第二章 殉死命令 ⑤

 皇太后が着物の裾を持ち上げ、枇葉に支えられて祭壇に上った。

 雲龍文が施された柱に緋色の帳、蓮の形の供物台。金箔のはげかけた黒漆の須弥壇に足をかけ、燭台を引っかけるのもかまわず、およそ土足で踏み入れることはありえない祭壇の奥へと消えていく。


「あっ、如意さん⁉」

 突然、如意が祭壇へと走り出したので、慌てて碧玉とともに後を追う。祭壇に飛び上がった如意を見て、罰当たりな気はしたが花菫も同じように須弥壇を踏んだ。

 祀られた本尊は身の丈ほどの大日如来で、光背の後ろはすぐ壁になっている。壁には巨大な曼荼羅絵がかかっているだけで、大人が二人、身を隠すようなところはどこにもない。


「皇太后様はどちらに……」


 帳の陰にも本尊の後ろにもおらず、まるで狐につままれたみたいだ。

 如意が無言で色あせた古い曼荼羅絵をつかむ。八葉蓮華に大日如来、周囲に宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音の五如来と、普賢・文殊・観音・弥勒の四菩薩が描かれた「胎蔵曼荼羅」だ。雑にめくって、曼荼羅絵が壁からはがれ落ちる。


 碧玉が「あっ」と声を上げる。

 絵の向こうは壁ではなく、小さな隠し部屋だった。三メートル四方ほどの小部屋で、床板の一部が跳ね上げられている。


 ぽっかりと床にあいた穴の中には、紫檀を朱色に塗り上げた狭い階段があった。奥底からゆるい風が吹き上げ、湿っぽい臭気が鼻をつく。


(これは……抜け穴?)


 尋ねる間もなく、如意が体を滑らせるようにして、その穴の中へと消えていった。

 花菫はぽかんとその姿を見つめていたが、誰かの泣き叫ぶ声で我に返る。


「碧玉! みんなを呼んできましょう!」

「はい!」


 碧玉と二人、須弥壇の上から叫ぶ。


「こちらに抜け穴がございます!」

「お早く! お早く!」


 麗妃たちが気づいたのを確認し、それから急な階段を夢中で下りる。狭く細く長い階段を、つんのめるように下りきった。


 地下は、ぼんやりと明るかった。自然発光する「夜光石」が天井に使われているらしい。石畳の床に石積みの壁で、入り口からは想像もつかないほど広い空間であることがわかる。

 花菫たちの後に続いて、麗妃が下りてきた。次に年太妃と端太妃が続き、さらに黄妃が下りてきたところで、ドン! という轟音が天井を揺らした。


「ひゃああ!」


 衝撃で足を踏み外したのか芍妃が転がり落ちてきて、さらに髪を焼くような臭いとともに熱風が吹きこんできた。熱さに目を閉じると、炎がうずまくようなゴオオという音。


「……宝蓋が落ちたか」


 麗妃の声がする。白塔寺は塔の先端にかけて細くなっていく形で、その上には帽子をかぶせたように、宝蓋という巨大な傘状の装飾が載っている。あれが天井とともに落ちたのだとしたら、中にいる者はひとたまりもない。


(……助かった……)


 心臓がバクバクと脈打っている。

 もし、如意についてこなかったら確実に巻きこまれて死んでいた。


 なにかが湧き上がってくるような感覚に、そっと自分を抱きしめる。


 恐怖でも混乱でもなく、高揚に近い感情だった。

 不吉なだけと思っていた死相見の力が、自分と碧玉の命を救った。


(この力は、死の運命を変えられる……)


 周囲を見渡すと、助かったのはたった十人。

 花菫と碧玉、そして如意。

 麗妃の横には、同じ派閥の年太妃、端太妃が寄り添うようにして座っている。

 それから薬玉作りのときに一緒だった芍妃と黄妃。

 奥には皇太后と枇葉がいて、如意より先にこの抜け穴をくぐっていたのだとわかる。


 額の装飾品で見えない皇太后と麗妃をのぞくと、死相が出ていないのは如意だけで、あとは桃色の花が五分咲きの状態だ。


「ああ、そなたたちだけでも助かってよかった……怪我はありませんか?」


 皇太后がよろめきながら立ち上がる。


「よくもまあ、ぬけぬけと」


 柳眉を逆立ててたのは麗妃だ。


「陽春。相変わらずの卑怯者じゃな。おぬしこの抜け道のことを知っていて黙っていたな? 自分だけ助かればそれでよいか? 他の者は見殺しか?」


 卑怯者呼ばわりされた皇太后が、きつく眉根を寄せた。


「……見殺しなどするわけがありませぬ。ここは皇帝陛下の脱出坑です。まずは安全を確かめようと、枇葉と先に入ったのですよ」

「脱出孔?」


 いぶかしむ麗妃に、皇太后が説明を続ける。

「そうです。少し前に玉牒房から発見された秘冊に記されていました。白塔寺本尊の奥に脱出孔有りと。ですが、白塔寺が築かれてからすでに百年。その間、ここが使われたという記録はありません。百年もの間使われていないとあっては、坑口が崩れていても不思議ではないでしょう。大勢で押し寄せて先が通じていなかったら、大変なことになるではありませんか」


 隣で枇葉が「そうでございますよ」と首肯する。

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