第四話 悪夢の真実

 合同捜査が始まって、二週間が過ぎた。

 カイルとガイウスの尋問により、アストラルム側の容疑者は、外界との交流に最も強硬に反対していた、保守派閥の長老、ヴァレリウスという名の錬金術師に絞られていた。

「馬鹿馬鹿しい。儂が、エレジアの犬を殺すだと?」

 評議会の尋問室で、ヴァレリウスは、尊大な態度で、全ての嫌疑を一笑に付した。

「儂は、あの日、一晩中、自らの研究室で、新しいゴーレムの設計に没頭しておったわ。研究室の扉は、儂自身の魔力で、内側から固く封印しておった。誰にも、破ることはできん」

 彼の証言は、以前カイルが指摘した通り、彼自身の言葉でしかない、不完全なものだった。

 しかし、それを覆すだけの物理的な証拠は、まだ見つかっていなかった。

 だが、その尋問に同席していたリリアは、彼の言葉の中に、一つの、微かな嘘の響きを感じ取っていた。

 そして、彼女は、先日、ヴァレリウスの研究室を調査した際に、奇妙な点があったことを思い出した。

「…ヴァレリウス先生の研究室の隅に、見たこともない、黒い花の鉢植えがありませんでしたか?」

 リリアの不意の質問に、ヴァレリウスの眉が、僅かに、ぴくりと動いた。

「…ああ、あったな。あれは、儂の趣味だ。何か、問題でも?」

「いいえ…ただ、あんなに美しい花なのに、全く香りがしないのが、少し不思議で…」

 リリアは、ヴァレリウスの心の動揺を感じ取っていた。

 その花は、この都市では見たことのない、外界の植物。

 それだけでも、彼が何かを隠している証拠としては十分だった。


 その夜、探求室に、エレジア王国から、緊急の魔法通信が届いた。

 カイルが要請していた、薬草の調査結果だった。

 通信用の水晶板に、王国の研究者の、興奮した顔が浮かび上がる。

『宰相閣下!見つかりましたぞ!該当する薬草が、ただ一つだけ!その名は、「月影の黒百合」。数百年前の、シルヴァニア王国の時代にのみ、栽培が確認されている、幻の薬草です!』

 研究者は、羊皮紙の写しを水晶板にかざした。

『この薬草は、それ自体は無害ですが、特殊な錬金術で処理することで、人の記憶と共鳴し、それを悪夢として見せる、強力な幻影毒の触媒となる、と…。そして、この薬草が最後に使われたという記録が、一つだけ、ありました。シルヴァニア王国の崩壊と同時期に創設された、ある小さな錬金術師の村が、原因不明の災害で、一夜にして壊滅した、という記録です。その村の名は…』

 研究者が、息を呑んだ。

『…「ヴェルミリオン」…と、記されております』

 その言葉は、雷鳴のように、アゼルの脳天を直撃した。

 ヴェルミリオン。

 それは、彼が育った故郷、そして彼の悪夢の根源となった村の名前だった。

「う…あああああっ!」

 アゼルは、激しい頭痛と共に、その場に崩れ落ちた。

 彼の脳裏で、固く閉ざされていた過去の記憶の扉が、ついに、破壊される。


 その瞬間、アゼルは、悪夢の奔流の中に、完全に飲み込まれた。


 彼は、小さな子供の姿で、燃え盛る村の中を、必死に走っていた。

 周囲は灼熱の炎と、人々の絶叫に満ちている。

 黒い煙が空を覆い、息をするのも苦しい。

 彼は、父と母を探して、瓦礫の中をさまよった。

「お父さん!お母さん!」

 その声は、虚しく炎の中に消えていく。

 やがて、彼は、村の中央にある、巨大な実験室の前にたどり着いた。

 扉は、半壊し、中からは、異様な光が漏れ出している。

 彼は、震える手で、その隙間から中を覗き込んだ。

 そこには、見慣れた顔の錬金術師たちが、床に倒れ、苦悶の表情を浮かべている。

 そして、その中心に、一人の男が立っていた。

 それは、村の長老の息子、ヴァレリウスだった。

 ヴァレリウスは、片手に、黒い百合の花を握りしめ、もう片方の手で、実験装置のレバーを、静かに、しかし力強く、引き下げた。

 すると、実験装置の中央にある、巨大な水晶が、禍々しい黒い光を放ち始めた。

 その光は、床に倒れている錬金術師たちの体から、何かを吸い上げていく。

 それは、彼らの魂そのものだった。

 ヴァレリウスは、その光景を、恍惚とした表情で見つめていた。

「見よ!この愚か者どもが目指した『浄化』など、所詮は夢物語に過ぎん!錬金術は、世界を救う力ではない!世界を支配する力なのだ!そして、その力は、儂一人で背負うべきものだ!」

