第6話 再会
祠の前に立ち尽くす私の耳に、ふっと声が届いた。
「……沙羅ちゃん」
その瞬間、全身の血が逆流するような衝撃が走った。
聞き間違えるはずがない。何度も夢の中で呼ばれた声。私が世界で一番、待ち望んだ声。
「……日和?」
振り返った先に、彼女はいた。
白いワンピースに身を包み、少し短くなった髪が月明かりに透ける。細い肩、小さな体――でも、そこに立つ姿は紛れもなく私の親友、日和だった。
「ほんとに……日和なの?」
喉が震え、声にならない。
けれど、日和はいつもと変わらない優しい笑顔でうなずいた。
「うん……ごめんね、沙羅ちゃん」
次の瞬間、私は駆け寄っていた。
夢中でその手を掴もうとしたが、指先はすり抜ける。冷たく、透き通って、水のように確かな形を持たない。けれど、それでも――そこにいるのは間違いなく日和だった。
「なんで……なんで、こんな形でしか会えないの……!」
言葉が嗚咽に溶ける。胸の奥が裂けそうに痛んだ。
日和は首を横に振り、そっと微笑んだ。
「私ね、ずっと沙羅ちゃんのそばにいたよ。教室で一人でお昼を食べてた時も、夜に泣きながら眠った時も……沙羅ちゃんが私を思い出してくれる度、ずっと」
その言葉に、涙が溢れた。
「怖かったよね、苦しかったよね……助けられなくて、ごめん……」
「違うよ」
日和は一歩近づき、私の顔をまっすぐに見つめる。
「最後まで、沙羅ちゃんと過ごした時間が私を支えてくれたの。だからありがとうって言いたかったの」
そう言って、日和は私を抱きしめた。
冷たいはずの体温が、確かに胸に広がる。柔らかくて、震えるほど優しい温もりだった。
「沙羅ちゃん、幸せになってね」
その声は涙でにじんだ夜空に溶けていった。
次の瞬間、日和の体から淡い光があふれ出す。花弁のようにきらきらと舞い、彼女の姿を包んでいく。
「待って! まだ話したいことがあるの! 行かないで!」
必死に呼びかけるが、日和の輪郭は徐々に薄れていった。
最後に見えたのは、微笑みだった。
「――沙羅ちゃん、大好きだよ」
光の粒に溶けるようにして、日和の姿は消えた。
残された私は、祠の前で崩れ落ちた。泣き声が夜の赤野に響く。
ふと、腕に温もりを感じた。見下ろすと、手首にはっきりと赤い花弁のような痕が残っていた。
――日和に抱きしめられた場所だった。
それは痛みではなく、確かな繋がりとして刻まれた印だった。
気がつくと、私は花御橋の上に倒れていた。
夕暮れはとっくに過ぎ、辺りは夜の闇に沈んでいる。だが、赤野の青白い光も、蛍も、もうどこにもなかった。
仏壇に手を合わせた時と同じように、蝋燭の火の匂いが鼻に残っている。けれど、現実の風は湿って重く、肌寒さすら感じた。
隣を見ると、日和パパも地面に手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。顔には汗がにじみ、肩は大きく上下している。それでも、目だけはまっすぐ前を見据えていた。
しばらく沈黙が流れた。橋の下の川音だけが、私たちを包んでいる。
やがて、日和パパは口を開いた。
「……日和は、元気だったか?」
その言葉は震えていたが、不思議なほど真っ直ぐに届いた。
私は言葉を返せなかった。胸が詰まり、喉が塞がれる。ただ、強くうなずくことしかできなかった。
日和パパはそれ以上、何も聞かなかった。
ふっと目を伏せ、わずかに口元を緩めた。その仕草は、ほんの少しだけ安堵しているようにも見えた。
私は左手首を見下ろした。そこには赤い花弁のような痕がくっきりと残っていた。日和の抱擁の温もりが、まだ皮膚の奥に刻まれている。
――確かに、あの場所で再会した。
それが幻想であろうと、幻覚であろうと構わない。この痕が、すべてを証明していた。
川の向こうにはただの暗い土手が広がっている。昼間に見た風景と何ひとつ変わらない。
けれど、私にはもう見えていた。誰にも触れられない、確かな記憶が。
夜風が吹き、橋の欄干をかすかに揺らした。
その音に紛れて、どこかで聞いた気がする――日和の笑い声が、ほんの一瞬だけ聞こえたような気がした。
花御橋 瀬戸口 大河 @ama-katsu1029
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