第8話 招待

 佐藤と別れてから一週間が経った。私は日常業務に戻り、社内で記事の整理に追われていた。

 そんな折、佐藤から一本の電話が入った。受話器の向こうから聞こえる声は、少し興奮を含んでいた。


「渡辺、来週さ、零光大学に来てくれないか。アメリカから学者が来ることになったんだ」


「学者?」


「ホランド・K・ショーン博士という人物だ。タイムトラベル理論を研究しているとかで、しかも最近ネバダ州の洞窟で奇妙な工芸品を見つけたらしいんだ」


 私は思わず身を乗り出した。


「工芸品?」


「ああ。継花石によく似てはいるが、同じものとは言い切れない。資料に写真があった。寺で見たモダンを連想させるが……瓜二つとまではいかない。だが、何かしらの関係があるのかもしれない」


 私は沈黙した。受話器を握りしめる手に、汗がにじむ。モダンに似た石。しかもアメリカの洞窟から?


 佐藤が言葉を継いだ。


「博士は零光会のツテで大学に招待される。オリビア教祖も出席するそうだ。一般の学会発表よりも先に、我々が知ることになる」


「なるほど……」


 私は短く答えた。脳裏にいくつもの断片がよぎる。日方邸での記録、老人の証言、消えた人々、そしてモダン。すべてがひとつの線で結ばれようとしているのかもしれない。


 佐藤が静かに言った。


「来週、零光大学で待ってるからな」


 電話が切れたあとも、私はしばらく机に座ったまま動けなかった。外の街はいつも通りの午後を刻んでいたが、その裏で歴史の扉が開こうとしているのかもしれない、そんな予感が胸を覆っていた。


 ◇


 秋の午後、零光大学の研究棟にある大講義室は静けさに包まれていた。

 窓の外には雲が垂れ込め、光は淡く、重たい空気が漂っている。

 私は最前列の席に腰掛け、固く閉ざされた心を自覚しながらも、壇上の博士に視線を注いでいた。


 ホランド・K・ショーン博士は、研究室に集まった聴衆を前に立ち、ゆったりと口を開いた。


「私が扱っている立方体について、お話ししましょう。これはネバダ州で発見されたものです。用途は不明ですが、内部構造は通常の鉱物では説明できない規則性を示しています」


 スクリーンには、黒く光沢を放つ立方体の拡大写真が映し出される。


「ご覧いただきたい。ネバダ州の砂漠地帯、洞窟の奥で発見された工芸品……いや、工芸品と呼んでよいのかすら定かではない」

 講堂に響き渡る博士の低い声は、通訳の設楽によって高い声の日本語に即時変換される。


 縦横はおよそ十五センチ。材質は黒く、ところどころ金属光沢を帯びている。

 だが、表面には人工的な磨き跡のような平滑さと、自然石の風合いが同居していた。


「一部の記録によれば、日本の奥多摩の寺院にも似たものが存在するようです。

 そしてそれは“継花石”と呼ばれているようです」


 その言葉に、私は無言でうなずいた。寺にあるモダンを目にした経験があるからだ。

 佐藤もまた、真剣な面持ちで聞き入っている。


 博士は続けた。


「ただし残念なことに、その継花石は未だ科学的な分析が行われていません。顕微鏡や分光器でのデータがあるわけではない。

 ですから、私がここで申し上げられるのは

“外観が酷似しているように見える“という印象に留まります」


 聴衆の間にざわめきが走る。


「私の立方体は、未知の物質から成り立っている可能性が高い。もし継花石も同種の素材であれば、奥多摩の伝承と北米の発掘品とが、どこかで繋がることになる。

 それはきわめて刺激的な仮説です」


 博士は言葉を切り、会場を見渡す。


「用途不明の立方体。名前だけは“継花石”と伝わっている。しかし、その正体は依然として闇の中です。我々の研究は、まさにここから始まります」


 ざわ、と教室が揺れる。

 学生の一人が手を挙げた。「人工物、とは言い切れないのですか?」


 博士は頷いた。


「イエス、四辺の角度は正確に直角でありながら、電子顕微鏡で覗くと格子の一部が五角形の分子構造で組まれている。通常、結晶は四角形や六角形によって安定を保つ。五角形は周期性をもたず、自然界では持続が困難なはずだ。

 しかし、この立方体では五角格子が規則正しく繰り返されている。まるで、四次元以上の結晶格子を三次元に投影したときに現れる“影”のようだ。

 もしそうだとすれば、私たちが観測しているのは物質そのものではなく、より高次の構造が生み出す断片的な現れにすぎないのかもしれない」


 博士は一拍置いてから続けた。

「そして私は、この“影”が重力に影響を及ぼし、何らかの作用で時間を狂わせる働きを持つのではないか、という仮説を立てている。ここから先は、これからの研究で明らかにしていきたい」


 学生たちは半信半疑の顔でメモを取っている。笑う者もいれば、真剣に耳を傾ける者もいた。


 私は視線を横へ流した。数列後方に佐藤が座っている。彼もまた、スクリーンに映る立方体を凝視していた。 その表情は硬く、微かな決意が浮かんでいた。


「結論を急ぐつもりはない」

 博士は手を広げた。

「だが、こうした用途不明の遺物が、点在するように報告されていることは事実だ。科学は未だ、答えを与えてはくれない」


 講義室は静まり返った。

 私の胸中では、静けさとは逆に、幾重もの声が響いていた。

 佐藤と視線が交わる。そこには問いかけも、答えもなかった。ただ、次に踏み出すべき瞬間だけが重く漂っていた。


 やがて講義が終わり、学生たちがぞろぞろと席を立つ。

 私は立ち上がらなかった。スクリーンに映る立方体の像が瞼に焼き付き、離れない。

 その像は、過去と未来の境を曖昧にしながら、私を導こうとしていた。

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