第五話 浄化の光

 幻影の塔の最上階。

 そこは、都市全体を覆う結界の源であり、アストラルム最大の錬金術装置が稼働する場所だった。

 ヴァレリウスは、その装置の中央で、狂ったように笑っていた。

「遅かったな、愚か者ども!全ては、儂の計画通りに進んでおるわ!」

 彼の足元には、巨大な魔法陣が描かれ、その中央には、漆黒に輝く、巨大な『黒水晶ノワール』が浮遊していた。

 『黒水晶ノワール』からは、おぞましい魔力の波動が放たれ、塔全体を震わせている。

「それは…ヴェルミリオン村から回収した、村の研究で偶然生み出された『魂の凝縮』の結晶だ!」

 ヴァレリウスは、『黒水晶ノワール』を指差して叫んだ。

「あの愚か者どもは、『記憶の残滓レムナント』を回収し浄化するなどという馬鹿げた理想のために、貴重な実験材料を無駄にしていた。だが、儂は違う!儂は、この結晶を、より効率的に、より強力に、世界を支配する力に変えてみせたのだ!」

 彼の背後で、塔の錬金術装置が、不気味な音を立てて起動する。

 都市の空気が、まるで熱気に満ちたかのように揺らぎ、アゼルは、幻影視の能力を通して、都市に住む人々の魂が、微かに光り、黒水晶に吸い上げられていくのが見えた。

 それは、彼が故郷で見た、あの恐ろしい光景と、全く同じだった。

「やめろ!ヴァレリウス!」

 アゼルは叫んだ。

「お前がしていることは、ただの殺戮だ!」

「殺戮だと?違う!これは、世界の変革だ!」

 ヴァレリウスは、狂った笑みを浮かべた。

「この『黒水晶ノワール』に、外界の者たちの知識と、アストラルムの者たちの力を統合すれば、儂は、全知全能の存在となれるのだ!この都市は、儂の、そして儂だけの、新しい世界となるのだ!」

 彼の言葉が、塔の中に、こだまのように響き渡る。

 カイルは、静かに剣に手をかけた。リリアは、魔法陣の術式を解析しようと、水晶板に触れる。

 そして、アゼルは、故郷の村を壊滅させ、彼の人生を悪夢に変えた元凶を、今、この手で止めるため、ヴァレリウスに、まっすぐに駆け寄っていった。

「やめろ!ヴァレリウス!」

 彼の脳裏には、瓦礫の中で見た、村の悲劇が、今も鮮明に焼き付いている。

「お前の研究も、お前の両親の理想も、全ては世界の病を癒すため!なのに、それを独占するために、お前は、この都市の魂を…!」

 アゼルの怒声は、ヴァレリウスには届かない。

 ヴァレリウスは、アゼルを一瞥すると、嘲るように鼻を鳴らした。

「小僧、貴様も所詮、凡庸な錬金術師に過ぎん。儂の偉大なる計画に、口を挟むな!」

 彼は、巨大な『黒水晶ノワール』に手をかざし、その魔力の放出をさらに強めた。

 都市の空気が、熱気のように揺らぎ、人々の魂の光が、より激しく黒水晶に吸い上げられていく。


「リリア君!彼の術式を何とかできるか?」

 アゼルは、冷静に指示を出す。

「はい、やってみます!」

 リリアは、ヴァレリウスが描いた魔法陣の隅に、独自の術式を魔力で描き始めた。

 それは、ヴァレリウスの術式とは全く異なる、温かく、生命力に満ちた光を放つ術式だった。

 彼女の目的は、魔法陣そのものを破壊することではない。

 ヴァレリウスの術式に干渉し、市民の魂の吸い上げを、一時的にでも弱めることだった。

 一方、ガイウスは、カイルと共に、塔の錬金術装置の制御盤へと駆け寄っていた。

「宰相閣下!これは…」

 ガイウスは、複雑な制御盤の操作に戸惑うが、カイルは、アゼルの論文と、幻影の塔の設計図から、その仕組みをある程度理解していた。

 彼は、以前からアゼルの論文に目を通し、幻影都市の錬金術に深い洞察を持っていたのだ。

「この装置は、都市全体の幻影ネットワークの制御と、結界の安定化を担っている。ヴァレリウスは、この装置を乗っ取り、『黒水晶ノワール』を介して、人々の魂を操作しようとしている。だが、抜け穴がある」

