第三話 二人の探求者
宰相カイル・ヴァーミリオンの電撃的な来訪により、事件の捜査は、新たな局面を迎えた。
アストラルムとエレジア王国による、前代未聞の合同捜査本部が、都市真理探求室に設置されたのだ。
カイルとアゼル。
二人の天才が、一つのテーブルを挟んで、事件の情報を共有する。
その光景は、ガイウスでさえ息を呑むほどの、凄まじい緊張感と知性の火花を散らしていた。
「まず、状況を整理しよう」
カイルが、冷徹な声で切り出した。
「犯人は、なぜ、ヴァロワ大使を殺したのか。動機は三つ考えられる。一つ、アストラルムと王国の国交樹立そのものを、阻止したかった。二つ、ヴァロワ大使個人に、強い恨みがあった。三つ、ヴァロワ大使が、何かを知りすぎたために、口を封じられた」
「私も、そのご意見には賛成です」
アゼルが、同意した。
「その中でも、三つ目の可能性が最も高いと考えています。大使は、最初の会談で、執拗に『
「その線で、私も彼の身辺を調べさせた」
カイルは、一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
「ヴァロワは、表向きは外交官だが、その正体は、王国諜報部の最高幹部の一人だ。そして、彼がここへ来る数ヶ月前から、極秘裏に調査していた案件がある。『シルヴァニアの悲劇』、そして、その際に起きたとされる、原因不明の集団死事件の数々だ」
「…『シルヴァニアの悲劇』…」
アゼルは、カイルが差し出した羊皮紙から目を離し、静かに呟いた。
その声は、深淵を覗き込むように重かった。
リリアもまた、息を呑んでアゼルを見つめている。
「…あの災害は、アストラルムの歴史において、最も不名誉な部分とされています」
リリアが、震える声で口を開いた。
「司書長のセラフィーナ様も、その出来事については多くを語られませんでした。ただ、『錬金術師の驕りが世界に災厄をもたらした、悲劇の始まり』だと…」
アゼルは、自身の記憶の奥底に横たわる、漠然とした不安を口にした。
「都市真理探求室の文献でも、シルヴァニアの悲劇は、『
リリアが、アゼルに顔を近づけ、小声で問いかけた。
「先輩が、あの幻影毒の『香り』と共鳴する理由…もしかして、それも何か関係が…?」
アゼルは、リリアの問いに答えなかった。
代わりに、彼は、カイルに鋭い質問を投げかけた。
「宰相閣下。大使が追っていた『集団死事件』の記録は、王国の公的な記録として存在するものですか?」
「いや。王国の歴史書には、そのような記録は残されていない。私個人の情報網を使って、各地域の孤児院や寺院の古い記録を追跡して、ようやくその存在を突き止めたに過ぎない。これらの事件は、すべて『シルヴァニアの悲劇』によるものだと言われていた」
カイルの言葉に、アゼルの表情が曇った。
「その集団死事件は、『シルヴァニアの悲劇』と同時期に起きています。そして、私を育てた孤児院の院長は、私を『錬金術災害』で滅んだ村の唯一の生き残りだと語っていました」
「アゼル室長、それは偶然の一致か?」
カイルの瞳が、アゼルを射抜いた。
「『錬金術師』は、太古より、真理を追う『探求者』だ。だが、その探求の果てに、時として破滅的な力を生み出してきた歴史もまた、事実だ。ヴァロワ大使は、その歴史の隠された部分、つまり『
その言葉に、アゼルとリリアは、顔を見合わせた。
捜査は、二手に分かれて進められた。
カイルとガイウスは、物理的な証拠と、人間関係を追う。
彼らは、ヴァロワの副官をはじめとする、エレジア側の使節団員、そして、アストラルム側の評議会の保守派閥の錬金術師たちを、一人一人、徹底的に尋問していった。
カイルの尋問は、静かで、しかし、相手の精神を内側から崩していく、冷徹なものだった。
まず、ヴァロワの副官である壮年の騎士が尋問室に通された。
カイルが、事件の参考人として、王国から同行させてきた者たちの一人だ。
彼は大使の死に打ちひしがれ、憔悴しきっていた。
「大使が、不審な行動を取られたことは?」
カイルは、穏やかな声で尋ねた。
「いいえ、一切。大使閣下は、誠実で、非の打ち所のない方でした」
「では、大使は、何かしらの秘密をお持ちだった、ということは?」
「…さあ。私には分かりかねます」
副官は、言葉を濁した。カイルは、一瞬の沈黙の後、彼の目をまっすぐに見つめ、核心を突いた。
