第5話 隠された影
私と佐藤は寺を後にし、石室で見たモダンの存在について言葉少なに歩を進めた。寺の石段を下りながら、先ほど蔵の奥で目にした燭台や椅子、小物の形状を思い返していた。自然に形成されたとはいえ、どこか人の手による意図を感じさせる奇妙な造形。無事に戻った者たちは皆手ぶらで帰還しているのか、持ち帰った者にはどんな影響があったのか、思索が頭を占める。
「不思議だな、佐藤。あのモダンを持って帰った人は、無事とは言えないのかもしれないな」と私が言うと、佐藤は僅かに顔をしかめ、石室の記録と現代の情報を照合して考え込んだ。
「帰還できたかどうかは別として、あれを手にした人には確かに何らかの影響があったようだ。精神的なものか、身体的なものか、定かではないが……」
蔵で目にした“モダン”の異様さと、行方不明者との関係性。頭の中で考えがまとまらぬまま、二人は次の調査先として村に足を向けた。
昼下がりの陽射しが山裾を染める頃、二人は小さな商店の前に立った。乾物や日用品が並ぶ店内には、杖をついた老人や買い物袋を抱えた主婦が腰を掛けている。都会から来た風貌の私が口を開くと、空気は一気に固くなる。
「少し、この辺りの昔話をお聞きしたいんですが……石室について」
店内の空気が凍りついたように沈黙する。老人のひとりは目を細め、まるで私を突き刺すような視線を送った。
その場をやわらげたのは佐藤だった。軽く会釈をして名刺を差し出す。
「私は零光会の佐藤と申します。こちらの渡辺さんは、以前の記事の件も含めて調査を続けております。村の方々のお話を、正しく世に伝えるためでもあります」
その一言に、周囲の表情がわずかに緩んだ。零光会の名が効いたのか、佐藤の口調の誠実さゆえか。私は苦々しい思いを覚えた。自分が同じことを言っても、こうはならなかっただろう。
やがて、店主が一人の老婆を呼んできた。背は曲がり、声もかすれていたが、その目は澄んで鋭かった。
「石室のことを聞きたいのかえ」
老婆は囲炉裏のある小屋へ二人を案内し、湯飲みに茶を注ぎながら語り始めた。
「わしが子どものころから言い伝えはあった。石室に入ったら帰ってこない。戻ってきても、どこかおかしくなっておる。あの石室からは“モダン”が出るんじゃ」
耳を疑った。モダンという言葉は、寺の住職から聞いたばかりだ。
「昔、村の若い衆が石室から戻ったとき、黒い仮面のようなものを抱えておってな。泣き笑いを繰り返し、夜通し呻いて……結局、数日のうちに死んじまったそうじゃ」
老婆の声が囲炉裏の火に溶ける。私は手帳に走り書きをしながら、ふと背筋が冷えるのを感じた。
「……ご遺体は?」
「寺へ運ばれたよ。しばらくは境内に安置されていたが、坊さんも困っていたようだ。あれは人の持ち物じゃない。わしらの村に、あってはならんもんだ」
その証言は、これまでの伝承と奇妙に噛み合っていた。
日が暮れる頃、二人は村の小さな宿に身を落ち着けた。板張りの部屋に薄い布団が敷かれ、窓からは虫の声が流れ込む。私は机に手記と今日のメモを広げ、眉を寄せていた。
ページをめくるたびに、手記に記された言葉と老婆の証言が重なっていく。石室から戻った者の狂気、抱え込む奇怪な物体、そして早すぎる死。
「……これを記事にすれば、また同じことになる」
ぽつりと呟いた私に、布団の上で胡座をかいた佐藤が首をかしげる。
「同じこと?」
「信じられない話を書けば、荒唐無稽と笑われる。事実をねじ曲げれば、またデマ記事だと叩かれる。俺はどっちに転んでも、記者としての信頼を失うんだ」
佐藤は少し黙ってから、静かに言った。
「渡辺。村の人たちが語ったことも、寺で見たモダンも、すべて現実なんだ。俺たちがどう扱うかは別として、確かにそこにあった。まずは事実を集めること、それが俺たちにできることじゃないのか」
その冷静さが、私には逆に堪えた。ペンを握る手に力がこもる。
夜が更け、囲炉裏の残り火が消えてゆく。窓の外に黒々とした山影が広がり、耳には老婆の言葉がいつまでもこだましていた。
「……モダンを持ち帰った者は、みなおかしくなる」
翌朝、私と佐藤は再度、村の役場へと足を運んだ。窓口に立っていたのは昨日対応した職員とは違う、まだ若い職員だった。人の良さそうな笑顔を見せたが、二人の来意を告げると、表情がすぐに曇る。
「行方不明者の記録を……ですか?」
職員は一瞬言葉を濁し、それから「少々お待ちください」と奥へ姿を消した。私と佐藤は無言で顔を見合わせる。
しばらくして戻ってきた職員は、古い帳簿を二冊だけ机に置いた。
「これ以上は……公開できるものではありませんので」
言い訳めいた言葉を添えながら、帳簿の表紙を指でなぞる。
私はすぐにページを繰り始めた。墨が薄れた文字の行には、確かに行方不明となった人々の名前や日付が整然と並んでいる。しかし、ところどころに白い修正液の跡や、黒々と塗りつぶされた箇所があり、部分的に文章が読めなくなっていた。
「……何だ、これ」
私が思わず漏らすと、佐藤が横から身を乗り出す。
彼は指先でそっと、塗りつぶしの端をなぞった。
「偶然じゃないですね。消した跡があまりに規則的だ。……これは“改ざん”されてます」
ページをめくるごとに、その違和感は増していった。特に、ある時期を境にして、失踪者の記録が極端に曖昧になり、名前だけが抜け落ちている箇所もある。
「……おい、見ろよ」
私が声をひそめ、ある行を指さした。そこにはかすれた文字でこう記されていた。
“源八”
かろうじて読めるその名は、薄墨のように滲み、今にも消えてしまいそうだった。
私が続きを追おうとしたとき、職員が慌てて帳簿を閉じた。
「すみません、こちらは非公開資料です。これ以上は閲覧を許可できません」
職員の声は、ただの事務的な拒絶ではなかった。そこには明確な“恐れ”がにじんでいた。
二人は押し問答しても無駄だと判断し、帳簿を返すしかなかった。役場を出ると、ひんやりした風が二人の頬を撫でていく。
「佐藤……見ただろ、あの名前」
「ええ。偶然じゃない。わざと消そうとして、消しきれなかったんじゃないかな。……村は何かを隠してるよ」
佐藤の言葉は冷静だったが、その奥に微かな緊張があった。
私は煙草に火をつけ、白い煙を吐き出した。記事になるかどうかなど、もはやどうでもよかった。自分たちの身に危険が迫っているのではないかという直感が、頭の奥で警鐘を鳴らしていた。
二人はその場で足を止め、次の行動を相談する。
寺へ戻ってさらに情報を探るべきか。
それとも、日方家という村の旧家に直接接触するべきか。
どちらを選んでも、もう後戻りはできないことだけは、二人とも分かっていた。
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