第22話 土産
令和七年に飛ばされていた私は、四十歳となったマチコの言葉を聞いたのを最後に、平成十五年の石室へと戻されていた。
……ああ、今見てきたあれは未来だったのか。まるで現実のようだった。
うまく表現できないが、今ここにいる私は、果たして「現在進行形」の私なのだろうか。
宇佐美やショーン博士が大量に出現していたが、あれらもまた、各々が自分を現在進行形だと思っているのだろうか。
もしすべてに自我があるとすれば、この世は無数の意識で埋め尽くされていることになる。
現在。いや、現代的=モダン。誰が名付けたのだ?
源八はそれを「土産」と呼んでいる。
瞬間にして、さまざまな考察が頭を駆け巡った。
我に返って石室を見渡すと、大量のショーン博士を源八がひとりひとり穴に突き落としている最中だった。
未だ幾十人もの博士が、恍惚とした表情で立ち尽くしている。
「渡辺、何が見えた?」
佐藤が問いかける。
「……まだ見ぬ年号の時代だった。あたかもそこが自分のいるべき時代のような気がしたよ。実体もリアルで、これはタイムトラベルなのか、現実なのか、非常に曖昧な出来事だった」
私が答えると、佐藤はすぐに頷いた。
「そうなんだよ。意識だけじゃないんだ。リアルすぎるんだよな」
そう言いながら付け加える。
「渡辺、メモ、メモ。全部無駄足になる」
慌てて私は手元のノートを開いた。
〈壁さわる まだ見ぬ年号 令和七年 現実的〉
〈マチコ四十歳 あなたは一人で生きられないものね〉
〈博士百人超え〉
設楽は途方に暮れたような声を漏らす。
「博士は無事に帰還できるんでしょうか……このままだと宇佐美氏の二の舞に……」
すると佐藤が源八に声をかけた。
「手伝いましょうか?」
思いがけない提案に、源八は一瞬呆気に取られた。だが、すぐに答える。
「……頼む」
こうして源八と佐藤の手によって、大量発生しているショーン博士は次々と穴に突き落とされていった。
しかし作業のさなか、源八がぼそりと漏らす。
「こりゃダメだな……土産持たせるしかねえや」
その言葉に一同は息を呑んだ。土産を持てば帰還はできる。だが、それで無事に済んだ者はいない。私たちは皆、そのことを知っていた。
私は恐る恐る問いかける。
「……土産を持てば帰還できても、無事ではないのですよね?」
源八は博士を突き落としながら吐き捨てるように答えた。
「帰還させるには他に手段がねえんだ。壁を壊すからこうなる」
次の瞬間、源八の手に現れたのは直線的な、まるで家具の一部のような形状のモダンだった。
彼はそれをためらいなく、一人の博士に押し付ける。
「アメーイジン! エクスタシー!」
モダンを受け取った博士は、歓喜に顔を歪め、声を上げた。
その様子を見た他の博士たちは、我先にと叫ぶ。
「ウラヤマシイデース!」
「ワタシニモクダサーイ!」
「ワタシガサキデース!」
石室内は一気に大混乱へと陥った。
源八は必死に博士を穴へと突き落とし続け、ついに最後の一人を処理し終えると、大きく息を吐いた。
「ふう……しんどい」
そして、我々に視線を向けて言い放つ。
「お前らも帰れ。ここへはもう二度と来るな」
源八はその場に腰を下ろした。
石室には、彼の荒い呼吸音だけが残響のように響いていた。
◇
今は真夜中か、あるいは未明か。気がつくと私たちは寺の境内に帰還していた。
佐藤、設楽、そして私。その傍らに、もう一人。ショーン博士が境内の石畳に横たわっていた。
博士の胸元は固く閉ざされることなく、両手は組まれ、その腕の中には“モダン”が収められていた。まるで母の胎に還る子のように抱き締め、博士の顔にはこれ以上は望めぬほどの恍惚の笑みが浮かんでいた。
「救急を呼んで」
設楽が冷静に判断を下した。
救急が来るまでの間、私はポケットに忍ばせていたメモ帳を取り出し、目を落とす。
〈壁さわる まだ見ぬ年号 令和七年 現実的〉
〈マチコ四十歳 あなたは一人で生きられないものね〉
〈博士百人超え〉
〈源八博士落とす佐藤手伝う〉
〈土産もたせる〉
〈土産のせいじゃない 他に手段がない 壁壊すこうなる〉
〈博士歓喜恍惚〉
〈博士土産持たされる〉
〈もう二度とくるな〉
記された断片は、走馬灯の残滓のように私の脳裏を過ぎっていく。
博士は「土産を持たされたから」壊れたのではない。メモの通りなのだ。恐らく壁を壊したから、博士もまた壊れたのだろう。
あの場で垣間見た未来の記憶は、すでに霞のように薄れ始めている。どんな姿だったか、どんな声だったか、輪郭は失われつつある。残されたのは、このメモに書き残された言葉だけだ。
境内を渡る風は、秋の冷たさを孕んでいた。遠くで救急車のサイレンが近づいてくる。
私は石畳に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「ここで一度、暗黙知を言語化しておくべきだな」
そう呟いた自分の声が、闇夜に小さく吸い込まれていった。
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