第12話 帰還

 あの恐ろしい光景から、どれほどの時が経ったのだろうか。

 気がつくと、私たち五人は寺の境内に立っていた。まるで夢から覚めたように、あるいは時間を飛び越えたかのように、そこにいた。


 ショーン博士、佐藤、通訳の設楽、山本、そして私。誰もが呆然と立ち尽くしていた。

「……ここは……?」

 誰かが呟いた。だが答えは返ってこない。境内の灯籠に明かりが点りはじめ、周囲はすでに薄暗くなっていた。


 私たちは互いの顔を見合わせた。記憶が曖昧で、どうしてここにいるのか説明できる者はいない。

「寺……? なぜ……」佐藤が額に手を当てた。「さっきまで……どこに……?」

 誰も答えられない。


 辺りを見渡すと、境内は不気味なほど静まり返っていた。秋の風が木々を揺らし、虫の声だけが響く。私たちは現実感を失い、ただそこに立っているしかなかった。


 時間を確かめようとスマートフォンを取り出す。画面に映った日付を見た瞬間、全員が凍りついた。

「……一週間……?」

 日付は、私たちが旧日方邸を訪れた日から、きっかり七日後を示していたのだ。


「そんなはずはない!」山本が声を荒げた。「朝に入ったはずだ、せいぜい数時間……!」

「でも、見ろよ。日付は動かせない。」佐藤は冷静に言ったが、その顔は蒼白だった。

 つまり、私たちは一週間もの間、行方不明……神隠しにあっていたことになる。


 すぐに関係者へ安否の連絡を入れる。心配をかけたに違いない。幸い、電話は繋がった。誰もが半信半疑のようだったが、私たちが無事であることに安堵していた。


 それから私たちは、近隣の民宿に宿を取ることにした。寺の境内に長居する気分には到底なれなかったからだ。宿の夕食を囲みながらも、全員の頭は混乱していた。

「……どうしてここにいるのか、まるで思い出せないな」佐藤が呟く。

「私もです」私は言った。「でも、かすかに……階段を降りた記憶があるような……」

「石室?」設楽がこちらを見た。「確かに……私たち、あそこへ行ったんです」


 その言葉に全員が驚き、設楽に視線を集めた。

「覚えているのか?」

「いえ……正確には、覚えてはいません。ただ……あの空間の感覚だけが残っているんです。広がるはずのない場所に、ありえない光景……それから……」

 設楽は少し息を整えて言葉を続けた。

「小汚い野良着を着た大男がいた。彼が何かを怒鳴っていたんです」


「野良着の大男……」私は無意識に繰り返した。

「そうだ、俺も……」山本が口を開いた。「あの男は、人を……何度も穴に突き落としてた気がする」

「!!!」

 全員が一瞬言葉を失った。互いに顔を見合わせ、背筋を冷たいものが這い上がる。


「人を……?」佐藤が低く問いかける。

「誰を……?」

 山本は苦しげに首を振った。「はっきりとは思い出せない……けど、同じ人間を何度も……」


 私の脳裏に、あの悪夢のような光景が一瞬だけ蘇った気がした。だがすぐに霧がかかったように消え、掴むことはできない。


「もしかして……」佐藤が口を開いた。「その大男って、源八なんじゃないか?」

「源八……?」

「そうだ。源八の風貌は記録が曖昧だが、村の伝承では“野良着姿の巨漢“とされている」


 全員の表情が固まった。確証はない。だが、そう考えると全てが妙に結びつく気がする。


 だが、そこでショーン博士が唐突に笑い声を上げた。

「Wonderful! いや、Fantasticと言うべきか!」

 私たちは驚いて博士を見た。恐怖と混乱に震えている我々とは対照的に、博士の目は輝いていた。


「わからないのか? これこそが“現象“だ! 私たちはただの夢を見たのではない、確かに異界に足を踏み入れたのだ!」

「博士……」佐藤が呆れたように言う。「あなた、怖くはないんですか?」

「怖い? No! 恐怖よりも興味が勝っている! 情報、記録、証拠……何でもいい。私は手ぶらで帰るつもりはない。あそこには確実に“何か“がある!」

 博士は身を乗り出し、テーブルに拳を叩きつけた。


 我々は言葉を失った。博士の熱狂は、常識を超えた領域に踏み込む科学者の業のように思えた。だが、その言葉の裏には、あの石室に潜む恐怖を再び呼び覚ます予感があった。


「……博士、あそこに戻る気ですか?」設楽が恐る恐る尋ねた。

「Of course!」博士は即答した。「私はまだ何も手にしていない。帰れるものか!」


 その夜、民宿の部屋は重苦しい沈黙に包まれていた。全員が眠れぬままに、胸の奥で同じ問いを繰り返していた。

 本当に、あれは源八だったのか?

 そして、我々はなぜ戻されたのか?


 月明かりが障子越しに差し込み、ぼんやりとした影を作る。私たち五人は、それぞれの恐怖と興奮を抱えたまま、夜を迎えたのだった。

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