方だった。

その深い優しさを知るのは、よし先生が引退して、他の心療内科に移ってからだった。


木の枝の腐った様な医者は、初診、病院の紹介状に書かれた内容を淡々と読んだ。

私への配慮のかけらもない、事務的な確認だ。

あなたの病気これであってる?

みたいに、聞いてきた。今思い出してもクソだな。

まあ、医者ってのはそれがフツーなのかも知れないが。が、だ。

医者云々の前に人としてクソだ。

ただ、その紹介状に書かれた内容は、

よし先生が、どれほど、心を砕いてくれていたのかを知らせてくれるものだった。


初めの頃、診察に行っても、言葉が上手く出てこなかった。うーん、とか、あー、とか言っていると、直ぐに先生は

じゃぁ、同じお薬出しとくね。

と言ってさっさと私を診察室から追い出していた。

なんとなく、気付いてはいたのよ。

でも、それが、優しさなのか、冷静さなのか判断が出来なかっただけで。


紹介状の一文。

通院し始めた頃、医師が男性であるからか、緊張し怯えている様だった…


あぁ、だから、直ぐに出ていける様に促してくれていたのか。

よし先生は初めから、優しかったんだ。

会えなくなってから確信を得ても、もうお礼も言えない。

だけど、嬉しかった、その優しさで、10年寄り添ってくれたんだと。

よし先生を思い出すと目頭が熱くなる。


仕事中、ふと気付くと、店の前に先生が立っていたこと、私が先生に気付いて手を振ると、静かに笑ってくれた事。

診察の時、

頑張らない様にね。

そう、いつも言ってくれていた。

あなたみたいな人はね、すぐ頑張って無理するから、疲れてしまうんだよ。がんばらないようにね。


それが、私の主治医だった人。

世界中に自慢したい。














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