コード004 灰赤の残光

 空気が裂けた。


 地面に貼り付いた影が、私のつま先の先で形を変える。灰赤の残光が迫り、瞬間、レクスが肩のバッグを振り落とすのが視界の端に映った。


 金属が噛み合う甲高い音。火花が弾け、獣の鉤爪みたいな刃が止まっていた。受け止めているのは、レクスの右腕に組み込まれた防御モジュールだ。反動で廃材と瓦礫混じりの地面が崩れ、砂埃が舞う。


「……っ、ぶねぇ」


 衝撃を押し返しながら、レクスが私の腕を引く。体ごと後ろに転がり、尻餅をついた拍子に背負っていた回収用バッグも外れ中身が周囲に散らばったが、目は敵の鉤爪から離せなかった。


「レ、レクス──」

「逃げろ! ヴィク!!」


 その声は、いつもの軽口の欠片もない。まるで戦場で命令をするような、冷たい響きを持っていた。


 相手の背のスラスターが低く唸る。砂埃が晴れ、クリアになる視界。そして、相手の肩と胸の装甲には、ジャッカルの牙が交差したマークが見えた。


 ──こいつ、ブラックジャッカルか!


 刃が跳ね、レクスが押し返す。だが、相手は怯むどころか、口が裂けるんじゃないかと思うほどの笑みを浮かべていた。涎を垂れ流しながら、恍惚とした声を吐く。


「ヒャハハァッ! たまんねぇ! ギアが悲鳴あげる音……ゾクゾクするぜぇ!!」

「早く行け!」


 初速が早すぎて、ついていけない。理由は分からないが、奴の狙いは私だ。下手に動くと真っ二つにされる、逃げるにしても、慎重にならなければ……そう思考を巡らせながら、逃げるタイミングを見計らう。


 つぅか、なんだよあのギアは!? 使用者の肉体機能を削りながら出力を絞り出してるなんて、正気じゃない!


 レクスが割り込む。金属と金属がぶつかり合い、耳の奥にまで突き刺さるような衝撃音。


 レクスは受け流しと踏み込みで相手の軸をずらし、カウンター気味に膝を打ち込んだ。鈍い衝撃がギアごしに響き、灰赤の髪がわずかに揺れる。


「ククッ……なんだぁ? やるじゃねぇか、オイ! 効いた! 効いたぞぉ! ヒャハハハァ!!」

「そりゃ、どーもっ!」


 互角。いや、僅かにレクスが優勢だ。今なら逃げられ──そう思った瞬間、レクスの動きに違和感を感じた。


 今の右での返し……遅い。


 レクスの右腕。振りの終わりがわずかに遅れている。受けから次動作への出力が不均一だ。


 一体なぜと疑問を抱くが、今朝の光景を思い出す。


 そうだった! あいつの右腕、壊れてたんだった……一応、あまりもので応急処置はしてあるけど、このまま削り合えば確実に持っていかれる。


 それに、攻撃モジュールを展開せずに格闘技で応戦しているのも気がかりだ。最初の衝突で不具合が出たか、あるいは右腕そのものに負荷をかけられなくなったか……どちらにせよ、致命的だ。


 足手まといになる。だから離れるべきだ。冷静な頭はそう指示する。


 でも、同時に、脳裏に最悪の光景が浮かぶ。右腕の故障のせいで、レクスがあの化け物に殺される未来が。胃の奥が冷たくなる。


「いいなぁ! てめぇ、最高だなぁ!! もっとぶっ壊し合おうぜぇ! 壊れるまでなぁ!!」

「……若ぇのに随分な趣味してんね。お前幾つよ」


 ……相手の視線は徹頭徹尾レクスだけに注がれている。私の存在を忘れたかのように、レクスとの戦闘に夢中になっていた。


 これならッ!


 息を殺し、奴のバイオギアを凝視する。背部のスラスター、肩装甲の下端、胸部補助装甲の合わせ目……動くたびにわずかに覗く配線と冷却ライン。スラスターの出力に合わせ、一定の周期で露出している。


 あれだ!