 彼の絶叫が、アゼルの耳朶じだを打ち、脳内で、あの幻影毒の特異な「香り」が、強烈に蘇る。

 灼熱の炎、人々の絶叫、天を覆う黒い影。

 何年もの間、彼を苦しめてきた悪夢の正体。

 それは、あまりにも残酷な、現実の記憶だったのだ。

 その全てが、一つの、恐ろしい真実へと収束していく。

 ヴァレリウスは、村の人々の実験を故意に失敗させ、村を滅ぼしたのだ。

「…ヴァレリウス…!」

 アゼルの口から、憎悪と共に、その名が、絞り出された。

「全て、思い出した…」

 探求室の床で、リリアとカイルに支えられながら、アゼルは、途切れ途切れに語り始めた。

 彼の失われた過去。その全てを。

「俺の故郷、ヴェルミリオンの村は、シルヴァニアの生き残りが作った、錬金術師の集落だった。…だが、アストラルムの創設者たちとは、道を分かった者たちだ」


 アゼルの記憶が語る真実は、衝撃的なものだった。

 シルヴァニアが滅亡した後、生き残った錬金術師たちは、二つの派閥に分かれたのだという。

「一方は、セラフィーナ司書長たちの祖先だ」

 アゼルは続けた。

「彼らは、自らが拡散させてしまった『記憶の残滓レムナント』という汚染を『封印』し、過去の過ちを償うために、外界から完全に隔絶された島にアストラルムを築いた。彼らは、禁忌の研究から手を引くことを選んだんだ」

「では、もう一方は…?」

 リリアが、息を呑んで尋ねる。

「俺の祖先たちだ」

 アゼルの声には、深い悲しみと、そして誇りが滲んでいた。

「彼らは、諦めなかった。封印は、ただ問題を先送りにするだけだと考え、危険を冒してでも『記憶の残滓レムナント』の『収集と浄化』を目指す、困難な研究を密かに続けることを選んだ。そのために、彼らはアストラルムとは海を隔てた大陸の辺境…あの『囁きの森』の近くに、ヴェルミリオンの村を築いたんだ」


 二つの場所は、同じ悲劇から生まれた双子でありながら、「封印と停滞」のアストラルムと、「研究と進歩」のヴェルミリオン村という、全く異なる道を歩むことになった。

 そして、ヴァレリウスもまた、元はそのヴェルミリオン村の人間だった。

「だが、彼の家系は、代々、あのシルヴァニアの悲劇の記憶に苛まれていた」

 アゼルは続けた。

「シルヴァニアの滅亡は、彼の祖先、主席錬金術師ヴァレリウス一人の罪であったにも関わらず、その末裔は、錬金術そのものが持つ危険性と、それを扱いきれなかった同胞たちの無力さを、一族の『罪』として背負い続けた。その罪の意識が、世代を重ねるごとに歪んでいき、彼を狂わせたんだ…」

 ヴァレリウスの思想は、過激な選民思想ではなかった。

 それは、錬金術師という自らの存在そのものへの、深い絶望と自己嫌悪から生まれた、歪んだ責任感だったのだ。

「彼は、錬金術は呪われた力であり、アストラルムの民は、その罪を償うために、永遠にこの都市に引きこもり、外界と関わるべきではない、と信じている。そして、俺の両親たちが進めていた浄化の研究を、『再び世界に災厄を解き放ちかねない、危険な試み』だと断じ、それを阻止しようとした。そして、ヴァレリウスは、その研究の過程で生まれた、特定の成果、人の魂を吸い上げる『黒水晶ノワール』を欲した。そのために、村を滅ぼしたんです」

 アゼルは、歯を食いしばった。

 彼の語る村の情景は、カイルがエレジア王国の古文書から得た情報と、見事に一致していた。

「…ヴァレリウスは、今回の事件でも、同じことを繰り返そうとしていた」

 アゼルは、冷静に結論を導き出した。

「エレジアの重要人物を、幻影毒で悪夢に陥れ、彼らが持つ『才能』を、『黒水晶ノワール』に吸い上げる。そうすることで、彼は、外界の者たちが持つ『才能』と、アストラルムの錬金術師たちの『錬金術の知識』を、両方手に入れようとした」

 リリアは、その恐ろしい計画に、顔を青ざめさせた。

「そんな…あまりにも身勝手です!先生は、この都市の、外界との交流に、最も強固に反対していたはずなのに…」

「そう、それが、彼の本当の目的だ」

 カイルは、静かに言った。

「彼は、外界の知識や、他者の才能を、自分の手で選別し、管理できる世界を望んでいる。真の力は、自分一人で独占すべきだと信じているのだ。彼にとって、我々外界の人間も、アストラルムの錬金術師たちも、利用すべき道具に過ぎん」


 その時、会議室の扉が、激しい音を立てて開いた。

 駆け込んできたのは、守衛隊の隊員だった。

「ガイウス隊長!大至急、幻影の塔へ!…ヴァレリウス先生が、塔の最上階で、何やら不穏な儀式を行っていると…!」

 アゼルたちは、顔を見合わせた。

 ヴァレリウスは、アゼルたちが動くことを知っていた。

 そして、今、最後の仕上げにかかろうとしている。

 彼らは、すぐに駆け出した。

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