第7話

 十月に入ったばかりだった。曇天のまま午後を迎え、キャンパスは湿った気配に包まれていた。少し風があったが、樹々の葉は重たく、揺れずに垂れていた。舗道の脇で枯れ葉がうっすら溜まり、足音はぱさぱさと乾いたような音を立てた。職員室の扉を開けたとき、時計の秒針が妙に男の耳についた。部屋には二人の教務係と、学部長がいた。

「西嶋先生、ご足労いただきどうも。おかけください」

 促される前から、創は椅子の背に触れ、そのまま腰を下ろしていた。早すぎる、と自分でも思ったが、手のやり場に困り、ひざに指を組んで押しつけた。視線の置きどころを探すうち、学部長のネクタイの柄がずっと揺れているのに気がつき、じっとその幾何学模様を見ていた。

「このたびの件ですが――学生の中で、不安の声が出ております」

 声は穏やかで、言葉を選んでいた。だが語尾にかけては音が遠ざかるように、沈んだ色を送った。創はうなずいた。

「不安……というのは、講義内容についてでしょうか。それとも、私の、態度のようなものに」

「いえ、内容についての直接の問題ではなく……受講者が、言葉を選びますが、戸惑っていると申しますか」

 学部長が視線を泳がせ、教務係の一人が咳払いをした。もう一人は書類に目を落としたまま、ぺらりと一枚をめくった。

 創はもう一度、うなずいた。

「私としては、むしろ伝え方に細心の注意を払っているつもりでした。先週の講義では、具体例として「自他の倫理境界」に触れましたが、それも学生の理解を助けるためであって……」

 言葉を続けながら彼は、動く唇の端が乾いているのに気づいた。水を、と言うには遅すぎた気がして、手元のペンをいじることにした。指が滑って、ペンがカツンと机に当たる。全員がほんの一瞬、音の方を向いた。ペンを拾い上げる動作が、妙に重かった。

「おそらく、難解であることが不安につながっているのでしょう」と教務係の一人が口を開いた。「現代倫理の問題系は……学部一年生には、まだ早いのかもしれません」

 創は、口の中に違和感を覚えた。だが、それを説明する語が見つからない。考えるふりをするしかなかった。

「……ご提案いただければ、次回から修正を試みます。ただ、こちらとしても、講義の一貫性というものが……」

 言いながら、彼はまたひざの上の手の指を組み替えた。指先に汗が滲んでいた。空調の音だけが、背後の壁でうっすら鳴っていた。三人の表情には、まるで感情が貼りついていない。拒絶も、肯定もなかった。まるで誰かの代理として、形式だけを遂行しているかのように創の眼に映った。

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