 ポーチからEMP手榴弾を取り出し、スイッチを押さずにカバーをこじ開ける。足元のジャンクの山に手を突っ込み、銅線と金属針、古いコンデンサをかき集めた。


 手持ちの小型バッテリーも使って、基盤の出力ラインを直接バッテリーに接続。針先を固定し、放電を一点に集中させる。


 広範囲のEMPは使えない。右腕が壊れているレクスが逆に不利になる。だから、急所一点を焼くための即席スパイクに改造する。


「……できた」


 レクスの呼吸が荒い。相手の刃が弧を描き、頬に浅い線を刻まれた。


「ヒャハハァッ! てめぇ、名はぁ!? 教えろよぉ! 壊す相手の名前は、ちゃんと覚えてスクラップにすんのが礼儀だろぉ!!」

「……生憎、名乗れる程大層なもんじゃないんでね」


 レクスが吐き捨てる。だが敵はむしろ嬉しそうに顔を歪め、血走った目で涎を飛ばす。


「ククク……いいぜぇ! じゃあ勝手に呼んでやるよ! 『最高の獲物』ってなぁ!」

「そりゃ光栄だな。墓標にでも刻んでくれ」


 ギアの唸りとともに、二人の間合いが一気に詰まる。防御に回った瞬間、右腕の遅れが露骨に出で、押し込まれた。レクスのギアにひびが入る。


 ……まだだ。まだ、露出のタイミングが合ってない!


 ゼロコンマ秒の隙。冷却ラインが肩の合わせ目から覗く。


 ここだ!


「……ッいけ!」


 私は立ち上がりざまにスパイクを投げた。風を切る音と同時に、相手の肩口から白い火花が散った。スラスターの唸りが一瞬だけ掠れる。


「──ナイスアシストだ。ヴィク」


 レクスは身を沈め、斜めに踏み込んだ。壊れた右腕を囮にして死角へ潜り込む。膝が装甲の継ぎ目を撃ち抜き、相手の体勢がぐらつく。


 その隙を逃さず、身体をひねりながら反転。振り抜いた後ろ回し蹴りが頭部横の固定具を叩き割った。


 灰赤の髪が派手に舞い、ギアは制御を失って地面へ転がり落ちる。


 廃材の山へ突っ込み、金属片が四散する。粉塵の向こうで、赤黒い瞳が一瞬だけ虚空を掴んだ。


「ヴィク!」


 レクスに呼ばれ、返事をしようとした時、崩れた廃材の影から金属の爪が走った。


 止めるように前に出たレクスの腹部に浅い傷が刻まれ、血が滲む。


 相手は立ち上がっていた。


 さっきの一撃でギアは明らかに軸を歪め、駆動部も火花を散らしていた。普通なら動けるはずがない。それなのに、奴は平然と爪を構えていた。


 な、んで……動け……いや、冷静になれ。よく観察しろ。


 肩の冷却ラインは完全に防御姿勢。余計な露出はない。背部スラスターも高出力から切り替え、短距離のダッシュ専用に絞られている。


 ……同じ手は、通用しそうにないな。


「……裸身ネイキッドの雑魚が」


 奴の発する低い声に、体の芯が冷える。これは、私に向けられた声だ。


 焼けた鉄みたいな視線が、私の喉元に杭を打ち込む。


「俺の楽しみを邪魔しやがって!!」


 刹那、影が跳ねた。反射で身を引いた私の頬の横を刃の気配が掠め、レクスが割り込んで受ける。甲高い音。二人の体がまた弾ける。


「下がれ! ヴィク!」


 言われなくても、と言いかけて、私は飲み込む。


 さっきまでとは違い、あの狂気じみた視線は私に狙いを定めている。このまま逃げたら、絶対に狙われる。


 どうにかできないかと周囲を見渡すと、背後の投棄ゲートの制御柱が目に入った。


 稼働中の自動投棄システムとは別に、緊急開放用のメンテナンスポートが残っている。普段は遮断されて死んでいる回路だが、バッテリーを直結すれば強制的に上書きできる。


 頭の中で配線を走らせ、最短の流路を描く。必要なのは一瞬の力だけ。


 私は制御柱に駆け寄り、パネルをこじ開けた。むき出しの基盤。止まったままのヒューズ。銅線を噛ませ、手持ちバッテリーを直で繋ぐ。火花が散り、古いランプが幽霊みたいに淡く灯る。