 カイルは、冷静に、制御盤の特定のレバーを操作した。

 ガチャン、という硬質な音と共に、塔の結界が、一瞬だけ、不安定に揺らいだ。

「今だ、アゼル!リリア!」

 カイルの声に応え、リリアは術式の起動を完了させた。

 ヴァレリウスの魔法陣は、リリアの術式に干渉され、その力が半減する。

 市民の魂を吸い上げる力が、ほんのわずかだが、弱まった。

「小娘が…!」

 ヴァレリウスは、怒りに顔を歪ませ、リリアに視線を向けた。

 だが、その一瞬の隙を、アゼルは見逃さなかった。

 アゼルは、腰に差していた剣を抜き、ヴァレリウスに斬りかかった。

「お前がしていることは、救いではない!ただの支配だ!」

 彼の剣は、ヴァレリウスの肉体を傷つけることはできない。

 だが、その剣の先端からは、アゼルの魂の怒りが、ヴァレリウスの精神へと、直接叩きつけられていた。

「黙れ!この完璧な世界に、お前たちのような不純物は不要なのだ!」

 ヴァレリウスは、アゼルの精神攻撃に耐えながら、杖を振り上げ、魔力の刃を放った。

 アゼルは、紙一重でそれをかわすと、そのままヴァレリウスの懐に飛び込んだ。

「お前の罪は、俺が…俺が、この手で浄化する!」

 アゼルは、ヴァレリウスが握りしめる杖を、素手で掴み、その杖に流れる魔力を、自らの体へと引き入れた。

 凄まじい魔力の奔流が、アゼルの全身を駆け巡る。

 肉体が焼き切れるかのような激痛に、彼は歯を食いしばる。

 だが、彼は、その力を拒絶しなかった。

 彼は、その全てを、自らの魂へと取り込み、浄化の触媒へと変えていく。

 アゼルの体から、温かく、穏やかな光が溢れ出した。

 それは、彼が故郷ヴェルミリオンの村で、両親が研究していた、真の『浄化の錬金術』の力だった。


「な、なんだ…この力は…!」

 ヴァレリウスは、自らの魔力が、アゼルによって浄化されていくことに、驚きに目を見開いた。

 彼の論理では、あり得ないことだった。

 だが、それは、リリアの温かい術式と、カイルの緻密な計算によって開かれた、唯一の活路だった。

 アゼルの浄化の光が、ヴァレリウスの杖を、そして、彼自身の心の闇を、ゆっくりと、しかし確実に溶かしていく。


 ヴァレリウスは、敗北を悟った。

「馬鹿な…!馬鹿な…!儂の、完璧な計画が…!」

 彼は、残された最後の力を振り絞り、自身の魂を『黒水晶ノワール』へと転写しようと試みた。

 だが、その試みは、アゼルとリリアの浄化の光によって阻まれた。

 彼の魂は、黒水晶に吸い込まれることも、肉体に留まることもできず、ただ、光の粒子となって、この世界から、静かに消え去っていった。

 アゼルは、その光景を、言葉もなく見つめていた。

 故郷の村を壊滅させ、彼の人生を悪夢に変えた男は、今、彼が目指す『浄化』の光によって、安らかな眠りについたのだ。


 ヴァレリウスが捕縛され、『黒水晶ノワール』の脅威が去った後、静寂が戻った探求室で、カイルがアゼルに一枚の羊皮紙を手渡した。

「…これが、王国に残されていた、ヴェルミリオン村に関する、公式な記録の全てだ」

 アゼルは、震える手でそれを受け取った。

 羊皮紙には、村の壊滅状況、そして、唯一の生存者として発見された少年についての記述が、淡々と記されている。

 アゼルの両親の名も、主席研究員としてそこに記されていた。

「…ええ。これは、私の記憶と一致します」

 アゼルは、カイルに向き直り、はっきりと告げた。

「ヴァレリウスは、村の錬金術師たちの研究成果…『記憶の残滓レムナント』の制御法を独占するために、暴走を引き起こしたのです」

「それにしても」

 リリアが、不思議そうに口を挟んだ。

「アゼル室長の村の名前が『ヴェルミリオン』で、宰相閣下のお名前が『ヴァーミリオン』だなんて、何か関係が…?」

 その問いに、カイルは静かに首を横に振った。

「私の姓は、本名ではない。戦乱で親を失い、王都の孤児院で育った私に、院長が与えてくれた名だ。私が発見された場所が、燃え盛る炎の中だったことから、『燃えるような朱色』を意味する『ヴァーミリオン』と名付けられた」

 その言葉に、今度はアゼルが答えた。

「私の故郷の名は、由来が違います。錬金術において『朱色ヴェルミリオン』は、『賢者の石』を象徴する、希望の色です」

 アゼルは、そこで一度言葉を切ると、隣に立つリリアに、穏やかな視線を向けた。

「もちろん、リリアが成し遂げたような、物質としての『賢者の石』の生成も、驚異的な偉業です。ですが、私の両親や、かつてのシルヴァニアの錬金術師たちが目指した『究極の目標』とは、そのさらに先にあります。単に『賢者の石』という『物質』を作り出すことではない。その石がなぜ魂と情報を結びつけ、生命に干渉できるのかという『根源的な理論の完全な解明』。それこそが、彼らが追い求めた、本当の『賢者の石』だったのです」

 アゼルは再びカイルに向き直った。

「私の先祖は、その理想を込めて、自らの集落にその名を付けたのでしょう。…皮肉なものです。彼らにとって希望の色だったはずの村が、最後には、本物の炎のような絶望に飲み込まれたのですから」

 偶然とは思えない、二つの悲劇の一致。

 同じ「炎」の記憶を、全く別の場所で、その名と共に背負うことになった二人の探求者は、言葉はなくとも、互いの魂の奥底にある、深い孤独と渇望を理解し合っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る