第17話 静寂

 白い蛍光灯の光が、薄く汗ばんだ額を照らしていた。

 病院の病室。窓には薄青いカーテンが垂れ、外気と遮断された空気は乾いている。機械のリズムが静かに刻まれ、ベッドの上に横たわる宇佐美は、昏睡の底で眠り続けていた。


 その掌に握られていた小石。いや、あれは明らかにモダンであった。継花石のきらめきを宿すそれを見つけたとき、博士は子供のように目を輝かせた。

「……間違いない。これが証拠だ。石室と外界を繋ぐ唯一の“しるし”だよ」

 分厚い眼鏡の奥で博士の瞳が熱を帯びる。


 通訳として付き添う設楽は、しかし口を引き結び、周囲に気を払うように小さく身を固めていた。博士の言葉をそのまま声に乗せることはできない。ここは病院であり、警察の監視もあるのだ。


 病室の隅では、制服姿の警官が記録用の手帳を閉じた。

「宇佐美さんがこうして見つかったのは幸いだが……」

 警官の声は硬い。「まだ複数の住民が行方不明のままなんです」


 私は一歩踏み出し、思わず言葉を継いだ。

「だからこそ、現場を調べるべきでしょう。あの石室の中で、何が起きているのかを」


 しかし警官は顔を曇らせ、手を振る。

「本部でも検討はしています。ただし証言はどれも曖昧で、しかもあなた方は数日もあの場所で過ごしていた。時間感覚が混乱している可能性もある」

「だからといって、手をこまねいている間に失踪者が戻るとでも?」

 佐藤が苛立ちを隠さず声を張った。彼は私の同行者としての立場を守るためか、いつになく熱のこもった言い方だった。


 警官は視線を落とし、短く「上には伝えます」とだけ答えて部屋を去った。

 その背中を見送りながら、私は確信する。警察は動かない。いや、動けないのだ。裏付けの乏しい怪異に、公的な人員を割けるはずがない。


 博士は両手でモダンを包み込み、陶酔するように囁いた。

「ならば我々が行くしかない。この石と石室の関係を明らかにするために」


 その直後にモダンは証拠品として、後からやって来た警官に持ち去られてしまった。

 膝の上に残ったのは、ぽっかりとした空白だけ。

 博士はその空白を両手でそっと撫でながら、口を尖らせてうなだれた。

「……ああっ、私のモダンが……返して……」

 声は小さく、けれどどこか子どもが大事な玩具を取り上げられた時のような哀愁に満ちていた。

 一瞬、場が気まずい沈黙に包まれたほどだ。


 設楽は額に汗を浮かべ、通訳する声をわずかに震わせた。

「博士は……石室に再度入るべきだと」


 佐藤がこちらを見る。

「渡辺、お前はどうする?」


 答えは最初から決まっていた。

「俺は記者だ。真実を確かめなければ記事にならない。危険だろうが、行く」

 佐藤は苦笑しつつも頷いた。「取材の責任、か。俺も付き合うよ」


 こうして私たち四人、博士と設楽、そして佐藤と私は再度石室へ向かうことを決めた。

 山本の姿はなかった。彼は警察に勾留され、宇佐美と共に病院側に委ねられている。あの夜の不法侵入から始まった騒動は、奇妙な形で彼を傍観者に追いやっていた。


 ◇


 旧日方邸へ続く道は、夕暮れの影に沈んでいた。

 夏草は伸び放題に生い茂り、誰も手入れをしない敷地はただ静けさを強めている。館の壁面に貼りつく蔦は黒ずみ、廃墟の匂いを纏っていた。

 私たちは互いに言葉少なに歩き、門をくぐった。

 玄関を抜け、崩れかけた廊下を進む。

 靴音が湿った木の床を叩くたび、埃が舞い上がり、懐中電灯の光に白い粒となって浮かび上がった。


 やがて石室への階段に至る。あの冷気が、またも地下から吹き上がってきた。

 私の背筋に寒気が走る。あの大男─源八の影が脳裏をかすめる。彼は何者なのか。なぜ我々を突き落とすのか。


 佐藤は息を整え、短く言った。

「今回は……できれば会話を試みたいですね。あの男と」

「そうだな」私は頷く。「だが、もし姿を現したら、また穴に落とされるだけかもしれない」


 博士は聞いていないかのように前へ出る。

「よろしいか。まずは内部の調査だ。時間は限られている」

 その背を追い、私たちは再び石室へと足を踏み入れた。


 ◇


 地下に広がる石室は、前回と変わらぬ冷たさに包まれていた。

 巨大な岩壁に穿たれた空間は、苔むした香りと湿気を漂わせ、わずかな光も飲み込んでいる。


 私たちは足を止め、周囲を探った。

  だが。


「……いない」

 佐藤が低く呟いた。


 源八の姿はどこにもなかった。

 あの圧倒的な巨体が潜んでいる気配すらない。石室はただ静まり返り、我々を迎えていた。


 博士は口角を吊り上げ、歓喜に近い笑みを漏らす。

「これは千載一遇の機会だ! 調べ放題ではないか!」

 彼は壁面へ駆け寄り、掌で岩をなぞり、隙間を覗き込みはじめた。


 私は警戒を解かず、闇の奥を見据える。

 本当にいないのか? 源八は、何のためにここにいるのか? 住民たちは?


 疑問は増すばかりだった。

 だが石室は沈黙を守り、博士の興奮だけが虚ろに響き渡っていた。

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