 私の動きに気づいたレクスが足運びを変えた。相手を誘うように半身を開き、隙を晒す。挑発だ。


「舞踏会は終わりだ」


 わざと軽口を混ぜた声。その温度に反応するように、敵の顎がわずかに上がった。踏み込み、刃が走る。敵はバランスを崩した。


「魔法が解けるぜ、シンデレラ?」


 ──今だ。


 私は制御柱のレバーを思い切り引いた。高所の投棄ゲートが鈍い音をたてながら開く。


 通常なら圧縮されて投棄されるはずの金属塊は、強制制御によって加工が止められたまま、巨大な塊として落下してきた。質量が空気を歪め、地面に焼き付く。


 敵が顔を上げた。スラスターが鳴る。完全には倒せないだろう。だが、相手のギアは限界に近い。少しでも掠りさえすればいい。


 轟音が地を揺らし、砂と金属片が暴風みたいに巻き上がる。視界が白茶け、耳が詰まる。私は身を伏せ、腕で顔を庇った。


 砂煙の幕の中で、赤黒い瞳が細く笑った気がした。


「──────」


 次の瞬間、気配がふっと消える。スラスターの残響だけが投棄路の鉄骨に反射し、遅れて戻ってきた。


「……行ったな」


 潰されないように投棄物を避けていたレクスが息を吐く。私は制御柱にもたれかかり、脚の震えを落ち着かせるのに必死だった。


 肺が痛い。指を見たら、さっきのスパイクの破片が掌に刺さり、手袋越しにじんわりと血がにじんでいた。


「大丈夫か、ヴィク」

「……うん」


 声が情けなく掠れている。私は咳を一つ飲み込み、無理やり息を整えた。


 少しだけ落ち着きを取り戻し、レクスの方を見る。すると、彼の腹部の傷から血が流れていたが、酷くないようで安堵する。しかし、右腕はまだ痙攣みたいな振動を残していて、出力が安定しない。


「ごめん。足、引っ張った」

「違ぇよ」


 レクスはどこか気の抜けたような顔をして、奴が消えていった方へ目をやった。


「お前がいなきゃ、俺は殺られてたよ」


 短く言って、レクスは生身である左手で雑に私の頭を撫でた。


「ありがとな、ヴィク」

「……ツケ、返してもらうまでは死なれたら困るからな」


 自分で言って、自分で肩の力が抜けた。足がまだ震えている。余裕なんてないくせに、口は勝手にこういう言葉を選ぶ。


 その時、遠くの投棄路の鉄骨の向こうから金属を踏む規則的な足音が近づいてきた。


 ディスポの日はいつだって忙しい。騒ぎを嗅ぎつけて、誰かが寄ってきたのだ。早くここから離れなければ。


「戻ろう。今日は、もう十分」


 さっきの男……ブラックジャッカルの男は最後に何かを言っていた。


 声は聞こえなかった。けれど、あの恐ろしい形相は忘れられそうにない。


「同感だ。あの男もしばらく動けねぇだろうし、俺も右腕こいつをちゃんと直してもらいてぇしな」

「……これ以上ツケ増やすなら、利子つけるからな」

「鬼かよ」


 いつもの軽口に、少しだけ息が楽になる。


 落としてしまっていた回収用バッグを背負い、二人で歩き出すと、いつもの怒号と金属音がゆっくりと戻ってきた。ここでは今日も明日も、これが日常だ。


 私は確認するように、一度だけ振り返る。さっき影が舐めた地面は、ただ、浅い爪痕が残っているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る