第11話 邂逅

 零光会での一件から数日が経過していた。山本が神隠しから無事に帰還したことで、私と佐藤は再び旧日方邸の石室を調査する計画を立てていた。あの不可解な空間、そして未だ戻らぬ宇佐美の存在。全ては、あの地下の奥深くに答えが眠っているはずだと考えていた。


 しかし、計画を耳にしたショーン博士が興奮気味に私たちに迫ってきた。

「石室だと!? そこに入らずして帰国など考えられるか! 私は必ず同行する!」

 通訳が必死に博士の言葉を柔らかく伝えるが、その眼差しの熱は隠しきれない。博士にとって石室はただの調査対象ではなく、まさに人生を賭けるべき未知の領域であったのだ。


 こうして当初の予定は修正され、私、佐藤、ショーン博士、通訳の設楽、そして山本の五名で旧日方邸を訪れることになった。秋晴れの空は嘘のように澄み切り、何の穢れもない。しかしその清浄な光景とは裏腹に、私たちが向かう先は得体の知れぬ闇であった。


 屋敷の中に入り、かつて見つけた箪笥の下の床板を外すと、暗い階段が姿を現す。埃をまとった空気が立ち上り、古びた木の軋む音がどこかで響いた。私たちは無言のまま階段を降り、狭い通路を進んでいった。壁は土と石でできており、どこか柔らかく歪んでいるように見える。博士は嬉々として壁を指でなぞり、何かをぶつぶつと英語で呟いていた。設楽が必死にその内容を訳す。

「博士は……『空間の位相が歪んでいる、時空の連続性が崩壊している兆候だ』と……」


 やがて少し開けた空間に出た。そこで私の目に飛び込んできたものは、到底現実とは思えぬ光景だった。


 一人の大男がいた。歳の頃は六十ほどだろうか。野良着を纏ったその姿は、時代遅れの農夫のようでもあり、しかしその体躯と眼光は異様な威圧を放っていた。大男の目前に現れる人影を、大男は掛け声と共にためらいもなく穴へと突き落としている。

 「ホウリャ!ホウリャ!……」

 信じ難いことに、突き落とされた人物は再び大男の前に現れる。現れては落とされ、落とされては現れる。その繰り返しが、目の前で延々と続いていた。穴の底からは何も聞こえず、ただ虚無のような闇が口を開けているばかりだった。


「お前は誰だ!」私は思わず声を張り上げた。


 しかしその問いに答えたのは山本だった。

「……穴に突き落とされているのって宇佐美さんですよ」

 声が震えていた。


 恐怖が全員を支配した。この大男は何者なのか。なぜ宇佐美を、何度も、何度も突き落としているのか。常識では説明のつかない光景に、私の背筋は凍りついた。ありふれた言葉で表すなら“悪魔“……。

 そう、この男は悪魔としか思えなかった。


 大男はこちらに気づいたのか、野太い声で吐き捨てるように言った。

「……ん? 宇佐美だ? 誰だそりゃ。ここは俺の空間だ」

 だがその言葉の意味は一同には理解できなかった。


 さらに男は私と山本を指差した。

「お前と、お前もだ。せっかく逃がしてやったのに……懲りもせずまた来たのか」

 恫喝するような声が空間を揺らした。私も山本にも大男に関する記憶がないため、ただ怯えて後ずさるだけだった。

 ……まさか私も大男と一度ここで会っていたのか…?


 その時、ショーン博士が場違いにも興奮した声を上げた。

「素晴らしい! ここは曖昧な空間だ! 連続性のない記憶や情報は存在しないも同じ。時空の揺らぎの中で見たものは忘れ去られるという仮説を裏付ける証拠だ!仮に過去や未来を見てきたとしても忘れ去られるだろう!」

 設楽が慌てて博士の言葉を日本語に訳すが、私たちにとってその学説などどうでもよかった。ただ恐怖の只中にいるだけだったからだ。


 大男の手が再び宇佐美を突き落とす。だが、次々と新たな宇佐美が現れる。宇佐美は突き落とされてもまた現れる。

 一同と大男がやり取りをしている間、大男の手は止まる。その結果、その場に留まる宇佐美の個体が徐々に増えていく。ついには空間の中に百人を超える宇佐美が立ち尽くす事態となった。


 異様な光景に一同は言葉を失った。息をすることすら忘れていた。


 大男は苛立ちを隠さぬ声音で言い放った。

「見ろ! お前ら邪魔で、こいつが百人超えちまったじゃねえか!」


 私たちは身動きが取れず、ただその地獄絵図を見ているしかなかった。

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