第4話 モダンの影
私と佐藤の調査は、翌朝から始まった。奥多摩の澄んだ空気の中、二人は役場や資料館を回ったが、私がこれまでの取材で得ていた情報と大差はなく、むしろ以前に足を運んだときよりも固く門前払いされることが多かった。記者としての肩書が逆に壁となり、地元の人々の表情を曇らせてしまうのだ。
そんな中、佐藤が口を開くと状況は一変した。零光会の信者としての誠実な態度が信頼を呼んだのか、近隣の住民は彼には驚くほど饒舌になった。どこどこの家の誰々が、ある日を境に忽然と姿を消した、という噂話が次々に飛び出したのである。私はノートを取りながらも、心中では苦々しい思いを拭えなかった。記者としての自分よりも、友人である佐藤の方がはるかに情報を引き出せている。その事実が胸に突き刺さる。
奥多摩の山間、細い参道を抜けた先に古びた寺があった。境内に足を踏み入れると、苔むした石段と、風に揺れる杉の葉の音が静かに響く。私は息を整えながら佐藤と並んで歩いた。
「ここか……」佐藤が低く呟く。
「はい、住職さんに案内していただけることになっています。」私は僅かに肩をすくめた。昨日の夜からの山荘での騒動、そして零光会に関わる調査で疲弊した体に、静かな空気がじんわりと染み渡る。
住職は穏やかに二人を迎え、石畳の廊下を案内する。「蔵に近づくと、少し不安定な気分になるかもしれません。それでも構わなければ中をご覧に入れましょう」
私は頷き、佐藤も軽く頭を下げた。二人は木製の重い扉を押し開ける。中は暗く、僅かな光が差し込むだけだった。埃と古紙の匂いが漂い、踏み込むときしむ床が響く。
蔵の奥、鎖で繋がれた棚の上に、不思議な形状の物体が並べられていた。燭台、椅子、仮面、小さな木片……どれも人工的に作られたとは思えない、不規則でありながら奇妙な美しさを持っていた。住職は静かに説明する。
「これらは“モダン”と呼ばれています。自然に形成された形状ですが、ひと目で人の手の痕跡を感じさせるものもあります。長く収集されてきました」
私の目は棚に並ぶモダンに釘付けになる。どれも同じものはひとつとしてない。まるで何か意志を持って変形しているかのようだった。
「不思議なことにこれを持ち帰った人は、戻ってきても精神や体に異常が残るんです」住職の声が静かに響く。「手ぶらで帰った者は、比較的正常でしたが、異常があった者は必ず、何かしらモダンを持っていました」
佐藤が棚を覗き込み、指先で一つの椅子の脚を触れる。「これか……触ると、少し眩暈がしますね」
私も手を伸ばすが、思わず手を引っ込めた。「本当に……変な感覚だ。体が熱くなって、目がかすむ」
住職は静かに頷いた。「モダンに近づくと、多くの人がこうした症状を訴えます。これは単なる迷信ではなく、長くここで保管してきた経験則です。中には吐き気を催す者もいます」
佐藤は小さく笑い、私の肩に手を置く。「昔からここで保管されていたのか……さすがに交渉力を駆使してきた俺でも、ここまで中を見るのは初めてだ」
「やっぱり……佐藤、なんでこんなに物事に詳しいんだ?」私は軽く嫉妬めいた声を漏らす。佐藤はくすりと笑い、「いや、まあ、零光会の内部事情にも通じてるからな。それに、お前はジャーナリストだろ。好かれにくいってのもあるんじゃないか?」
二人の間に軽い沈黙が流れる。私は思い返す。自分がこれまで取材した過去の神隠しや不可解な事件の数々。信者が行方不明になったケースや、石室に関わった人々の手記……全てがここで説明されるかのように結びつく。
「なぜ無事に帰還できた者とそうでない者がいるのか……原因は分からないが、石室やモダンには何か秘密があるのだろう」
「長くここで保管してきた経験則では、モダンの存在と不可解な現象は切り離せないようだ」
二人は棚を一つひとつ丁寧に観察する。燭台の曲線に、椅子の座面の微妙な歪みに、仮面の微細な表情に目を凝らす。自然にできた形とは思えない規則性が、どこかに秘められているようだった。
私はふと、過去に自分が読んだ手記を思い出す。農民の記、僧の記、与力の報告書……そこに記された光景や出来事が、今目の前のモダンと結びつく気がした。無事に帰還できなかった人々は、こうしたモダンを携えていたのだろうか。そして、石室にはまだ秘密があるのか。
住職は静かに言った。「この蔵は普段、人の立ち入りを許しません。過去に石室に関わった人々の影響を考慮してのことです。モダンの力は、まだ完全には解明されていません」
佐藤は深く息をつき、棚を見渡す。「渡辺、お前、ここまで踏み込んで調べるか? 本当に記事にするのか?」
私は答えられない。ただ、棚に並ぶモダンを見つめ、胸に込み上げる不思議な感覚を押さえ込む。
二人はしばらくの間、静かに立ち尽くした。外では風が杉の葉を揺らし、遠くの山々が淡い夕日に染まる。私は、石室や採掘場で目にした不可思議な光景、そして今ここで目の当たりにするモダンの存在。全てが、信じ難い現実として自分の体験に組み込まれていく。
「帰還はしたが、無事ではない者……か」私は低く呟いた。佐藤がそっと頷く。「だから、我々はこれをしっかり記録しなければならない。零光会の信者が巻き込まれた不思議も、世に知らせるべきだ」
住職は静かに二人を送り出す。「この蔵の奥には、まだ解明されていないものがある。必要であれば、またここに来て構わない」
私と佐藤は、蔵の扉を閉じ、外の光の下に戻る。夕暮れの空気が心地よく、少しだけ緊張が和らぐ。私は心の奥底で、石室、採掘場、モダン……そして源八の存在が絡む不可思議な世界への興味を抑えきれないでいた。
山道を下りながら、佐藤は小さく呟く。「渡辺、お前、記事にする覚悟はあるのか? ここまでの事実を世に出す覚悟は」
私は黙って頷いた。胸の奥で、モダンの微かな振動と、目撃した異常な出来事の残像が、消えずに揺れていた。
二人の背後で、古い寺の鐘が静かに鳴る。森の奥深く、石室の秘密はまだ眠ったまま。だが、今確かに、私はそれに触れ、そして理解の端緒を掴み始めていたのだ。
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