第5話 赤野
夕暮れ。花御橋の前に立つ。
日和パパは真っ赤な彼岸花を差し出した。手は小刻みに震えていたが、その眼差しには揺るぎない覚悟があった。
「彼岸花には毒がある。花や茎を食べただけでは死には至らない。嘔吐やめまいに苦しむ程度だ。……覚悟はいいか」
私は迷った。だが、手首に巻かれたミサンガに触れた瞬間、胸が熱くなった。――日和の声が蘇る。
「絶対遊ぼうね」
「絶対遊ぶ」
一思いに、口へと花を入れた。強烈な苦味が広がり、涙が止まらなくなる。
隣を見ると、日和パパは毒に耐えながらも真っ直ぐ前を見据えていた。遅れる私に気づき、肩を貸す。
「……あと少しだぞ」
力強い声に導かれ、私は一歩ずつ橋を進んだ。
気づけば、世界は変わっていた。
橋を渡り切った先――そこは昼間に見た川の対岸ではなかった。
夜の帳が降りたような青白い光が辺りを包み、足元には無数の青い彼岸花が咲き乱れている。花弁は淡く発光し、地を這うように揺れていた。その光景はどこまでも続いているようで、外から見た赤野とは明らかに異なる、隔絶された世界だった。
空を見上げると月が大きく浮かび、輪郭は揺らめきながらも不思議なほど明るい。月明かりに照らされて、宙を漂う蛍の群れが幻想的に舞う。花々の青と蛍の光が溶け合い、視界全体が淡い光の海となっていた。
さらに奥へと進むと、一際大きな大樹がそびえ立っていた。幹は何人もの大人が手を繋いでようやく抱えられるほどの太さで、枝葉は夜空を覆うように広がっている。その根元には小さな祠があり、ひっそりと置かれた供物や装身具が並べられていた。
目を凝らすと、そこには見慣れぬ品々が混ざっていた。繊細な刺繍の施された布切れや、異国風の細工が施された小瓶。日本では目にしたことのない形の十字飾りのようなものもある。まるで世界のどこかから流れ着いた記憶が、この祠に寄り集まっているかのようだった。
私は思わずミサンガに触れた。手首の編み込みの感触が指先に伝わる。これもまた、ここに連なる「思い出」のひとつなのだと胸が締め付けられた。
日和パパは祠の前で立ち止まり、静かに目を閉じた。まるでこの場所自体が、死者と生者の境界を示しているかのようだった。
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