「キモいおじさん」にならない方法について

伽墨

脱・「キモいおじさん」宣言

世間一般に「おじさん」と聞いて、ポジティブなイメージを思い浮かべる人間がどれだけいるだろうか。だいたいは「キモい」「くさい」「うざい」である。電車で隣に座ってきた瞬間にただよう加齢臭。休日に出没する、ポロシャツをジーンズにインした小太りの姿。居酒屋で繰り広げられる「俺が若い頃はなあ」という無駄話。総じて、人は「おじさん臭さ」を忌避する。


その原因はいくつもある。加齢臭。ダサいファッション。ビール腹がベルトに乗るだらしなさ。清潔感のなさ。これらはまだ改善可能だ。だが、本当に致命的なのは、性欲のギラつきである。


コンビニで立ち読みするのがジャンプやモーニングではなく週刊実話になったら──もう終わりだ。職場帰りに個室DVD店へ吸い込まれるようになったら──それは人としての尊厳を引き換えに入店しているようなものだ。そして風俗に行くようになったら──もう死んだほうがいい。 金を払わなければ性欲を制御できないという時点で、人間としての理性を欠いている。もちろん「風俗も文化だ」とか「経済を回している」とか、いくらでも言い訳はある。しかし、そこに透けて見えるのはただ一つ、「自分をコントロールできないみっともなさ」だ。


性欲そのものがキモいわけではない。問題は、年相応に扱えない性欲だ。まず、いつの日かアニメやドラマのように、自分を丸ごと受け入れてくれる美少女が現れるんじゃないか──そういうキモい妄想を捨てろ。そんなものは一生来ない。世の中のおじさんが若い女性にとって魅力的に映ることは、基本的にない。よっぽどの金持ちか、よっぽどのイケメン(いや、イケメンでもキツい)か、よっぽどの才能を持っていない限り、相手にされるはずがない。にもかかわらず「俺はまだ20代にもモテる」と思い込む勘違いこそが、一番キモい。


では、「キモくないおじさん」は存在するのか。いる。真田広之を見ろ。役所広司を見ろ。あの人たちを「キモいおじさん」と呼べるか? 呼べないだろう。なぜか。


1. 小太りでもガリガリでもなく、中肉中背で背筋が伸びているから。

2. 服や髪が清潔で、年齢に合ったスタイルを保っているから。

3. 「老い」を受け入れているから。ハゲたら潔く剃る。40を過ぎたら短パンを諦める。若さにしがみつかない。

4. そして、性欲を外にギラつかせない。むしろ成熟にふさわしい色気として昇華している。


要するに、キモくないおじさんは「若さの偽物」を演じるのではなく、「老いの本物」をそのまま纏っているのだ。


では、どうすればキモくないおじさんになれるのか。

結婚して家庭を持てば、多少は矯正されるだろう。家庭は強制的に「父親」という人格を植えつけてくるからだ。独身なら独身で、己を律しろ。体型を整えろ。老いを受け入れろ。説教臭くなるのではなく、世の中の理不尽を受け止める懐を持て。


キモくないおじさんになるための究極的な選択肢は、禅僧になることだ。執着を手放し、性欲も物欲も競争心も超越すれば、キモさは跡形もなく消える。ただし、その境地に達するおじさんはほとんどいない。だからせめて、短パンをやめるくらいの悟りから始めればいい。


──これは他人に説教しているのではない。三十路を過ぎ、文字通り「おじさん」となった私自身への戒めである。気を抜けば、明日にもコンビニでエロ本を立ち読みし、個室DVD店に吸い込まれ、財布を握りしめて風俗へ向かってしまうかもしれない。だから書く。だから繰り返す。キモくないおじさんになるために。

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