第一章 貝瀬真人 2
八月十八日
目を覚ますと、壁にかけられた時計は正午前を示していた。
昨日ほどのだるさはなく、散乱としていた思考は落ち着きを取り戻しつつあるので、僕は机に向かい、ノートを開いている。
依然として記憶はまだ曖昧だが、昨日植田に言われたように、僕がここの研究員であることは疑い得ないことのように思えた。
どうして記憶を失っているのかは定かではないが、それもいずれ思い出すのだろうか。気になった僕は内線電話に目を向けたが、わざわざそれだけのことを聞くために電話をかけるのもためらわれた。今度顔を合わせた時にでも聞いてみよう。
それよりもまずは、明日から始まる僕の仕事について整理したい。
――少女兵器。
それは終わりの見えない戦争の終結を期待して開発された、日本の秘密兵器であり、最終兵器だ。
人間の人体を分解、再構成し、超人的な身体能力と生命力を付与された、いわば一種の生物兵器。その人体改造の対象は、専ら思春期の少女たちであった。
こうして開発された兵器は圧倒的な戦果を挙げる反面で、人道的ではない兵器開発や、戦場に未成年の少女を送り込むという倫理性の問題が指摘された。状況を鑑みた政府は、早急に兵器を軍事機密に指定し、彼女たちを『少女兵器』と名付け、陰謀の中に隠した。なおも戦争は終結の兆しを見せず、連日死者を量産している事実は、兵器となった彼女たちの尊厳が浮かばれないようで、胸が苦しくなる。
ともかく僕はその少女兵器を開発、管理するこの研究機関に所属していた……はずなのだが。
詳しいことが思い出せず、もどかしい思いが募る。
窓からはきれいな緑が一面に広がっており、はるか遠くにかろうじて街並みが見えることから、建物がある場所が山奥の小高い丘の上であることが分かる。その窓を開けると、夏にしてはやけにすっきりとした空気が入り込んでくるので、ここはおそらく東北の山奥か、いっそ北海道なんじゃないかとすら思ってしまう。
その景色や、空気の一つ一つを、新鮮なものとして僕は経験する。つまり、言い換えれば、僕はそれらすべてに馴染みがないのだ。
考えすぎだろうか。
植田は、いずれ記憶は元に戻ると言っていた。しかし、その時がいつ訪れるのかは不明瞭だし、明日からは僕も研究に参加するのだ。あまり悠長なことを言っている場合ではないのだが、こればかりはどうしようもないのが本当にもどかしい。
果たして、僕はいったい誰なのだろう。
僕は、僕の中にある、僕の象徴であり、人格である『貝瀬真人』という記号にそう問いかけた。
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