第6部-第106章 初めての給料

施設での雑務や子ども向けの活動に携わるようになって、ひと月が過ぎた。

 掃除、備品整理、イベント準備――決して華やかな仕事ではないが、浩一は一つ一つに心を込めて取り組んだ。

 「ありがとう」「助かったよ」と言われるたびに、胸に灯る小さな誇りが日々を支えていた。


 その日、西村から封筒を渡された。

 「浩一さん、これが初めてのお給料です」


 白い封筒。

 手に持った瞬間、指先が震えた。

 五十年間、働くことから逃げ続けてきた自分が――ついに、自分の力で得た報酬を手にしている。


 帰宅すると、母が台所で夕食を作っていた。

 浩一はそっと封筒を差し出した。

 「……母さん。これ、俺の給料」


 母は目を丸くし、そして静かに封を開けた。

 中身を見た瞬間、口元が柔らかくほころぶ。

 「……浩一、本当に……本当に働いたんだね」


 その声は震えていた。

 「大した額じゃないけど……俺の力で稼いだんだ」

 「いいのよ、額なんて。これはね、あんたが五十年かけてやっと掴んだ“宝物”だよ」


 母の目から涙がこぼれた。

 その涙を見て、浩一の胸の奥に熱いものが込み上げる。

 「母さん……俺、もっと頑張るよ。これからは、母さんを支えられる息子になりたい」


 母はそっと浩一の手を握った。

 「私はもう十分幸せだよ。あんたがここまで来てくれたから」


 その夜、食卓に並んだ料理はいつもと同じだった。

 だが、味は格別に温かく、噛みしめるたびに涙が溢れそうになった。


 ――五十歳の初給料。

 それは浩一にとって、過去を塗り替える最初の記念日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る