第二章 殉死命令 ④

 いよいよ迫った死にうろたえている女たちの間から、ひとりの妃がふらふらと前に進み出た。ざわめきが鎮まり、全員が注目する。


(あれは、純常在……)


 小柄で、鴛鴦が刺繍された橙色の着物に、紅珊瑚の簪。


「謹んで御酒を賜ります」


 震える声でそう言うと、恭しく黒い杯を手に取った。


「純常在……!」


 思わず名を呼ぶと、ゆっくりと花菫の方を見る。

 大きな瞳から涙があふれ、頬を伝ってこぼれ落ちる。そして額の花は赤く、花弁が散り落ちる寸前まで開いていた。

 花菫を見てかすかにうなずき、それから袖でそっと口元を隠した。


「この身には……陛下の御子が宿りましたゆえ。冥路にて、お側に仕えとうございます」


 堂内にどよめきが起こる。


(御子を身ごもった……?)


 衝撃の中、純常在はなよやかな仕草で杯を口元に持っていく。


「陛下、万歳!」


 ためらいなく一息に飲み干すと、そのままがくりと床の上に横たわる。

 しゃらしゃらと仏飾りが回る音が大きくなり、青藤がまた同じ言葉を投げかける。


「毒酒を賜る。謹んで受けよ」


 後を追うように純常在の侍女たちも杯を賜り、その後も妃や宮女が毒杯を受け、次々と死んでいった。

 自死した遺体を、太監たちが白い布に巻いて運び出していく。花菫は柱にもたれかかり、その様子をぼんやりと見つめていた。


(純常在は、陛下の寵愛を受けていたんだ……)


 そして身ごもり、後を追った。たとえ言葉を交わせなくても、それだけ通じ合うものがあったのだと思うと、花菫は少しだけうらやましい気持ちになる。


(せめて一度でも伽に呼ばれていたら、なにかが変わったのかしら……)


 人を好きになったことも、誰かに愛されたこともなく、まるで別世界の話のようだ。


「よいのですか? 勅命に逆らうのは不敬です。今ならまだ間に合います」


 とりとめのないことを考えていると、いつの間にか如意が隣にいた。花菫は小さくかぶりを振る。


「私が自死を選んだら、碧玉も死なねばなりません。それだけは嫌です」


 如意がつまらなそうに「そうですか」と体を引く。その顔を見ると、やはり額は白いままでホッとしてしまう。


「……如意さんはどうして飲まないのですか?」


 花菫が問い返すと、如意はそっけなく「酒が飲めぬ体質なのです」と答える。


(この人の顔は、なんだか不思議……)


 大きな瞳、弓なりの眉は左右対称に配置されていて、鼻梁はスッと通っている。細面で、顔の皮膚が薄く、血管が透けて見えそうだ。花菫の頭の中で、『周家観相学』がパラパラとめくられていく。飛び抜けた知性を持つ知の相にも当てはまるし、人の心をつかんで離さない魅の相にも見える。すべての相を持っているような、不思議な顔だちだった。


 やがて杯を手に取る者がいなくなると、青藤たちは無言で出て行った。

 扉が閉められ、堂内がだいぶ伽藍としたことに気づく。


「花菫様……変な音が聞こえませんか?」

「音?」


 碧玉に袖を引っ張られ、耳を澄ます。女たちの泣き声の合間に、パチパチとたき火が爆ぜるような音。


「たき火かしら……?」

「もう夏なのに?」


 暖を取る必要もないし、昼なので灯りが必要なわけでもない。不思議に思っていると、施錠された扉のわずかなすき間から、うっすらと白い煙が入ってくる。それから枯れ草の燃えるような乾いた匂い。

 瞬く間に音と匂いが激しくなる。


「……火よ! 火事だわ!」


 誰かが叫ぶと、堂内は一気に地獄絵図になった。


「出してー!」

「助けてええ!」


 宮女たちが泣き叫んで扉を叩く。開く気配はなく、すき間からはどんどん煙が入ってきて、さらに喚呼が大きくなる。


「碧玉! 姿勢を低くして、口を覆って!」


 花菫が碧玉の頭を押すようにしてしゃがませ、披帛で口を覆った。だが煙を吸わないようにするのが精一杯で、どこにも逃げようがない。


 錯乱した夏貴人が「私の父上は清洲の領主なのよ! 偉いのよ!」と扉に突進し、激突してひっくり返る。泡を吹いて昏倒するその額にはくっきりと赤い花が見え、周りの侍女たちも同じ形、同じ色の花を咲かせている。


 焼け死ぬか窒息するか、いずれここにいる全員に死が訪れるのは間違いない。

 だが如意を見ると、白い額のままで種子すら浮かんでいない。


(どうして、如意さんだけ……?)


 なぜ如意に死相が出ないのかがわからない。その如意は、厳しい表情でじっとなにかを見つめていた。視線の先には皇太后と枇葉がいる。


(え⁉)

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