第10話 信者の帰還
零光会に一報が入った。数ヶ月前から行方不明だった信者の山本が、ついに発見されたのだ。
知らせを聞いたショーン博士は、まるで子供のように目を輝かせた。通訳を介して私と佐藤に言う。
「ぜひ、その人に会わせて欲しい」
博士の声には抑えきれない熱がにじんでいた。
その日の午後、私と佐藤はショーン博士を伴い、零光会本部へと足を運んだ。重厚な扉を抜けると、案内役の信者に導かれて静かな応接室に通される。
ほどなくして山本が姿を現した。痩せこけ、顔色も冴えないが、しっかりと自分の足で歩いてきた。
「山本さん、わかりますか。数ヶ月ぶりなんですよ」
私がそう告げると、彼は呆然とした表情で首を横に振った。
「そんなはずは……。私は、ほんの一晩、旧日方邸へ行っただけのはずです」
声は震えていた。本人にとっては夕方から夜明けまで。だが現実には数ヶ月が過ぎている。その隔たりが彼を混乱させていた。
博士が前のめりになる。通訳の設楽を介して質問が飛ぶ。
「どうして旧日方邸に? 誰と一緒だったのですか?」
山本は唇を湿らせ、しばし沈黙したのち、重く口を開いた。
「宇佐美さんに連れられて行きました。私だけじゃありません。信者以外の人も、何人か一緒でした。宇佐美さんは旧日方邸の合鍵を持っていて……ためらいもなく扉を開けたんです」
私は息を呑んだ。信者以外の人間まで? しかも宇佐美が案内役として?
「中に入って……どうなったんです?」
佐藤が低く問いかけると、山本は額に汗を浮かべながら答えた。
「最初は何もなかった。埃っぽい廊下や、空気の重たい部屋を歩き回っただけでした。けれど……気がつくと、どこにいるのか分からなくなったんです。
廊下が延びたり縮んだりして……誰が隣にいたのかも、もう思い出せない。気がついたときには寺の境内に居て、夜が明けていました」
博士は通訳の設楽を通じて矢継ぎ早に質問を続ける。
「時間の流れが途切れた感覚はありましたか? 身体に異常は?」
山本は目を閉じ、しばらく考え込んだ。
「……寒かった。背骨の奥に氷を流し込まれるように。あとは……耳の奥で、低い唸り声のような音が響いていました」
応接室の空気が一層重くなる。
博士の目はぎらぎらと光り、通訳を通して興奮気味に言った。
「これは貴重な証言です。時間認識の齟齬、空間の変容感覚、聴覚的幻覚。すべて私が研究してきた“高次構造の影”と符合する!」
私は膝の上で拳を固く握りしめていた。
判明しそうで判明しない。掴めそうで掴めない。
答えを目前にしながら霧が深く立ち込めるような苛立ちを、どうしても隠しきれなかった。
私は、問いかけるべき大事な質問を失念していたことに気づいた。
「……山本さん、なぜ旧日方邸に行ったんです?」
その瞬間、彼の目がわずかに泳いだ。
やがて観念したように、搾り出すような声で答えた。
「宇佐美さんに誘われたんです。彼は……生贄を使って“モダン”を手に入れ、オークションで売りさばこうとしていました。莫大な利益が出るから、と。それでその利益を俺と折半しようって」
佐藤が息を呑むのが横で分かった。
私はただ、心の奥で冷たい何かが広がるのを感じた。
またか。
ああ、ここにも同じような輩がいたか。
これは既視感なのか、それともこの土地に刻まれた因果の繰り返しなのか。
期待を裏切られた感情の行き場を失い、私は唇を噛んだ。
「……山本さん、あなた、手ぶらで帰還したんですよね?」
「……はい」
うなだれる彼に、私は静かに言った。
「もう、旧日方邸には二度と近づかない方がいい」
その言葉は忠告のつもりだった。だが、自分でも気づかぬうちに、祈りのように響いていた。
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