第6話 源八の痕跡
秋も深まった午後、私と佐藤は再び寺の石門をくぐった。先日モダンを見学した蔵とは別の棟、今度は寺の古文書室へと案内された。佐藤は小声で囁く。「ここで扱うのは、モダンではなく、ある人物のことだ。名前は……源八。最近の話ではない、ずっと昔の、だけど不可解な噂がある。」
私は軽く頷き、手元のノートに目を落とした。旧日方邸の手記と寺の古い資料を照合しながら、源八という名前が何度も飛び込んでくる場面を思い浮かべた。
文書室の奥、埃にまみれた巻物や冊子が棚に並んでいる。住職が静かに口を開いた。「源八か……。私も見聞きしたのは子供の頃の話。あの石室に関わった人の中で、不可解な行方不明者や奇妙な事件に関係している、と噂された人物です。」
佐藤が身を乗り出す。「住職、具体的には何が?」
住職は少し考え、低い声で答えた。「古い帳面には、石室に入った者が何人か、帰って来なかったと記されている。その中で一際奇妙なのが、源八に関する記述です。生前の行動や所在が断片的にしか書かれていないのです。手記を持ち出して読んだ者の言葉を借りれば、『あの人物は石室の管理とも関わり、時に人の行動を予期するかのように現れる』とあります。」
渡辺は眉をひそめた。手記の筆跡を思い返す。「つまり、源八は直接的な証拠ではなく、噂や記録の中にしか姿を現さない、と。」
住職は頷いた。「はい。しかし、いくつかの証言では、夜に出かけた者が戻らないことがあった。戻ってきた者はほぼ例外なく何かを携えていた。帰還しても精神が乱れることが多かったと伝わっています。」
佐藤は私のノートに視線を落とし、筆を走らせながら呟く。「つまり源八とモダン、石室、不可解な帰還者、全てが何らかの形で絡んでいるということか。」
私は少し間を置き、重い口を開いた。「もし源八が本当に存在し、石室やモダンに関わっているのなら……この記録の中で生きている人間たちの動きも、すでに決まっているのかもしれない。」
住職は深く息を吐き、静かに語った。「古い村の人々の間では、源八という存在に触れると、警告を受けたと考えるのが常でした。迷い込んだ者、雨宿りで入った者、そしてわざわざ石室に足を運ぶ者、全員がそれを知っていたわけではない。しかし、何かに導かれるようにそこへ行く者もあったと言われています。」
佐藤は小さく笑った。「導かれる……渡辺、お前は石室で、導かれる側だったのかもしれないな。」
私は目を細め、目の前の文書を眺めた。記録の中の文字は確かに、源八という存在を指していた。しかし姿は見えない。動きも、声も、全ては書かれた文書の中にしか現れない、不可解な存在の輪郭だけが浮かんでいた。
夕暮れが迫り、寺の庭の銀杏が黄金色に輝く。住職は最後に付け加えた。「文書には源八の名前だけでなく、関連する場所や石室、持ち帰った物のことも断片的に書かれています。全てを追うことは容易ではありません。しかし、必要なら、私は古い資料の閲覧を許可します。」
佐藤は微かにほほ笑み、私を見た。「さあ、渡辺、次はどう動く?」
私は少し考え、答えた。「まずこの資料を全て読み込み、石室やモダン、そして源八の記録を整理する。可能な限り、村人の証言と照合し、事実を積み上げていくしかない。」
寺を出る頃には、日も沈みかけていた。二人の影は長く伸び、石畳の上に並んで揺れる。空にはまだ、昼の名残の淡い光が残っていた。
私の心には、既に次の調査の構想が浮かんでいた。寺の蔵で見たモダンと、石室に関わった人々の記録、そして源八。全てを繋ぐ糸は、まだ細く見えにくい。しかしその糸を辿ることで、不可解な現象の輪郭が少しずつ浮かび上がるはずだった。
佐藤は小声で付け加えた。「無事に帰還した者と、そうでない者の差も、モダンに関係しているのかもしれないな。」
私たちは夕暮れの空を、今は見上げるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます