第14話 断片の記録
翌日、我々は再び石室へ入る決断をした。前回の帰還後、残されたのは曖昧な恐怖と、
設楽が口走った「野良着の大男」の記憶、山本の「人が穴に突き落とされていた」という断片的な証言、そして私のノートに殴り書きされた意味不明の単語の羅列だけだった。
それでも進むしかない。記録は残せるはずだ。記憶が消えるなら、物理的に紙や機械に刻んでしまえばいい。そう考えて、今回はメモ用紙だけでなく、小型レコーダー、ハンディカメラまで用意した。博士は興奮していた。
「手ぶらでは帰れん。必ず何かを持ち帰る」
その執念が異様に見えた。
石室の入口に立つと、全員の呼吸が重くなる。佐藤が先頭に立ち、
「俺が話を引き出す。みんなは記録に集中してくれ」と言った。
山本は頷くだけで、博士は冷静に装いながら指先が震えている。
設楽は辞書を抱え、通訳としての役割を自覚している様子だ。
私は最後尾に位置取り、ペンを握った。
闇を抜けた瞬間、広大な石室が目に広がった。壁は無数の刻みと模様で覆われ、まるで記録簿のように歴史が塗り込められている。異様な空間だった。
そして、やはりそこにいた。あの大男。野良着に似た衣服をまとい、こちらを振り向くと同時に声を放つ。
「……またか」
その一言で背筋が凍った。彼は怒りでも驚きでもなく、ただ心底うんざりしたように吐き捨てた。
佐藤が勇気を振り絞り、「お前は誰だ!」と問いかける。
だが大男は答えず、宇佐美を掴み、迷いなく穴へ突き落とした。宇佐美の叫びが響く。
私は反射的にノートを走らせた。〈またか〉〈宇佐美〉〈突き落とす〉。
次の瞬間、気づけば我々は寺の境内に立っていた。
手に残ったのは震える文字で書かれたメモだけ。録音機は無音、カメラも真っ黒だった。
◇
二度目の突入。博士の顔には疲労よりも執念が浮かんでいた。
「単語でも、積み重ねれば輪郭が浮かぶ」
その言葉に押され、私たちは再び石室へ。
現れた源八は前回と違う言葉を吐いた。
「忘れるくせに、しつけえ奴らだ」
佐藤が「なぜ宇佐美を突き落とす!」と詰め寄る。
大男はちらりと我々を睨み、「邪魔すんな」とだけ返した。
宇佐美はまた掴まれ、穴へと消える。
私はノートに書いた。〈忘れるくせに〉〈邪魔すんな〉
次の瞬間、またも境内。
◇
三度目。源八は苛立ちを隠そうともしなかった。
「お前ら、何しに来る」
佐藤は繰り返す。「お前は何者だ!」
「うるせえ」
その一言。宇佐美が再び穴に消える。博士は震える声で「観察を続けろ」と私に促す。
ノートには〈何しに来る〉〈うるせえ〉
気がつけば、やはり境内。記憶は霞んでいく。
しかし、書かれた文字だけは確かに残った。
◇
回数を重ねるごとに、メモは増えていった。
「黙れ」「また来たのか」「忘れるくせに」単語の断片ばかり。
だが、宇佐美だけは毎回同じように何度も何度も突き落とされていた。
記憶は消える。だが恐怖と奇妙な余韻だけは、確かに心に残り続ける。
大男が何者かも、ここが何なのかも、まだ分からない。
だが、断片は確実に積み重なっている。
私には気になることがあった。
「佐藤、大男への質問はどんな言葉を投げかけるつもりだ?」
これまでの数回、大男とは会話にならなかった。理由があるかもしれない。
近隣住民への聞き込みでは大活躍だった佐藤だが、大男には通用しないのか?
佐藤は答えた。
「“お前は誰だ?”って聞くさ」
記憶はないが、恐怖だけは染み付いてる様子が伺える。身構えてしまうことは想像に難くない。
私は少し考え、口を開いた。
「お前らしくないな。大男は宇佐美を突き落とす事に意識を集中してるよな? ……提案なんだが、答えやすい聞き方にできないか? “源八さんですよね?”とかさ」
いま知りたいのは、大男の正体と、帰還する仕組み。
だがそれ以上に惜しいのは……
「ああそうか、あそこでの出来事の一番最後の状況をメモしていれば良かったな。……ミスったわ」
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