3.8 最高の揚げ物

「……なるほど。君は大変不遇な目に会ってきたようだな。今日、お世話になったお礼だ。私で良いなら、少しは尽くさせてほしい」

 テーブルから立ち上がった私は、先ほどナタネが棒を閉まった箪笥の引き出しを開ける。

「私がそなたの不満を解決してみせよう」

 棒を握った私を見上げるナタネは、驚きと、何言ってるんだろう? というのと、期待とでごちゃ混ぜになった、見ている文には面白い表情をしていた。

「ハア──」

 息を吸った音が狭い部屋に響いた。パーカーの胸元が上下する。

 この先訪れるであろう、期待に胸を膨らませている。


 ナタネの多くのことを知った。

 肌やもっと奥のこと──それらもそうだが、表面的でない大事なことを、たくさん。

 ナタネの優しさをたくさん受け取り、私もナタネのために尽くした。

 私たちの中は日に日に深まっていくようだった。


 その頃になると私は、ナタネの働くガールズバーの店長に紹介してもらった、キャバクラでボーイとして働き始めた。うん、カタカナが多いがそれにも慣れた。

 昼間は働いて、朝夕は一緒に時を過ごした。私の方が早く帰れば、サックサクの衣を揚げた。帰宅したナタネが美味しそうに食べてくれる姿を想像しながら、揚げるのは──とても楽しい。

 夕食の後は大体、ナタネが交わりを求めてきた。よくも毎日、それも二三度──私は体が疲れたが、ナタネは果てる様子がない。

 暗闇に浮かぶナタネの肌は美しい。青い月あかりを受けて、何よりも美しくそれを身に纏っている。私は彼女の身体に覆いかぶさって、彼女の美しい体を月明かりから隠す。

 唇を重ねて、離して。すぐ近くにあるナタネの瞳。

 その滑らかな肌を撫でる。

 ──不意に、思うのだ。ナタネの肌に衣を咲かせてみたいと。

 しかしこの思いを隠し通すには、私たちは互いのことを知りすぎていた。

 彼女の瞳もまた、咲かせてほしいとうずいているのだ。

 ──そうだ、始まりは衣だった。彼女が私に好感を抱いたのは、私の衣に惚れたから。それを見て、においをかぎ、そして食して、私を知ったから。

 なら、彼女が何よりも愛する私の衣で、包まれたいと感じるのは自然なことだった。

 包みたいと思うことも。

 私は結局のところ、衣咲家の人間だった。

 衣でしか、すべてを語れない。


 そして彼女の肌に衣が咲いた。私はサックサクに上がった彼女を美味しくいただいた。

 塩の味がするのは、先ほどまで肌を重ねていたからだろうか。

 それとも、頬を伝う私の涙の味だろうか。

 そんな中でも、私は──生前以来最大の幸福感に満たされているのだった。

「ああ、美味しい。美味しいよ。ナタネ」

 ごちそうさま。

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