少女兵器

sugarfull

第一章 貝瀬真人 1

 少女兵器観察報告書 


 二×××年 八月十七日

 どうやら僕は記憶を失っている。

 そのことに気づいたのは、目を覚まし、やけに固いベッドから身体を起こしてすぐのことだった。

 しかしそのことを考える暇もなく、僕の身体は耐えがたい激痛に襲われ、思わずうめき声を上げた。

 いや、身体ではない。

 歯を食いしばりながら、僕は両手で頭を押さえた。

 あまりにもひどい痛みなので気づくのが遅れたが、痛みの根源は頭部にあった。頑丈な頭蓋骨に守られた脳みその痛みは、いくら手で押さえようとまるで意味がなく、僕はただ痛みに悶えるしかなかった。

 しばらくそうしていると、やがてこむら返りの痛みが引くようにして、頭痛の波はきれいに引いていった。

 僕は何度か頭を振り、痛みが全くしないことを確認すると、改めて自分がいる場所を眺めた。

 一人の成人男性が寝るには十分な大きさのシングルベッドから目に入るのは、簡素だが頑丈そうな机と、小さなクローゼットだ。クローゼットの扉は開いており、中にはいくつかの衣類が収納されていた。ふと自分が着ているものを確認する。ガウンにしてはやけに生地が薄く、かと言って普通のシャツのようでもない。

 それは病衣のようだった。

 とすると、僕が寝ている場所は病院の病室と考えるのが妥当だが、そう結論付けるのは性急な気がした。殺風景な部屋だが、こびりついた生活感の匂いは病室のそれではなく、まるで寮の一室のようだと、僕は思った。

 どうして自分が病衣を着て、こんな知らない部屋で頭痛に襲われながら目を覚ましているのか、皆目見当もつかない。そもそも自分はいったい何者なのだろう。そんな疑問に答えるようにして、扉がノックされた。

「はい」

 まるで発声のやり方を思い出すようにして、短く応答すると、扉が開かれ、奥から一人の女性が顔をのぞかせた。

「お、もう目が覚めた?身体はなんともない?」

 白衣をまとい、長めの黒髪は一房にまとめられている。すらりとした立ち姿と、眼鏡越しに届く、鋭さを帯びた眼光は、僕に理知的な印象を与えた。外見から年齢は判別できない。まだ若いようにも、それなりの経験を積んでいるようにも見える。

 彼女がいったい誰なのか、全く分からないが、僕はとりあえず問われた質問に事務的な返答をした。

「頭痛がしました。他は特に何も」

「今は大丈夫だね?」

 女性は心配すると言うよりも、事実を確認するような声色で僕に言った。まるで、僕の頭痛は想定内だというような口ぶりに戸惑いながらも、僕はうなずく。

「あの、僕はいったいなんでここにいるのでしょうか?」

 明らかに僕のことについて何かを知っている様子のその女性に、自身が置かれている状況を教えてもらおうと尋ねた。

 その問いに、女性は少し眉を上げて驚いた表情を見せたが、すぐにもとの淑女然とした顔つきに戻って言った。

「記憶に障害が生じているようだね。心配しなくても、しばらくすれば元に戻るはずだよ。君はこの機関の研究員。今日からとある研究に従事してもらうことになっている。よろしくね。貝瀬真人君」

 ――貝瀬真人。

 その名前に、僕は聞き馴染みがあった。記憶の表層ではなく、もっと奥深く、無意識の領域に刻み込まれた至極当たり前の事実だ。そして記憶の最奥にある、自我を象徴するその記号は覚醒物質となってふわふわしていた脳みそを目覚めさせる。

 そうだ。僕の名前は貝瀬真人。政府が秘密裏に出資、管理する極秘の研究機関でとある兵器の研究、開発を行っていた。

 その兵器とは――

「少女兵器。その観察、ケアが君に与えられている仕事だよ」

 そう言いながら、女性は一冊のリングノートを机の上に置いた。

「これはその観察日記みたいなもの。特に書式は問わないし、記入事項も指定しないから、君が彼女たちと触れ合い、思ったことや気づいたことを書き留めて、研究が終わった時に提出して欲しい。活動はあさっての十九日からだよ。それじゃあ」

 女性はそう言って部屋を立ち去ろうとしたが、扉の前で突然立ち止まると、振り返って言った。

「忘れてた。私の名前は植田。何か分からないことがあれば何でも聞いてね」

 そう言って部屋の壁に取り付けられている内線電話を顎で示した。

 頭では情報が整理しきれないので、僕は今、こうして与えられたリングノートに初日の研究報告を書き連ねている次第だ。

 植田は、活動の開始はあさってだと言っていた。まだしばらく時間があるため、今日はこのくらいにして本格的な情報の整理は明日やろう。とりあえず今は、全身にまとわりつくようなこの気だるさをなんとかしたい。

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