「あなたは大使閣下を心から尊敬していた。そして、大使が、この都市で殺されたことで、あなたは、大使の尊厳が傷つけられたと感じている。だから、大使の私的な行動や秘密を、私に明かすことを、拒んでいる。…違いますか?」
副官は、カイルの言葉に、ぐっと言葉を詰まらせた。
彼は、大使のプライドを守ろうとして、真実から目を逸らしていたのだ。
カイルは、その心の隙を、正確に、そして容赦なく突いた。
次に尋問されたのは、評議会の重鎮である、錬金術師、ヴァレリウスだった。
彼は尊大で、カイルに対しても傲慢な態度を崩さなかった。
「儂が何を知っておるかだと? 笑わせるな。儂は、外界の人間になど、何も話すことはない」
ヴァレリウスは、そう言って腕を組んだ。
カイルは、彼の挑発を意にも介さず、静かに、しかし威圧的な声で言った。
「あなたは、エレジア王国との国交樹立に反対していた。そして、大使の死によって、その目的は達成された。大使の死は、あなたにとって、好都合だったのではないですか?」
「…馬鹿なことを」
ヴァレリウスは、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「単なる偶然だ。儂は、あの夜、一晩中、研究室に籠もっていた。完璧なアリバイがあるわ」
「アリバイは証明できない。あなたの研究室は、あなたの魔力で内側から固く封印されていたそうですね。…それは、あなた自身の証言でしかない」
「何を…!」
「我々は、大使の部屋に残された幻影毒の残滓を分析している。もし、その毒が、あなたの研究室から持ち出されたものだと判明した場合…あなたは、どう言い訳をしますか?」
カイルの言葉に、ヴァレリウスの顔が、わずかに引きつった。
彼は、カイルが、単なる政治家ではない、底知れぬ洞察力を持った人物であることを悟った。
カイルの、相手の心理の隙を突く、冷徹で論理的な尋問術は、百戦錬磨のガイウスでさえ舌を巻くほどだった。
ガイウスは、カイルの尋問を、まるで緻密な外科手術を見ているかのように見つめていた。
相手の心の鎧を一枚ずつ剥がしていく、その手際の良さ。
そして、嘘を暴きながらも、決して感情的にならない、その冷徹さ。
ガイウスは、自分にこのような尋問術は使えないことを、理解していた。
自分は、相手の目をまっすぐ見て、嘘をついていると直感で感じ取ることはできる。
だが、カイルのように、相手の心理の深層にある矛盾を突き、自ら真実を吐露させるような真似はできない。
この若き宰相は、自分とは全く異なる、恐ろしい「探求者」なのだ、と舌を巻いた。
一方、アゼルとリィナは、事件の超常的な側面を追っていた。
リィナは、その特異な共感能力を使い、事件現場となった部屋に残る、ヴァロワ大使の最後の「感情の残滓」に、意識を同調させようと試みた。
「…聞こえる…」
彼女は、目を閉じ、集中した。
「強い、恐怖…。いいえ、驚き…?『なぜ、君が、ここに…』という、強い、想い…」
「犯人は、大使と面識のある人物…」
アゼルは、その情報を記録した。
「それだけじゃない。大使が、ここにいるはずがない、と驚くような人物だ」
アゼルは、リリアの助けを借りて、自らの悪夢と共鳴する、あの幻影毒の「香り」の正体を、突き止めようとしていた。
「先輩、無理しないで…!」
アゼルが、毒の残滓に精神を集中させるたびに、激しい頭痛と、悪夢の奔流が、彼を襲う。
リリアは、そのたびに、彼の手を強く握りしめ、自らの穏やかな魔力を流し込み、彼の精神が暴走するのを、必死に食い止めた。
「…もう少しだ…。この香りの元は、一つの、極めて珍しい、古代の薬草…。だが、どの文献にも、載っていない…。まるで、その存在自体が、歴史から消されたかのように…」
その夜、アゼルは、自らの過去について、初めてカイルに打ち明けた。
理由の分からない、灼熱と絶叫の悪夢。
今回の事件で使われた毒との、奇妙な共鳴。
カイルは、黙って、彼の話を聞いていた。
「…そうか」
カイルは、アゼルの話が終わると、静かに言った。
「君も、俺と同じか」
カイルは、自らの過去については語らなかった。
だが、その瞳には、アゼルと同じ、深い喪失の影が宿っていた。
「アゼル室長。君が突き止めた、その薬草の情報を、王国本国の古文書保管庫で、照合させてみよう。何か、分かるかもしれん」
その言葉は、アゼルにとって、暗闇の中で差し伸べられた、唯一の光のように思えた。
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