あなたを想像した。
夜の雲
短編小説
雪の降る朝、私は歩いていた。
積もった雪が爪先にあたり、靴を濡らす。
夏の朝露のような、心地のよい冷たさがあった。
大きく鼻で息を吸うと、身体中が凍ったような、何て言えばいいんだろう。
とにかく、その心地よさを楽しんでいた。
私は雪の中を歩いた。
雪を踏んでボフボフと鳴る音はまるで、静寂に包まれた朝に響く目覚まし時計のような。
道端に眠っている木や小鳥を起こしているような。
ふと後ろを振り返る。
そこには私が歩いた軌跡がある。
明日になれば雪に埋もれているかもしれない。
けどそこに確かにあったという事実が私を救う。
ある公園に着いた。
そこには冬になり葉を落とした欅の木と、その木の下にあなたがいた。
あなたは一人、本を読むでも音楽を聴くでもなく、ただその場に馴染んでいた。
あなたは私に気がついてこう言った。
「おはよう。どうぞ。」
あなたは手招きして、私をその隣へと誘った。
あなたの隣。
いつもの欅。
変わらない街。
その全てが愛おしくて……でもすぐに埋もれる、そんな気がする。
春になれば欅にも葉っぱがついてまた落ちて。
そんなことを考えていたら、あなたが私を見つめていることに気がついた。
そして、あなたは口を開いた。
「ここから通りすぎる人々をみていた。その人たちから見える世界を想像する。」
あなたは少し明るく楽しそうに話す。
私は「単なる暇潰しじゃないの?」
と言った。
あなたは少し馬鹿にするようにクスクスと笑い、話した。
「そうかもしれない。けどそうじゃないかもしれない。」
あなたは優しい口調で話す。
「それは他者に共感することなのかもしれない。それは他者を知ることかもしれない。」
「でも一方で、それは単なる暇潰しかもしれない。趣味の悪いことなのかもしれない。」
あなたは少し寂しそうに話ていた。
あなたの考えはわからない。
けどそれがあなたの考えと思うと、受け入れようとする私がいた。
あなたは欅の木に付いていた毛虫の空の卵を見つめている。
「ここに入っていた毛虫の世界を想像する。それは毛虫との共感?それとも種として生き方を考える行為そのものかもしれない。」
あなたの横顔は優しく、脆く、儚い。
そんな言葉で表していいものなんだろうか。
あなたはきっと私の知らない世界を見つめている。
あなたは言った。
「人も虫も雲も風も多分本質的には何も変わらない。みんな案外、他所を気にしていない。本当は気にしたくないって思ってる。」
あなたは楽しそうに話す。
「僕はもっと想像したい。具体的には、純粋さとか無邪気さとか。大人になるとそういうのがめっきり無くなってしまった。けどきっと、それはテレビでみた綺麗な眺めとか、有名な芸能人とかと同じでどこかに必ずあって、君にも僕にも、虫にも雲にも。」
あなたは少し先の水面に浮かんだ水草をみていた。
「あの水草からはどんな風に私たちが見えるんだろう。目がないから気がついてないかもしれない。でも川の流れを肌で感じ、川の中を泳ぐ魚たちとの会話はは……案外、私たちの関係とあまり変わりはないかもしれない。」
あなたは視線を空に移す。
「あの大きい雪雲からはどんな風に見えるんだろう。川とか海とかからの水蒸気を凍らせて雪を振らす。それはその白銀色の世界への興味本位かもしれない。この世界が雪で覆われて白くなるのを楽しむ。人々が空を見上げることに、少し恥ずかしさを感じる。けど雲は悲しいかもしれない。」
私は「何で?」とあなたに問う。
あなは優しく微笑み、口をつぐんだ。
その答えは教えて貰えなかった。
何が正解か。
それは私のだした結論では意味がない。
あなたから。
あなたの口から伝えてもらわないと。
時々、あなたは私を想像の旅へと連れてった。
それは青い空だったり、あの欅の木の葉っぱだったり、道行く人、川の水、コンクリート、机、楽器。
あなたの想像する世界は優しく、時に、現実離れしたものだったり、すごく現実的だったり。
それは酷く悲しいものだったり、明るく楽しいものだったりもした。
そんな世界。
私はもっとあなたの想像する世界を見たかった。
次の日もあなたはいた。
東から昇る太陽とそれを反射する世界にいることの幸せ。
感じる全てが感謝されるべき対象だと思った。
その感覚を大事にしようと思った。
欅の公園にはいつも通りあなたがいた。
あなたは微笑みかけ手招きする。
「あそこにいる、白鷺。見える?」
私は少し離れたところにいるその姿を見た。
美しく佇むその形に、雪の白さと白鷺の白さの境界が曖昧に溶け合う。
あなたは優しく話す。
「彼の視界には自分の嘴が写っている。虫の味とかは分からないかもしれない。あの白い雲の中を通りすぎる時、彼は何を思うんだろう。冬の優しさを体に受けて飛んで、遠くへ行く。仲間と助け合いながら飛ぶ。優しい日の光を浴びて。」
あなたの横顔は優しく、何を考えているか分からないその目に世界が奪われる。
きっとこの世界に、あなたの想像できないものはない。
私はあなたに憧れた。
あなたのどこに憧れたんだろう。
それはあなたの常人離れした想像力。
それはあなたらしい人間力。
それはあなたの優しさ。
きっとそれは全て正しいんだろう。
ふとそこでこんな疑問が私に刺さる。
あなたは私の世界を想像するんだろうか。
私の世界に入ってあなたは何を思うんだろうか。
それを口にすることはできなかった。
もし口にだしたらあなたの答えを聞いてしまうから。
ある月からあなたはいなくなった。
あなたがいない理由は何一つわからない。
あなたが死んだのかそれともただ単にこの場所に興味が無くなったのか。
あなたの名前すらわからない。
そんな関係性だった。
朝になり太陽が登り沈む。
欅の木に葉っぱがついて落ちて枯れる。
あなたがいて、次の日もあなたはいて、そのつぎも。
そんな繰り返しが当たり前だと思っていた。
それがいつか終わることは想像してたんだろうか。
来る日も来る日も。
青い空に白い雲。
飛ぶ鳥に泳ぐ魚。
私は想像した。
あなたがいない欅の木の下で。
川を流れる軽鴨を、地面に咲いている小さなシロツメクサを、三葉のなかに咲く一つの四葉を、白鷺と似ているあの白鳥を。
そして私は。
私はあなたの見える世界を想像した。
それが正しいとか間違っているかは重要じゃない。
その世界を想像することに意味があることにようやく気がつく。
あなたが像していたであろうことを想像した。
あなたが見ていたであろう景色を、あなたの考えていたことを。
あなたが。
あなたが。
想像の中で私は泣いていた。
あなたがいなくなった世界を多分あなたは想像していたんだ。
あなたが想像した全てを想像したい。
そこで私はあることに気付いた。
あなたは、私は、言う。
「何だ。こんな単純だったのか。」
あなたも私と変わらないと思った。
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