集団ストーカーとおじさんと独我論
伽墨
朝の電車での出来事でした。
ある朝のこと。
私は足取り重く通勤電車に乗っていた。持病がありヘルプマークを持っているので、いつもありがたく優先座席に座らせてもらっている。
私は電車に乗る時にはワイヤレスイヤホンを着用してノイズキャンセリングをオンにして、大音量でいろんな音楽を流している。そうして足取りの重さを軽くしているのだ。その日は確か、Fear, and Loathing in Las Vegasの曲を聴いていたと思う。
電車に乗り、席に座り、ふと横を見ると、横に座っているおじさんが身振り手振りを激しくしながら何か喋っているようだった。はじめは「ああ、なんか電話で揉めてるのね」と思ったのだが、そのおじさんはスマホを手に持っていない。何ならイヤホンもしていない。ということは、何かを乗客に訴えているのだろうか。
そのおじさんが何を喋っているのか聞きたくなり、私は曲を止め、イヤホンのノイズキャンセリングをオフにした。
「集団ストーカーの被害に遭ってるんです!私はねえ、確かに被害に遭ってるんですよ!医者はね、警察とグルになっている。誰も私が正しいと認めない。私だってねえ、こんなのなる前は信じられなかったですよ!国家規模のストーカーだなんて、妄想だと思ってましたよ!でも、実際にいるんです、集団ストーカーが──」
私はハッとした。この人はおそらく統合失調症なのだろうが、よくある症状とは少し、いや、だいぶ違うなと思った。なぜか。それは「こうなる前は信じていなかった」という一言が引っかかったからだ。
「こうなる前は信じていなかったが、今となっては“集団ストーカーの存在”を確信している」
つまり、ある日から集団ストーカーの存在がはっきりと、現実としてそのおじさんに現れたということになる。そして、「前は信じていなかった」ということは、それなりに統合失調症がどのような病気であるとか、あるいはそういう妄想を語る人がいるとか、ある程度の前提知識がそのおじさんにはあった、ということになるだろう。すると、私は考えさせられる。狂っているのはこのおじさんなのか、それとも世界なのか。
私の視点から、いや私も含めたそのおじさん以外の人々からしてみれば、「ああ、あの人は統合失調症だ」という一致した見解が得られるだろう。しかし、そのおじさんにとってはそうではない。言ってみれば、ある日突然世界全部が敵になったようなものだろう。それなりに統合失調症についての前提となる知識、つまり現実としてそういう病気があることを「知って」いながらも、それらが無意味となるような、あるいは「誤り」となるような、集団ストーカーのそのおじさんに対する現れ。そのおじさんにとって、それが現実の出来事ではないと、どうして言えるのだろうか。
そう考えると、そのおじさんは、ある種強力な独我論に囚われてしまったのだな、と思った。「私に見えている世界が私の世界だ」というのは、普段考えないようにしているが、薄々みんなそう思っていることだろう。その淡い独我論が、そのおじさんにとっては現実として突きつけられてしまったのだ。
そのようなことをあれでもない、これでもないと考えていたら、そのおじさんは立ち上がり、周囲に威嚇するような身振り手振りを続け、電車から降りていった。
私は今でも不思議に思う。あのおじさんが正しかったのか、それとも自分の見ている世界が正しかったのか、どちらなのか。狂っているのは実は私の方なのではないか。
いまだに結論は出せていない。
集団ストーカーとおじさんと独我論 伽墨 @omoitsukiwokakuyo
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